この研究は、インドの研究機関の研究論文です。

掲載誌:Bioinformation

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

なぜ「昔ながらの食事」を調べるのか

人の消化管には膨大な数の微生物がすみついており、食べ物とともに長い時間をかけて共進化してきたと考えられています。ヒトの体には分解できない複雑な植物成分が数多くありますが、腸内の微生物はそれらを発酵させて別の物質に作り変えます。こうした関係を、この総説は宿主と微生物が互いに利益を得る「相利共生」として整理しています。

一方で、ここ二世紀ほどの工業化・都市化・単一作物栽培の進行は、人の遺伝的な適応の速度をはるかに上回りました。著者は、祖先が適応してきた代謝の設計図と現代の食環境とのあいだにずれが生じているとする「進化的不一致仮説」を紹介しています。精製された糖や脂質、乳化剤・人工甘味料・保存料といった合成物質を多く含む現代の欧米型食事は、栄養が消化管の上部で速やかに吸収されてしまうため、大腸側の微生物に届く材料が乏しくなる、というのが論文の見立てです。

そこで本論文は、先住民や部族社会に受け継がれてきた伝統的な食習慣に注目し、それが腸内微生物の多様性や働き、そして食事に関連する非感染性疾患への影響とどう結びつくのか、既存の研究報告を整理することを目的としています。

総説が取り上げた伝統食の特徴と比較研究

この論文は新たに実験を行ったものではなく、これまでに報告されてきた知見をまとめた総説(レビュー)です。著者は、東アフリカの乾燥したサバンナからアマゾンの熱帯雨林、アジアの高地まで、地理的には大きく異なる先住民の食文化を見渡し、そこに共通する生化学的・生態学的な特徴を抽出しています。

第一に、採集と狩猟に基づく「季節による大きな変動」です。タンザニアのハッザの人々を例に、年間で100種を超える動植物を利用し、雨季には野生のハチミツやベリー類、乾季には土中深くの繊維質の塊茎が中心になると紹介されています。食材が入れ替わり続けることで、特定の微生物だけが居座り続けることがなく、生態系としての柔軟性が保たれると論じられています。

第二に、野生の微生物による自然発酵です。工業的な発酵が特定の菌の純粋培養に頼るのに対し、伝統的な発酵は周囲の環境や植物の表面、容器に由来する多様な菌が自然に入り込む形で進みます。乳酸菌のさまざまな系統が含まれ、胃酸や胆汁に耐えて腸に届くと説明されています。第三に、シコクビエやトウジンビエ、アマランサス、ソルガムといった、近代的な品種改良を経ていない在来の穀物を、ぬか層や細胞構造を残したまま食べる点が挙げられています。

比較の科学的な土台となっているのが、メタゲノム解析(試料に含まれる微生物のDNAをまとめて読み取り、どんな種類がどれだけいて何ができるかを調べる手法)です。ハッザ、アマゾンのヤノマミ、ペルーのマツェス、アジアの農村部族などを対象とした研究が引用されています。

報告されている主な結果

著者がもっとも顕著な所見として挙げているのは、アルファ多様性(一つの生態系の中にどれだけ多くの種が偏りなく存在するかを示す指標)の明確な勾配です。遊牧的な採集生活から農村的な農耕、さらに都市的な工業化された生活へと移るにつれて多様性は急激に下がり、先住民集団ではヒトで記録された中でも最も高い微生物多様性と遺伝子の豊かさが観察されていると述べられています。この減少には、抗菌薬の広範な使用や徹底した衛生化、微生物が利用できる炭水化物の乏しい食事も関わるとされています。

構成する菌の顔ぶれにも違いが報告されています。欧米型の腸内ではバクテロイデス属などが優勢なのに対し、先住民や部族の腸内では地理的に隔たった集団でもプレボテラ属とトレポネーマ属が一貫して中心を占めるといいます。これらの菌は炭水化物を分解する酵素の遺伝子を数多くもち、野生の塊茎や未精製の穀物に含まれる、架橋の多い硬いセルロースやキシランを分解できると説明されています。また、異なる菌種が同じ代謝の役割を担う「機能的な冗長性」が高く、ハッザの追跡調査では、雨季に繊維分解型のプレボテラが減っても、乾季に繊維質の塊茎が戻ると元の水準まで回復するという季節的な変動が観察されたと紹介されています。

代謝産物としては、短鎖脂肪酸(酢酸・プロピオン酸・酪酸)が重視されています。これらは微生物が食物繊維などを発酵して作る物質で、論文は、先住民集団では欧米型食事の人々より濃度が高いという解析結果を引いています。酪酸は大腸の上皮細胞の主要なエネルギー源となり、その酸化によって腸の内腔が酸素の乏しい状態に保たれることが、健全な嫌気性の菌叢を維持する上で重要だとされます。プロピオン酸は肝臓に運ばれて糖や脂質の代謝に関わります。さらに酪酸とプロピオン酸はヒストン脱アセチル化酵素の働きを抑え、免疫を抑制する方向に働く制御性T細胞の分化を促すという、遺伝子の読み出しを調節する経路も紹介されています。

逆に、微生物が利用できる炭水化物が不足するとどうなるか。著者は「消えゆく微生物叢」仮説を示しながら、飢えた菌が代わりに腸の粘液層を分解し始め、粘液が薄くなって上皮がむき出しになり、細胞どうしの結合が緩み、グラム陰性菌の外膜成分であるリポ多糖が体内へ漏れ出す、という一連の流れを描いています。この慢性的で弱い炎症状態は代謝性エンドトキシン血症と呼ばれ、インスリン抵抗性や代謝症候群、動脈硬化、自己免疫疾患の発症機序に関わると論じられています。

この総説が示す意味

著者は、伝統的な食習慣の原理を現代の介入に生かす方向性にも触れています。単一の繊維を用いた既存のプレバイオティクスは大腸の手前で急速に発酵してしまうため、古代穀物などに由来する複雑な炭水化物の組み合わせによって発酵を大腸全体に行き渡らせる設計、乳製品以外の伝統発酵食から得られる野生の菌の活用、そして先住民の腸に豊富で工業化社会の腸には乏しい菌を候補とする次世代プロバイオティクスの探索が挙げられています。

総説の結論として著者が述べているのは、伝統的な食のあり方がヒトと微生物の共進化を理解する上で基礎的な意味をもつということです。先住民集団ではより高い微生物多様性、代謝の柔軟性、短鎖脂肪酸の産生がみられる一方、微生物が利用できる炭水化物の乏しい工業化された食事は腸の防御壁を損なう。この進化上のずれが、慢性的な炎症と非感染性疾患につながるというのが、この論文の整理です。

日々の食卓を先住民の食事に置き換えようという話ではありません。ただ、食物繊維や植物の細胞構造がどれだけ大腸まで届くかという視点が、腸内の生態系を考える一つの手がかりになる——この総説はそう読ませてくれます。

著者:Rajakumari P(Department of History, Holy Cross College (Autonomous) Tiruchirappalli, Affiliated to Bharathidasan University, Tiruchirappalli, Tamil Nadu, India)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Rajakumari P. Traditional tribal diets and gut health: A review. Bioinformation 2026-08-31. DOI: 10.6026/973206300225159. 原著ライセンス:CC BY.