著者の所属・活動拠点の国は、ベネズエラです。
掲載誌:Revista de Gastronomía y Cocina.
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
地域の象徴なのに「決まった作り方」がない料理
ピスカは、ベネズエラ南西部のアンデス地方(トルヒーヨ州、タチラ州、メリダ州)で食べられている温かいスープです。コーヒーと小麦粉のアレパ(平たいパン状の生地)を添えた朝食として、地域を代表する料理になっています。家庭でも飲食店でも日常的に食べられている一方、作り方は家庭や店ごとに異なります。
論文によると、この違いは「本物のレシピはどれか」という議論や混乱を招き、期待していた料理と違うものが出てきて客が不満を抱くこともありました。さらに、ピスカの歴史的な起源、栄養価、使われ方や意味についてはほとんど分かっていませんでした。
そこで著者は、ピスカの作り方を標準化し、栄養価を明らかにし、歴史的・文化的な背景を整理することを目指しました。著者は、統一された情報は集団給食の計画、食事療法、栄養教育、観光に役立つと述べています。また、将来、地理的表示などの保護を受ける際の土台にもなりうるとしています。
レシピ調査、専門家と高齢女性の話し合い、文献調査
調査は2025年3月から10月にかけて、メリダ州の15地域で行われました。都市部と農村部の両方を対象とし、ピスカの伝統が特に強い標高の高い地域を重視しています。ただし著者は、地域選びに最も大きく影響したのは、当時不安定だった車の燃料の入手状況だったと明記しています。
協力者は、家庭で日常的にピスカを作っている人と、飲食店で提供している料理人です。いずれもこの地域の出身で、長く住んでいることを条件としました。合計263人が、材料と分量、作る手順、呼び名、添え物、レシピの由来などを尋ねる質問票に答えています。
集めたレシピは、各材料について最も多く報告された分量(最頻値)をもとに専用ソフトで一つにまとめられました。そのうえで、ベネズエラとラテンアメリカの食品成分表を使って栄養価を計算し、ベネズエラの人々向けの栄養摂取の基準値と比べています。つまり、栄養価は実際の料理を分析した値ではなく、成分表に基づく推計です。
料理の由来と意味を探るため、2つのグループで話し合い(フォーカスグループ)も行われました。一方は栄養士や調理学の専門家11人、もう一方は地域の高齢女性19人です。発言の記録は、言葉の出現頻度などを調べる分析ソフトで処理され、その結果を手がかりに、語りに表れる感情や社会的な役割を読み解く「批判的談話分析」が行われました。あわせて、州の公文書館や大司教区の文書館などで、ピスカの起源を示す資料も探しています。
標準レシピと栄養価
263のレシピに登場した材料は最大21種類でしたが、よく使われる中心的な材料は9種類に絞られました。牛乳、バター、鶏卵、白いチーズ、ジャガイモ、コリアンダー(シラントロ)、チャイブに似たネギ類、水、食塩です。多くは地元で手に入るもので、著者は、農家で伝統的に飼われてきた鶏や牛、地元の作物の収穫時期と結びついている可能性を指摘しています。チーズの種類はまちまちで、白いチーズが約50%、燻製チーズが約42%でした。
手順は単純ですが、回答者の全員が材料を入れる順番を重要だと考えていました。標準化された作り方は次のとおりです。まず、バターでネギ類、ジャガイモ、コリアンダーの茎を焦がさないように炒めます。次に牛乳と塩を加え、ふたをして約10分煮ます。チーズを入れて火を止めたら、別に作ったポーチドエッグを器に置いてスープを注ぎ、コリアンダーの葉を飾ります。ただし約33%の人は、卵をポーチドエッグにせず、煮ている途中のスープに直接落としていました。
1人前の中央値は295グラム(スープのみ)でした。この量あたりの推計値は、エネルギー約345キロカロリー、たんぱく質17.7グラム、脂質約18.6グラム、炭水化物29.2グラムです。著者らは、朝食としてエネルギーと栄養素の密度が高い料理だと評価しています。特に、卵や乳製品に由来するたんぱく質、鉄、セレン、カルシウム、ビタミンA、リボフラビン、ビタミンB12の多さを挙げています。また、ジャガイモはマグネシウムを、ジャガイモとコリアンダー、ネギ類はビタミンCを補っているとしています。
一方で、コレステロールも含まれ、ナトリウムは1人前あたり約2,300ミリグラムと多いことも報告されています。著者は、塩の使い方を控えめにすればこの量は調整できると述べています。
語られる意味と、見つからなかった起源
呼び名については、「Pisca」と書く人が約68%、「Pizca」と書く人が約32%でした。また約48%が「アンデスのピスカ」と地名を付けて呼んでいました。著者は、地元で料理名に地名を付けるのは珍しいと指摘しています。作り方を学んだ場所は、約92%が祖母や母の家など家族の中でした。
文書館や図書館を調べても、いつから「ピスカ」と呼ばれるようになったのか、どのように変わってきたのかを示す記録や古い料理書は見つかりませんでした。著者は、名前もレシピも口伝えの伝統の中で定着してきた可能性があると考えています。
話し合いの分析では、2つのグループの結果は似ていました。語られた感情の半分以上は、郷愁や愛情、心が安らぐことなど、記憶と愛着に結びついていました。ピスカは好みや栄養のためだけでなく、心を落ち着かせ、思い出し、祝うといった感情的・象徴的な理由で食べられていることが示されました。食べる場面は主に家庭ですが、通夜で出されることも語られ、慰めの食べ物としての役割がうかがえます。作り手としては母親や祖母が「伝統の守り手」として描かれ、若い男性が作るようになった例もわずかに見られました。
語りには、失われかけたものを取り戻すという筋書きが繰り返し現れました。参加者は、近代化や移住によってピスカの伝統が危うくなっていると感じており、守り広めていくべき遺産として語っていました。著者は、ピスカを作ることは世代を越えて受け継がれる営みであり、家族を思いやる気持ちと、近代化に対する文化的な抵抗とを結びつけていると結論づけています。この研究は、日常的な一皿の標準的な姿と栄養上の特徴を示すとともに、その料理が地域の人々の記憶やアイデンティティをどのように支えているかを描き出しています。
原著論文の著者・所属:Jesus Enrique Ekmeiro-Salvador(Universidad de Oriente, Puerto La Cruz, Anzoátegui, Venezuela)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Jesus Enrique Ekmeiro-Salvador. Estandarización de la receta, valoración nutricional y significado gastronómico de la Pisca, platillo típico de Los Andes venezolanos.. Revista de Gastronomía y Cocina. 2026-10-26. DOI: 10.70221/rgc.v5i2.159. 原著ライセンス:CC BY.