この研究は、アラブ首長国連邦の研究機関の研究論文です。
掲載誌:Frontiers in Nutrition
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
なぜ「万人共通の食事指導」だけでは足りないのか
心血管疾患は世界の死因の首位を占め続けています。著者らは、2022年に推定1,980万人が心血管疾患で亡くなり、これは世界の全死亡のおよそ32%にあたると紹介しています。そのうち85%は心臓発作と脳卒中によるもので、死亡の4分の3以上は低・中所得国で起きていると報告されています。
食事は、心血管疾患のリスクを左右する要因のなかでも「変えられる」中心的な要因です。論文では、地中海食やDASH食といった代表的な食事介入が血圧の低下や脂質プロフィールの改善をもたらすことを示した研究が紹介されています。ところが、同じ食事に取り組んでも、LDLコレステロール(いわゆる悪玉コレステロール)などの指標がほとんど改善しない人がいるなど、反応の個人差はかなり大きいことも指摘されています。
この総説は、そうしたばらつきがなぜ生じるのかを、遺伝子と食事の関係という観点から整理することを目的としています。鍵になるのが二つの分野です。著者らの説明によれば、ニュートリジェネティクス(栄養遺伝学)は「生まれ持った遺伝的な違いが、食事への反応をどう変えるか」を調べる分野であり、ニュートリゲノミクス(栄養ゲノム学)は逆に「食品の成分が遺伝子の働きや分子レベルの応答をどう変えるか」を調べる分野です。
何をどう調べたか
本論文は新たに実験を行ったものではなく、既存の研究を整理する総説(ナラティブレビュー)です。著者らは、PubMed/MEDLINE、Scopus、Google Scholarを用いた文献検索を行い、最終検索は2026年2月に実施したと記しています。「心血管疾患」「高血圧」「遺伝子と食事の相互作用」「精密栄養」といった用語に加え、脂質や食物繊維、ナトリウム、地中海食などの食事に関する語、エピゲノミクスやメタボロミクスなどの分子解析に関する語を組み合わせて検索し、関連論文の引用文献も手作業で確認したとしています。
対象としたのは主にヒトを対象とした研究で、ランダム化比較試験、食事を管理して提供する試験、コホート研究や症例対照研究、ゲノム全体を対象とした遺伝子と食事の相互作用解析、メンデルランダム化解析、ポリジェニックリスクスコア(多数の遺伝的変異をまとめてリスクとして数値化する指標)を用いた解析などです。選定の結果、65本の原著研究が中核的な根拠として取り込まれました。
著者らは、根拠の強さを一律に扱っていない点を明示しています。ランダム化比較試験や食事管理試験を介入効果に関する最も強い根拠とし、独立した再現のあるゲノム全体の相互作用研究を単一遺伝子の解析より重視しました。メンデルランダム化研究については「因果関係を示唆する根拠」として扱いつつ、その手法が前提とする仮定に依存することを断っています。観察研究の知見は因果ではなく関連として記述する、という方針も示されています。
主な報告 — 脂質、糖質、ナトリウム、植物由来成分
脂質については、飽和脂肪酸が多い食事が脂肪組織で炎症や免疫に関わる遺伝子の発現を高めたという食事管理試験が紹介されています。また、遺伝的な違いによって反応が異なる例も複数報告されています。たとえばCORDIOPREV試験では、CLOCK遺伝子のrs4580704という変異が、低脂肪食による炎症指標(高感度CRP)やHDL関連指標の変化に影響していました。PREDIMED試験では同じ変異が2型糖尿病の発症や心血管イベントと関連していたものの、地中海食との相互作用の検定結果は統計的に境界域だったと、著者らは限界も含めて記しています。
糖質に関しては、TCF7L2遺伝子のrs7903146がインスリン分泌や血糖の調節に関わる中心的な変異として取り上げられています。ランダム化クロスオーバー試験では、この変異のTT型をもつ人は、地中海食の後より低脂肪食の後のほうが中性脂肪を多く含むリポ蛋白のプロフィールが不利であったと報告されました。PREDIMEDでは、地中海食の遵守と介入によって、この遺伝型に伴う空腹時血糖や脂質の差、脳卒中の発症の差が小さくなったことが示されています。
