この研究は、インドネシアの研究機関の研究論文です。
掲載誌:Journal of Indonesian Islamic Studies.
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的と背景
原材料の値上がりは、小さな事業者ほど重くのしかかります。資本も生産能力も限られているため、仕入れ価格が上がっても、それをそのまま販売価格に上乗せするわけにはいきません。値上げすれば客足が遠のき、据え置けば利益が削られる——この板挟みのなかで、事業者は実際に何をしているのでしょうか。
本研究の著者らは、インドネシア・東ジャワ州トゥルンアグンにある家庭内で営まれる小規模飲食事業「Dapur Mamanau」を対象に、生産コストの上昇が事業活動にどう影響したか、それに対してどのような適応策がとられたかを調べました。さらにその実践を、イスラーム経済学の倫理的な原則という視点から検討しています。
著者らによれば、生産コスト上昇へのMSME(零細・中小企業)の対応は、これまでにも価格戦略、在庫管理、コスト効率、デジタル・マーケティングといった観点から研究されてきましたが、それぞれが別々に扱われる傾向がありました。一つの零細事業のなかで複数の適応策がどう組み合わされているのかを実証的に捉えること、そしてそれをイスラーム経済の原則を通して検討することが、本研究が埋めようとした空白です。
どのように調べたか
研究は質的な事例研究として設計され、2026年6月から7月にかけて行われました。調査対象は一つの事業に絞られており、著者らはこれを、一般化されたモデルの提示ではなく、文脈に即した実証的な記述を目的とするものだと位置づけています。
情報提供者は5名で、事業主1名を主たる情報提供者とし、消費者4名を補足的な情報提供者としました。消費者4名はいずれもトゥルンアグン在住の20〜30代の女性で、同事業の商品を3回以上購入した経験を基準に選ばれています。
聞き取りは半構造化インタビューという形式——あらかじめ用意した質問を軸にしつつ、必要に応じて追加で尋ねる方法——で、メッセージアプリのWhatsAppを通じて文書で行われました。情報提供者は2〜3日ほどかけて文章で回答し、不明な点があれば追加でやりとりがなされています。質問は、(1)コスト上昇の事業への影響、(2)とられた適応策、(3)イスラーム経済の価値観の考慮、(4)事業の継続性に関する取り組み、の4領域を扱いました。
分析は、回答文から意味のある記述を抜き出して符号(コード)を付け、それらをより大きなカテゴリーやテーマにまとめていくテーマ分析という手法で行われました。著者らは、あらかじめ結論を当てはめるのではなくデータから帰納的にカテゴリーを立てる方針をとり、さらに「日常的な業務すべてを適応策とみなさない」という区別を設けています。すなわち、生産コストの上昇、原材料の入手可能性、購買力、損失リスクとの関連が実証的に示された実践だけを適応策として扱いました。情報の信頼性については、事業主の説明と消費者の経験を突き合わせる源泉トライアンギュレーションと、事業主の回答の要約を消費者に示して確認を求めるメンバーチェックが用いられ、消費者4名はいずれも内容を確認し、訂正や追加は示しませんでした。
報告された主な結果
まず、圧力の内容です。事業主は、基本的な材料の価格が上がる一方で販売価格は据え置いており、コスト増の一部を事業側が吸収していたと説明しています。原材料価格の上昇は得られる利益に大きく影響した一方、販売価格を上げていないため消費者の購買力は変わらないままだ、という認識も語られました。さらに、価格上昇だけでなく、特定の原材料が入手しにくくなるという供給面の困難もあわせて報告されています。
これに対する対応は、単一の策ではありませんでした。事業主自身は「特別な戦略はなく、品質と品揃えを保つことに注力している」と述べていますが、著者らはそこから複数の調整を見いだしています。具体的には、品質を落とすような削減はせず製品の品質と種類を維持すること、売上原価(COGS)と人件費に加えて狙う顧客層も主要な判断材料としたこと、需要の動向を見ながら新しい商品の種類を試すこと、そして生産量の調整です。
このうち生産量の調整は、コスト圧力との結びつきが最も明確に語られた点でした。事業主は、購買力が落ち込む日もありうるため市場を理解して生産量を調整し、損失の可能性を抑える必要があると述べています。著者らはこれを、購買力の低下の見込みと損失回避に明示的に結びつけられた適応として扱っています。
一方、SNSの活用については扱いが慎重です。事業主は広告と販売の主要な手段としてSNSを挙げましたが、それを生産コストの上昇を理由に始めたとは明言していません。そのため著者らは、これを原材料費上昇への直接の対応としてではなく、市場へのアクセスを保つための補助的なマーケティング実践として位置づけました。
価格変更のしかたについても語られています。事業主は、価格を変える前には十分に前もって情報を伝えるのが常であり、品質を落とすよりも販売価格をわずかに上げて品質を保つほうがよいと考えている、と述べました。このほか、身体に有害となりうる化学物質を使わないこと、受け取る品質に見合った販売価格にすること、製造工程での清潔さを優先して衛生を確保することが、それぞれ誠実さ・公正さ・責任として言及されています。
著者らはこれらの実践を、イスラーム経済学の5つの原則を分析の視点(レンズ)として解釈しました。価格と消費者の手の届きやすさへの配慮を'adl(公正)、価格変更の可能性を伝えることをshiddiq(誠実)、品質・衛生・安全の維持をamanah(信頼に応える責任)、不必要な損失を防ぎつつ事業を続けることをmaslahah(益の追求と害の回避)、透明な情報伝達をtarāḍin(相互の納得)として読み解いています。著者らは、あらゆる商慣行が自動的にイスラーム的価値を体現しているとみなすのではなく、実証的に確認された実践に対して事後的にこれらの基準を当てはめた、と説明しています。
この研究が示すこと
この事例が描き出しているのは、生産コストの上昇への対応が「値上げするかしないか」という一本の選択ではないということです。価格の調整は、品質の維持、品揃えの工夫、生産量の見直し、顧客層の見極めといった判断と組み合わさった、適応の一つの構成要素として現れていました。
そしてもう一つ、この研究は、そうした経済的な判断が倫理的な考慮と切り離せない形で行われている様子を記述しています。値上げの前に知らせる、品質を落とす代わりに少し価格を上げる、衛生を守る——事業主の語りのなかでは、採算の計算と消費者への責任が同じ判断のなかに同居していました。著者らが本研究の貢献を、一般化されたモデルではなく実証的で文脈に即した記述にあると述べているのは、この具体性にこそ意味があるという見立てからでしょう。
著者:Zaenudin(Universitas Teknologi Muhammadiyah Jakarta)、Mohammad Saiful Rifai(Sekolah Tinggi Agama Islam (STAI) Muhammadiyah Tulungagung)、Junet Kaswoto(Universitas Muhammadiyah Tangerang)、Jihan Nabila Zahara(Universitas Muhammadiyah Ponorogo)、Mukhamad Rinda Rifa'i(Universitas Cahaya Surya)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Zaenudin, Mohammad Saiful Rifai, Junet Kaswoto, et al. MSME Adaptation Strategies in Facing Rising Production Costs: An Islamic Economic Perspective. Journal of Indonesian Islamic Studies. 2026-09-28. DOI: 10.24256/jiis.v6i1.12485. 原著ライセンス:CC BY.