著者の所属・活動拠点の国は、ブラジルです。

掲載誌:Frontiers in Ocean Sustainability

ライセンス: CC BY 4.0 対象: 公開論文 確認元: 論文掲載ページ

なぜ魚介類のヒ素を見直すのか

魚介類は良質なたんぱく質やオメガ3脂肪酸などを含む大切な食品ですが、同時に、人が食事からヒ素をとり込む主な経路の一つでもあります。論文によると、米国では食事由来の総ヒ素摂取量の約90%が魚介類によるものとされています。また、スペインの調査では、魚介類が総ヒ素摂取の98%を占める一方、毒性の強い無機ヒ素の摂取に占める割合は2%未満で、無機ヒ素の主な供給源は穀類やイモ類だったと紹介されています。

この差は、ヒ素の健康への影響が「量」だけでなく「化学形態(どのような化合物として存在するか)」によって大きく変わることを示しています。魚介類に含まれるヒ素の多くは、アルセノベタインと呼ばれる有機ヒ素化合物です。アルセノベタインは一般に毒性が低く、体からすみやかに排出されると考えられています。これに対し、亜ヒ酸やヒ酸などの無機ヒ素は毒性が強く、発がん性も認められています。

それにもかかわらず、実際の安全性評価では、総ヒ素の測定値に一定の割合をかけて無機ヒ素量を推定する方法が今も広く使われています。著者らはこの総説で、魚介類のヒ素についての知見を整理し、より実態に即した評価方法を考えることを目的としました。

何を調べたのか

この研究は、既存の研究を幅広く読み解いて整理する「ナラティブ・レビュー(叙述的総説)」です。著者らは2026年4月から9月にかけて、複数の学術データベースでヒ素、化学形態、魚介類、毒性、食事からの摂取、リスク評価などに関する文献を検索しました。あわせて、欧州や米国、ブラジルなどの公的機関が公表した規制文書や技術資料も参照しています。

整理の対象は、海洋環境や魚介類におけるヒ素の存在と化学形態、分析方法、化学形態ごとの毒性、そして人の摂取量やリスクを見積もる枠組みです。リスクの見積もりには、1日や1週間あたりの推定摂取量、基準値に対する摂取量の比で健康への懸念を示す指標、発がんリスクの指標などが用いられており、著者らはこれらの枠組みの限界についても検討しています。

論文が示した主なポイント

第一に、ヒ素の化学形態は生物の種類、生息環境、地域によって大きく異なると論文は指摘しています。同じ魚でも部位による違いがあり、南極の魚の例では、筋肉では総ヒ素の95%以上がアルセノベタインだったのに対し、内臓では55〜80%にとどまり、ほかの形態のヒ素がより多く含まれていました。地域によっては内臓や小魚を丸ごと食べる習慣があるため、筋肉の測定値だけに基づく推定では、実際の摂取量を正しく捉えられない可能性があるとしています。

第二に、海の食物網では、総ヒ素の濃度は一般に食物連鎖の上位ほど低くなる傾向が報告されています。ただし、これは総ヒ素についての傾向であり、個々の化学形態がすべて同じように振る舞うわけではありません。著者らは、総ヒ素の値だけでは化学形態の構成の変化を見落とすおそれがあると述べています。また、ヒ素の化学形態がどのような経路でつくられるかには未解明の部分が多く、生物の種類などから化学形態の構成を予測することはできないため、実際に測定する必要があると強調しています。

第三に、「有機ヒ素は安全」という従来の前提にも再検討の余地があるとしています。無機ヒ素が体内で代謝される途中で生じるメチル化された中間体には、細胞や遺伝子を傷つける性質が報告されています。脂溶性のヒ素化合物であるヒ素脂質の一部、特にヒ素を含む炭化水素は、細胞実験で強い毒性を示しました。脳の血管の関門を模した細胞モデルでは、亜ヒ酸より最大5倍強い毒性を示したと紹介されています。アルセノベタインについても、尿中の濃度と高血圧との関連を報告した研究がありますが、論文は、魚の摂取にともなう他の物質の影響を区別できていないなどの限界があり、再現の確認が必要だと述べています。現時点の食事からの摂取量ではアルセノベタインは健康上の懸念とならないとする欧州食品安全機関の見解が、依然として基準となる立場だとしています。

一方で、化学形態ごとの分析が日常的な監視にはあまり取り入れられていない現状も指摘されています。その理由として、妥当性が確認された分析法や認証標準物質(測定の正確さを確かめるための基準試料)の不足、費用の高さ、対応できる検査機関の少なさが挙げられています。さらに、魚介類の食べ方は集団によって大きく異なり、沿岸部や漁業に依存する地域社会では、集団全体の平均から想定されるよりもかなり多くのヒ素を摂取している場合があるとしています。

この総説が伝えること

著者らは、これらの知見を総合すると、総ヒ素の量に基づく大まかなふるい分けから、化学形態の情報と地域や集団ごとの食習慣を踏まえた、より現実的なリスク評価へ移行することが支持されると結論づけています。論文では、総ヒ素で代用してよい場合と化学形態の分析が必要な場合を区別する、段階的な評価の枠組みを暫定案として示しています。

魚介類の安全性は「ヒ素がどれだけ含まれているか」だけでは判断できず、「どの形のヒ素が、誰に、どのように摂取されているか」まで考える必要がある。それがこの総説の示す視点です。

原著論文の著者・所属:Rachel Ann Hauser-Davis(Laboratório de Avaliação e Promoção da Saúde Ambiental, Instituto Oswaldo Cruz (IOC), Fundação Oswaldo Cruz (Fiocruz), Rio de Janeiro, Brazil)、Oswaldo Luiz de C. Maciel(Fundação Instituto de Pesca do Estado do Rio de Janeiro (FIPERJ), Niterói, Brazil)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Rachel Ann Hauser-Davis, Oswaldo Luiz de C. Maciel. Beyond total arsenic: rethinking seafood-related arsenic risk assessments. Frontiers in Ocean Sustainability 2026-10-01. DOI: 10.3389/focsu.2026.1951412. 原著ライセンス:CC BY.