ナトリウムについては、いわゆる「食塩感受性」(塩分摂取に対して血圧が上がりやすい体質)が部分的に遺伝の影響を受ける形質であることを支持する複数の証拠が紹介されています。中国のGenSalt研究では、ナトリウム摂取量を低い水準と高い水準に順に切り替える食事管理のもと、USTやCLGNなどの変異が収縮期・拡張期血圧の反応を有意に変えており、これは別のMESAコホートでも再現されました。また、1,906人の漢民族成人を対象とした研究では、レニン・アンジオテンシン系に関わるAGTR1、HSD11B2、RENBPの多型が血圧反応を変えていました。台湾の10年間のコホートでは、GNB3 rs5443のTT型をもち1日4,800mgを超えるナトリウムを摂取していた人で高血圧のリスクが高く、摂取量が少ない場合にはそのリスクが弱まっていたと報告されています。
植物由来の成分についても報告があります。ヒドロキシチロソールを豊富に含むエクストラバージンオリーブオイルやマンゴーの摂取では、酸化ストレスに関わる経路を含む遺伝子発現の変化が観察されました。果物・野菜を用いた介入では、血漿の抗酸化能や、実験的に誘発したDNA損傷への抵抗性、網膜の微小血管の指標が改善し、一部の反応は遺伝型によって異なったとされています。さらに、地中海食の遵守が炎症や脂質代謝に関わる遺伝子のDNAメチル化の違いと関連することも紹介されています。
この総説が示す意味と、著者らが置く留保
著者らの整理によれば、遺伝子と食事の相互作用は、なぜ同じ食事が人によって違う結果をもたらすのかを説明する枠組みとして有望です。一方で論文は、その実用化に対して慎重な線引きをしています。遺伝型に基づいた食事アドバイスを行う個別化栄養の試験では、上乗せの利益が見られる可能性が示されているものの、その効果はおおむね小さく、多くの場合は血中指標のような中間的な代謝マーカーにとどまり、心血管疾患そのものの発症といった検証済みのアウトカムには及んでいないと指摘されています。
たとえばFood4Me研究では、遺伝型に基づく助言を受けたAPOE ε4保有者は飽和脂肪の摂取をより大きく減らしましたが、測定されたバイオマーカーに遺伝型に応じた改善は伴いませんでした。UKバイオバンクのゲノム全体の解析でも、遺伝型と食事の相互作用の効果は小さく、再現もほとんど得られなかったと報告されています。
加えて著者らは、研究間で方法が揃っていないこと、対象となった集団の多様性が限られていることが、知見の一般化を妨げていると述べています。したがって、日常診療に取り入れる前には、より広範な検証、方法の標準化、そして公平に実装するための方策が必要だというのが、この総説の結論です。食事と遺伝の関係は、心血管疾患の予防を精密化する手がかりとして現実味を帯びつつありますが、いまはまだ、その手がかりを確かなものにする作業の途上にある — 本論文が伝えているのは、そうした現在地の見取り図です。
著者:Mariam Ramadan(Department of Nutrition and Health, College of Medicine and Health Sciences, United Arab Emirates University)、Amie Jobe(Department of Biology, College of Science, United Arab Emirates University)、Ranjit Vijayan(Center for Excellence in Teaching and Learning, United Arab Emirates University)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Mariam Ramadan, Amie Jobe, Ranjit Vijayan. Gene—diet interactions in cardiovascular disease: insights from nutrigenetics, nutrigenomics, and precision nutrition. Frontiers in Nutrition 2026-09-14. DOI: 10.3389/fnut.2026.1916937. 原著ライセンス:CC BY.