この研究は、ナイジェリアの研究機関の研究論文です。
掲載誌:Glial health research.
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的:伝統的な発酵食品を脳の発達の視点から見直す
脳には神経細胞のほかに、それを支え、免疫や炎症を調節する「グリア細胞」があります。代表的なものが、脳内の免疫を担うミクログリアと、神経細胞の代謝や血液脳関門(血液中の物質が脳へ入るのを制限する仕組み)の維持を担うアストロサイトです。論文によると、これらの細胞は妊娠後期から出生後まもない時期(周産期)に性質が形づくられ、その過程は母体の状態、腸内細菌、栄養などの環境の影響を受けるとされています。そして、この時期のグリア細胞の発達は、生涯にわたるストレス反応の調整にも関わると考えられています。
腸内細菌が腸と脳の情報のやり取り(腸脳軸)を通じて脳の発達に影響することは、すでに多くの研究で示されています。ただし、栄養とグリア細胞を結びつける研究は、主に欧米で医薬品レベルのプロバイオティクス(有益な生きた微生物)やプレバイオティクス(有益な腸内細菌のえさとなる消化されにくい成分)を使って行われてきました。著者は、アフリカの地域社会で妊娠中や授乳期に日常的に食べられている発酵食品が、この分野でほとんど体系的に検討されてこなかったと指摘しています。
本論文はこの空白に注目し、西アフリカの発酵穀物食「オギ(Ogi)」を中心に、伝統的な発酵食品が母子のグリア細胞の発達とストレス耐性に関わる可能性を論じた「パースペクティブ(展望)論文」です。新たな実験で効果を確かめた研究ではなく、今後検証すべき仮説を組み立てることを目的としています。
オギとはどんな食品で、どのような仕組みが想定されたのか
オギはナイジェリアなどで「パップ」「アカム」とも呼ばれる発酵穀物のかゆです。トウモロコシ、キビ、ソルガムを水に浸して湿式で挽き、24〜72時間ほど自然に乳酸発酵させて作ります。論文によると、オギは乳児の離乳食として広く使われており、ナイジェリアの女性は妊娠中から産後早い時期にかけて、日常的にこれを食べているといいます。
発酵の過程では、ラクチプランチバチルス・プランタルムなどの乳酸菌や酵母が増え、同時に穀物由来の食物繊維や難消化性でんぷんが残ります。著者は、有益な微生物とそのえさとなる成分を一緒に届ける点に注目し、オギを「シンバイオティクス」(プロバイオティクスとプレバイオティクスを組み合わせたもの)に近い性質を持つ食品と位置づけました。既存の研究をもとに、発酵によってB群ビタミンが増えることや、ミネラルの吸収を妨げる成分が分解されて亜鉛や鉄などが利用しやすくなることにも触れています。
著者が提案する仕組みの中心は、腸内細菌が作る「短鎖脂肪酸」、とくに酪酸です。動物や細胞を使った研究では、酪酸がヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の働きを抑えることが報告されています。HDACは遺伝子の働きにかかる「ブレーキ」のような酵素で、酪酸がこれを抑えると、DNAの配列を変えずに遺伝子の使われ方が変わる「エピジェネティックな変化」が起こります。その結果、ミクログリアの炎症反応が和らぐ可能性があると、著者は紹介しています。このほか、トリプトファン由来の代謝物や、葉酸・ビタミンB12などのいわゆる一炭素代謝にかかわる栄養素も、介在する候補として挙げられています。
影響が母から子へ伝わる経路としては、二つの時期が想定されています。出生前には、母親の腸で作られた代謝物が血液や胎盤の環境を介して胎児に届く経路です。出生後には、出産や母乳を通じた微生物の受け渡しと、離乳期に子どもが直接オギを食べる経路が考えられています。著者はさらに、ストレスホルモンを受け取る受容体の遺伝子(NR3C1)の働きに、こうした栄養素が関わる可能性にも触れています。ただし、この点については、オギでは直接検証されておらず、より広い研究からの推測であると明記しています。
文献をもとにした遺伝子解析で示された傾向
仮説を整理するため、著者は既存の研究をもとに、ミクログリアの活性化、神経炎症、アストロサイトの反応、ストレスホルモン系、HDACなどのエピジェネティック制御、酸化ストレス、腸脳軸のシグナルに関わる99個の遺伝子を選びました。そのうえで、これらの遺伝子がどのような生物学的な働きに多く含まれるかを統計的に調べる「機能的エンリッチメント解析」を行っています。
その結果、八つの生物学的カテゴリーで有意な偏りがみられたと報告されています。最も強い傾向を示したのは、神経炎症反応とミクログリアの活性化でした。サイトカインやNF-κBを介した炎症のシグナル、ストレスホルモン(グルココルチコイド)の受容体シグナルや視床下部・下垂体・副腎系(HPA軸)の調節も有意でした。アストロサイトの発達は中程度、酸化ストレスとエピジェネティック制御は比較的小さな寄与にとどまり、短鎖脂肪酸の受容体などの腸脳軸に関する経路は、比較的弱い傾向でした。
ただし、解析の対象は文献から選んだ遺伝子であり、ゲノム全体のデータから得たものではありません。そのため著者は、この結果を新しい事実の独立した発見とはせず、既存の知見を整理して仮説の手がかりを示すものと位置づけています。
この論文が伝えること
論文は、提案した仕組みの多くが、オギ以外の乳酸菌や酪酸を使った動物・細胞の研究、一般的なプロバイオティクスの研究から推測されたものであり、伝統的なアフリカの発酵食品そのものではまだ検証されていないと明記しています。また、ストレス耐性を一つの食品だけで説明するものではないことや、伝統的なオギはエネルギーは多いもののタンパク質が少ないという課題にも触れています。
そのうえで、この論文は、地域で長く受け継がれてきた食習慣を、脳の発達に関わりうる生物学的な要因として真剣に検討する視点を示しています。発酵食品とグリア細胞のエピジェネティックな変化を結びつけ、検証すべき問いとして整理した点に、本論文の意味があります。
著者:Nosarieme Omoregie Abey(Department of Biochemistry, College of Medicine, University of Lagos)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Nosarieme Omoregie Abey. Glial futures and fermented traditions: A perspective on perinatal consumption of traditional African synbiotics, epigenetic glial programming, and offspring stress resilience. Glial health research. 2026-09-19. DOI: 10.1016/j.ghres.2026.100020. 原著ライセンス:CC BY.