著者の所属・活動拠点の国は、インドです。
掲載誌:Journal of Ethnic Foods
ライセンス: CC BY 4.0 対象: 公開論文 確認元: Crossref
伝統の発酵スターターを科学的に調べる
インド北西部ヒマラヤ地域には、地域の人々が受け継いできた発酵食品や酒が数多くあります。その一つが、ヒマーチャル・プラデーシュ州バルマウル地方のガッディ族がつくる米の酒「スール」です。スールは集まりや季節の祭り、儀礼の場で飲まれ、地域の暮らしと深く結びついています。
スールづくりには「ダエリ」と呼ばれる発酵の種(スターター)が欠かせません。地元の人々によると、ダエリはヒマラヤの高地で集めた「ブートケシュ」と呼ばれる草本の葉を大麦粉と混ぜ、丸いレンガ状に固めて乾燥させたものです。これを炊いた米やジャガリー(粗糖)、砂糖と合わせ、室温で発酵させてスールをつくります。
研究チームによると、ダエリは文化的に重要で広く使われている一方、どのような成分を含み、どのような微生物がすんでいるのかは十分に調べられていませんでした。そこで著者らは、ダエリの成分と微生物、そしてダエリを使ってつくられたスールに含まれる化合物を組み合わせて分析しました。
何を調べたか
研究チームはバルマウル地方でダエリを3試料集め、水分・炭水化物・たんぱく質などの基本成分に加え、植物由来の成分であるポリフェノール類やフラボノイド、カロテノイドの量、抗酸化活性を測定しました。
次に、ダエリにすむ微生物の量を培養によって調べました。さらに、試料から抽出したDNAの配列を読み取り、どのようなカビや酵母が含まれているかを網羅的に調べる「メタゲノム解析」を行いました。
あわせて、地元の家庭でつくられたスール3試料を集め、含まれる化合物を広く洗い出す「メタボローム解析」を行いました。この解析では、6回の測定を通じて1万2687の化合物が検出されたと報告されています。
主な結果
ダエリは粒の細かい粉状で、水分は8.20%と低く、炭水化物が62.2%、たんぱく質が13.78%含まれていました。著者らは、水分が少ないことで保存性が高まり、炭水化物などが微生物を乾燥や温度変化から守る役割を果たしている可能性があると論じています。また、草本を使って作られることを反映し、フェノール類(1グラムあたり13.37ミリグラム)やフラボノイド(同15.67ミリグラム)、カロテノイドが含まれ、抗酸化活性も確認されました。
培養による調査では、細菌は1グラムあたり約100個と少なかった一方、カビや酵母などの真菌は約100万個と多く見つかりました。腸内細菌の仲間や乳酸菌を選んで育てる培地では、コロニーは見られませんでした。細菌が少なく十分な解析ができないことから、DNAによる解析は真菌に絞って行われました。
真菌の解析では、全体の99.93%が子のう菌類と呼ばれるグループに属していました。属のレベルでは「コレトトリクム」が90.4%と圧倒的に多く、その大部分をコレトトリクム・グロエオスポリオイデスという種が占めていました(83.6%)。種まで特定できない配列も約5.9%あり、著者らは十分に知られていない真菌が含まれている可能性を指摘しています。
酵母も見つかっています。酵母の中での割合を見ると、パン酵母やビール酵母として知られるサッカロミセス・セレビシエが約18%で最も多く、ハンセニアスポラ属の酵母2種などが続きました。著者らは、アルコールを効率よくつくる酵母と、香りや味の複雑さに関わるとされる酵母がそろっていることから、ダエリはアルコール発酵を支える微生物群を備えていると考えています。
一方で、主役となっていたコレトトリクムは植物の病原菌としてよく知られるカビで、酒造りのスターターで優勢になるのは珍しいことです。研究チームは、でんぷんなどを分解する酵素を持つ株もあるという報告に触れつつ、ダエリを広く使うことを勧める前には安全性の評価が必要だとしています。
スールからは、クエン酸やグルコン酸などの有機酸、カフェ酸やフェルラ酸などのフェノール酸、アミノ酸や小さなペプチド、主にカビに由来すると考えられる二次代謝物など、多様な化合物が見つかりました。著者らは、こうした化合物の組み合わせから、スールの発酵が原料の分解、微生物による代謝、二次代謝物の生成という複数の段階を経て進むと解釈しています。
この研究が示すこと
この研究は、ガッディ族が受け継いできたダエリが、単に微生物を運ぶだけでなく、発酵の材料や微生物を守る成分、植物由来の成分を併せ持つ仕組みであることを、成分と微生物の両面から描き出しました。北東インドの米酒のスターターとは異なる真菌の構成も示され、地域ごとの発酵文化の多様さがうかがえます。
ただし、著者らは、真菌を調べたのはダエリ、化合物を調べたのはスールと、別々の試料であるため、どの真菌がどの化合物を生み出したかという直接の結びつきは今回の研究では確かめられていないと明記しています。また、優勢だったコレトトリクムについては、株ごとの性質と安全性をさらに確かめる必要があるとしています。伝統的な知恵として受け継がれてきた発酵の種の中身を、初めて具体的に記録した研究といえます。
原著論文の著者・所属:Brij Pal Singh(University Centre for Research and Development (UCRD), Chandigarh University, Mohali, Punjab, 140413, India)、Mariam Azeezuddin Haneen(Department of Biotechnology, Indian Institute of Technology Hyderabad, Sangareddy, Telangana, 502284, India)、Deepanshu(Department of Microbiology, Central University of Haryana, Mahendragarh, 123031, India)、Vidyashankar Srivatsan(Dietetics & Nutrition Technology Division, CSIR-Institute of Himalayan Bioresource Technology, Palampur, India)、Gaurav Sharma(Department of Biotechnology, Indian Institute of Technology Hyderabad, Sangareddy, Telangana, 502284, India)、Gunjan Goel(Department of Microbiology, Central University of Haryana, Mahendragarh, 123031, India)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Brij Pal Singh, Mariam Azeezuddin Haneen, Deepanshu, et al. Comprehensive analysis of traditional ethnic starter “Dhaeli”: physicochemical, metagenomic, and metabolomic approaches. Journal of Ethnic Foods 2026-10-01. DOI: 10.1186/s42779-026-00334-5. 原著ライセンス:CC BY.