SNSでは、70代で完走するアメリカ人ランナーや高齢でも重量挙げを続ける海外の高齢者の映像がしばしば話題になる一方、インドの家庭では60歳前後から膝の痛みを訴える人が多いという対比がよく語られてきました。こうした違いは、遺伝や食生活の違いとして片づけられがちですが、実際のデータはどうなっているのでしょうか。本記事で紹介する論文は、この『通説』を検証し直そうとしたものです。世界保健機関(WHO)の健康寿命(HALE)指標や、インドで実施された大規模高齢化調査(LASI:Longitudinal Ageing Study in India)などのデータを用いて、インドにおける『健康に過ごせる期間』と『平均寿命』のギャップがいつ、なぜ生じているのかを検討しています。著者はNarayan Rout氏(Thequestsage.com)です。

平均寿命と『健康寿命』のギャップは、他国よりも二十年以上早く始まる

論文はまず、WHOの健康寿命(HALE)という指標に注目します。これは、障害や介助への依存なしに『健康に生きられる年数』を示すもので、単なる平均寿命とは異なります。論文が示すデータによれば、日本の平均寿命は約84歳、HALEは73.4歳で、その差(不健康な期間)は約10.6年です。シンガポールは平均寿命約83歳・HALE73.6歳で差は約9.4年、韓国は平均寿命約83歳・HALE72.5歳で差は約10.5年とされています。一方インドは、平均寿命が約70歳、HALEが約60歳で、差はおよそ10年と他国と近い数値ですが、その『不健康な期間』が始まる年齢が60歳前後と、日本や韓国よりも20年以上早いという点が論文の核心的な指摘です。なお、これらの映像の発信源として多いアメリカ合衆国は、豊かな国の中で最も低いHALE(63.9歳)であることも本文中で率直に触れられており、著者は『西洋がすべてうまくいっている』という単純な構図ではないと注意を促しています。

LASI調査が示す虚弱(フレイル)の実態——男女で異なる要因

論文が主な根拠として用いるLASI(インド高齢化縦断調査)は、インド全35州・連邦直轄領を対象にした大規模な全国代表調査で、45歳以上の成人を対象としています。虚弱(フレイル)の判定には、疲労感・意図しない体重減少・握力の弱さ・身体活動量の低さ・歩行速度の低下という5項目からなる国際的に使われる評価基準(Fried's frailty phenotype)が用いられました。その結果、60歳以上のインド人成人のおよそ30%が臨床的な意味での虚弱に該当すると報告されています。地域ごとの研究では20〜29%という報告もある一方、比較として挙げられた2017年の中国の研究では虚弱の割合はわずか3.9%とされており、大きな差が見られますが、著者は調査対象や方法の違いがあるため厳密な比較ではなく目安として捉えるべきだとしています。

さらに、虚弱の予測因子には男女差があることも示されています。男性では、握力の弱さが最も強い予測因子とされ、60歳以上の男性の79.1%、75歳以上では約95%が握力低下に該当するとされました。測定された平均握力は男性32.26kg、女性23.70kgで、いずれも国際的な参考基準を下回る水準だとされています。一方、女性では身体活動量の不足が最も強い予測因子であり、60歳以上の女性の81.6%が身体活動不足に該当すると報告されています。著者はこの男女差から、筋力トレーニングを中心とした対策は男性側の課題には合うものの、女性にはむしろ安全に体を動かせる機会や環境そのものを増やすことがより重要かもしれないと述べています。

骨密度低下、ビタミンD不足、カルシウム摂取量の減少

骨の健康に関するデータも紹介されています。インドの複数の骨密度研究をまとめたデータでは、女性の骨粗鬆症の割合は40代で約3.4%、50代で14.3%、60代で18.6%、70歳以上では36.4%まで上昇するとされています。個別の地域研究では、閉経後の女性の40〜50%が、体のいずれかの部位で骨粗鬆症に該当したとする報告もあるとされています。

