著者の所属・活動拠点の国は、アルゼンチンです。
掲載誌:Frontiers in Bioengineering and Biotechnology
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
なぜ「名前」が問題になるのか
この論文は、『ロミオとジュリエット』の有名な台詞「名前に何の意味があるの」を題に借りながら、法律や規制の世界では名前と定義が決定的に重要だと論じる論考です。著者は、明確で曖昧さのない定義が担当者の裁量による解釈の幅を減らし、規制の要件を予測しやすく透明なものにし、申請者が規則を守りやすくすると指摘しています。
論文によると、世界のバイオテクノロジー規制のほとんどは、約25年前に生物多様性条約のカルタヘナ議定書が定めた遺伝子組換え生物(GMO)の定義を土台にしています。この定義は、組換えDNA技術を使ったかどうかという「作り方(プロセス)」を規制開始のきっかけとし、自然には起こりえない遺伝物質の新しい組み合わせを持つ生物を対象にしています。ところが、狙った箇所だけを精密に書き換えるゲノム編集技術が登場し、従来の育種でも得られる変化と区別できない改変が可能になりました。さらに、農業に微生物などの生物資材を活用することへの関心も高まっています。著者は、こうした状況がGMOの判定基準、とりわけ微生物についての基準の見直しを求めていると主張しています。
論文はGMOという用語だけでなく、「安全な使用の歴史」「なじみ(ファミリアリティ)」「新規食品」といった関連用語も、文書ごとに定義が異なり、曖昧だったり恣意的だったりすることが多いと指摘しています。これらの用語は安全性評価で比較対象をどう選ぶかや、どの要件を免除するかに関わるため、規制の結果を大きく左右するとしています。
一つの定義から分かれる複数の解釈
著者は、同じ議定書の定義を使っていても、各国・各機関の解釈は一様ではないと整理しています。一つは、組換え技術を使ったこと自体や、人工的に組み立てたDNA断片(コンストラクト)が残っていることを重視する「構造・分子的」な解釈です。もう一つは、外来のDNAが入り、働いているかどうかを重視する「分類学的」な解釈です。後者の考え方では、同じ種や近縁種の遺伝子を導入した生物(シスジェニック)が、コンストラクトを持っていてもGMOとして扱われない場合がありうると論文は述べています。
何を「外来」とみなすかも機関によって違います。論文によれば、多くの機関は種の外から来た配列を外来と定義していますが、米国環境保護庁(EPA)は微生物について、属を越えて来た遺伝子を規制のきっかけとしています。規制当局が二つの解釈を裁量で組み合わせると、同じ定義のもとで同じ改変であっても、GMOと判定されることもされないこともある、と著者は指摘します。
これに対してカナダは、作り方ではなく最終的な産物の「新規性」を規制のきっかけにしています。新しい形質や変更された形質、新しい用途を持つもの、または国内で未登録のものが新規とみなされ、その基準は規範の中で明確に定められていると論文は紹介しています。
ゲノム編集作物と微生物で生じる違い
論文は、精密育種(ゲノム編集など)の扱いを、解釈の違いが異なる結果を生む例として取り上げています。アルゼンチンは2015年にこうした技術の判断基準を初めて定め、最近更新しました。組換えDNAの使用は引き続き規制のきっかけですが、事前相談でコンストラクトの一部も残っていないと示されれば、外来DNAを発現する断片が安定して組み込まれていない産物は、一般に従来育種と同じ扱いになります。著者によれば、こうした混合型の考え方は他の機関にも採用されています。
一方、欧州連合(EU)では「一度GMOになったものは常にGMO」という原則が支配的で、改変の痕跡を取り除いた個体も安全な使用の歴史がないとして規制対象とされてきました。新たに承認された新規ゲノム技術(NGT)の規則では、外来DNAを導入しない限られた改変を「NGT1」としてGMO扱いから外しています。しかし論文は、NGT1で改良された種子には表示が求められ、有機生産には使えないことを、従来育種と同じという位置づけと矛盾すると指摘しています。NGT1の範囲を超える「NGT2」は、引き続きGMO規制の対象になります。また、加盟国ごとにGMO定義の解釈が異なり、定義の明確化を求める報告があることも紹介されています。
著者がとくに見直しが必要だと強調するのが微生物です。微生物は自然界で盛んに遺伝子をやり取りしており、「自然には起こらない改変」や「外来DNA」を定義すること自体が極めて難しいと論文は述べています。遺伝子が組み換わったような微生物は自然界にも存在し、種や属といった分類も新しい知見によって変わりうるため、属を基準にしたEPAの定義は予測可能性に欠けるという批判も紹介されています。さらに、EUでの規制の枠組みを四つの型に分けて経済的な影響を評価した先行研究を引き、定義の違いによって、ある開発が実現しやすくなることも、何年も遅れることも、投資の対象として成り立たなくなることもあると論じています。
論文が伝えるメッセージ
著者は、GMOの定義は幅が広く複雑なために複数の解釈を許し、その結果として規制上の扱いが国や機関によって食い違っていると結論づけています。こうした食い違いは、製品の規制解除の進み方が国ごとに異なることで、貿易上の支障にもつながりうると指摘しています。論文によれば、2019年以降、アルゼンチン、ブラジル、チリ、カナダ、米国など南北アメリカの国々や日本で多くのゲノム編集産物の商業化が認められている一方、ゲノム編集産物を認めない国や、遺伝子組換えとして扱う国、制度を検討中の国もあります。
微生物については、改変の方法ではなく、改変がもたらす機能や作用の仕組みに目を向けるべきだと著者は主張しています。その関連として、欧州食品安全機関(EFSA)が、微生物のリスク評価は改変の方法にかかわらず菌株や製品そのものに基づくべきだと勧告していることを紹介しています。
論文の結論は「名前は重要である」というものです。裁量的な解釈に左右されない、目的に合った明確な定義と評価基準を整えることが、規制の透明性と予測可能性を高めるという著者の主張は、技術の進歩に合わせて言葉の定義そのものを問い直す必要性を示しています。
原著論文の著者・所属:Clara Rubinstein(Graduate Certificate on Risk Analysis, School of Agronomy, University of Buenos Aires)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Clara Rubinstein. What´s in a name: the issue with regulatory definitions. Frontiers in Bioengineering and Biotechnology 2026-09-03. DOI: 10.3389/fbioe.2026.1904562. 原著ライセンス:CC BY.