この背景として論文が挙げるのが、ビタミンD不足とカルシウム摂取量の減少です。インドの複数の研究で、成人の70〜90%がビタミンD不足の状態にあるとされており、著者はこれを日照量そのものの不足ではなく、衣服による日光曝露の制限、屋内労働、日焼け止めの使用、大気汚染によるUVB遮断、そして食事からのビタミンD摂取量の少なさによるものだと説明しています。ビタミンDが不足すると、カルシウムをどれだけ摂取しても体内での吸収がうまく進まないことも指摘されています。加えて、インドの食事調査データを集計した結果、1日あたりの食事性カルシウム摂取量は1975〜79年の約606mgから2011〜12年には約433mgへと減少した一方、公式の推奨摂取量(RDA)はこの間に400mgから600mgへと引き上げられており、必要量と実際の摂取量の差が両方向から広がっていると論文は述べています。牛乳・乳製品の摂取量も、1970年代後半の1日約116gから2011〜12年には95gに減少しており、推奨される150gを下回っています。

論文が挙げる5つの要因と、伝統医学との関係

論文は、このギャップを遺伝ではなく5つの『改善可能な』習慣的要因によって説明しようとしています。第一に、筋肉量や骨量がピークに達する20〜30代の時期を、学業や仕事のプレッシャーのもとで身体づくりに充てられないまま過ごすこと(論文では30〜55歳のインド人の約71%に筋肉の健康状態の低下がみられるとする調査に言及しています)。第二に、インドには『歩く文化』はあっても、負荷をかけて筋肉を鍛える『筋力トレーニングの文化』が乏しいこと。第三に、ギーや全乳、高炭水化物を中心とした伝統的な食事は、もともと農作業のような身体労働を前提に設計されたものであり、それが座りがちな現代の生活様式にはそのまま合っていない可能性があること。第四に、ビタミンDやタンパク質の摂取不足が深刻であること(インド人の1日あたりタンパク質摂取量は平均約47gとされ、世界平均とされる約68gを下回っていると紹介されています)。第五に、高齢者を気遣うあまり、階段の上り下りや荷物運びなど身体を動かす機会を家族が代わりに担ってしまうという、善意に基づく文化的習慣が、かえって筋力低下を助長しうるという点です。

論文はまた、インド伝統医学アーユルヴェーダの古典文献『チャラカ・サンヒター』(Sutrasthana 7.31-33)を取り上げ、そこでは運動(ヴィヤーヤーマ)が、力と安定性を得るための身体運動として毎日(nityam)、全力の半分程度(ardha shakti)の強度で行うべきものと定義され、体の軽さ、作業能力の向上、持久力、体脂肪の減少、消化力の向上といった効果が挙げられていると紹介しています。別の古典『スシュルタ・サンヒター』でも、運動は健康維持のための最善の実践の一つ('ekanta pathyatama')とされているとのことです。著者はこれらを踏まえ、伝統的な食事だけを『健康的な伝統』として強調する見方は、本来セットであった運動の要素を欠いており、伝統の一部だけが選択的に受け継がれてきた可能性を指摘しています。

この記事を読むうえでの留意点

本記事はThequestsage.comに掲載された論考であり、査読付き学術誌の実証研究というよりも、WHOの公表データやLASI調査など既存の統計・研究データを集約し、論考として整理したものです。著者自身も、インドと中国の虚弱割合の比較について、調査対象や方法の違いがあるため厳密な比較ではなく目安として読むべきだと述べているほか、移住したインド系住民の健康状態が遺伝ではなく環境要因を反映しているとする議論についても、個別の実証データというより既存知見に基づく推論として提示されています。特定の食品や成分が病気を予防・改善するといった断定的な結論は述べられておらず、生活習慣や栄養状態に関する複数の要因が指摘されているひとつの論考として読むのが適切です。

※本記事は下記の原著論文を紹介するものです。参考文献:10年のギャップ:他国が全盛期として過ごす10年間を、なぜインド人は衰退期として過ごすのか―5つの改善可能な理由(ゼノドー(欧州原子核研究機構)・2026年08月)