著者の所属・活動拠点の国は、ルーマニアです。

掲載誌:Vegetation History and Archaeobotany

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

焦げた穀物の塊は「料理」の跡か

キビやアワなどの雑穀は、生育期間が短く、気候が不安定な土地でも収穫が比較的安定するため、ヨーロッパ中部・南東部の青銅器時代から鉄器時代にかけて重要な作物になっていきました。近年の植物考古学では、どんな作物が育てられていたかだけでなく、それが実際にどのような料理に加工されていたかに関心が移っています。その手がかりになるのが、遺跡から見つかる、穀物が焼けて固まった塊です。

ただし、この種の塊の解釈は簡単ではありません。粥やパンなどの調理済み食品が焦げたものかもしれない一方で、貯蔵していた穀粒が火事などで焼けて互いにくっついただけの場合もあります。実験研究では、キビやアワの粒を高温にさらすと、料理をしなくても粒同士が炭化した物質で結び付けられ、食べ物の残りに似た塊ができることが示されています。見た目だけでは判断できないということです。

研究チームは、ルーマニア北西部の重要なダキア人集落シムレウ・シルヴァニエイ=チェターテから出土した炭化した塊を調べ、それが加工された雑穀の食べ物の残りと考えてよいかを検討しました。ダキアはローマ支配以前のこの地域を指し、これまでの研究は主に単独の穀粒や貯蔵穀物に向けられ、調理された穀物食品の直接的な証拠は極めてまれでした。著者らは、特定のレシピを突き止めることや、塊ができた過程を実験で再現することは目的にしていないと述べています。

二つの塊をどう調べたか

対象は、多数の炭化植物遺物の中から、保存状態がよく、穀粒が密に含まれる塊2点です。一つ(試料5)は、銀や青銅の加工が行われた金属工房から出土しました。この工房には職人の生活空間もあり、炉の残りや土器片、動物の骨などから、同じ場所で食事の支度や食事も行われていたと考えられています。もう一つ(試料9)は、区画に分かれた大きな住居の、炉のある部屋から見つかりました。

研究チームは、デジタル顕微鏡と走査型電子顕微鏡で、割れた面や内部の構造を観察しました。注目したのは、パンのように外側の皮と内側の部分が分かれているか、発酵でできる気泡のような穴があるか、内部が均質か、穀粒がどのように散らばっているか、といった点です。こうした特徴は、焼いたパン状の食品と、水を加えて煮た穀物食品を見分ける手がかりとして使われてきました。

年代については、塊そのものを壊して測ることが難しかったため、試料9と同じ住居の炉の部分から出た炭化したソラマメの種子を放射性炭素年代測定にかけました。ソラマメのように一年で育つ植物は、古い木材などに比べて年代のずれが起きにくいとされます。

見えてきた特徴

2点の塊は最大で2〜5センチほどの不規則な形で、黒っぽく、中が詰まっていました。小さな雑穀の粒が表面だけでなく内部全体に均等に埋まっており、パンに見られる外皮と中身の区別はありませんでした。大きな気泡や発酵による空洞も見られず、内部は緻密で均質でした。電子顕微鏡では、穀粒が周囲の炭化した物質としっかり一体化している様子が確認されました。

粒の形から、塊の主成分はキビ・アワ類の小さな雑穀でした。いくつかの粒は細長くアワに近い形をしていましたが、焼けて変形したり塊に埋もれたりしていたため、著者らはキビかアワかを一つに決めず、「キビ・アワ類」という慎重な分類にとどめています。分析した範囲では、大麦の粒は確認されませんでした。

粒の周りには籾殻の破片が多く残っていました。一方、茎や芒(のぎ)など、脱穀前の植物の粗い部分は見つからず、細かく挽いた粉の痕跡もありませんでした。著者らはこれを、穀物がある程度きれいにされ、籾殻を一部取り除いたうえで粗く搗かれた状態だったことを示すものと解釈しています。民族誌や実験研究でも、粥などの粗い料理にする雑穀では籾殻が完全には除かれないことが知られています。

ソラマメの年代は紀元前1世紀から紀元1世紀にあたり、この集落でのダキア人の居住の最も新しい段階に相当しました。

結果が意味すること

研究チームは、粗い植物片がないこと、内部が均質であること、穀粒が全体に溶け込むように分布していること、そして生活の場から出土したことを合わせて考えると、これらの塊は貯蔵穀物が偶然焼けたものではなく、加工された穀物食品の残りである可能性が高いと結論づけています。特に、パンのような構造を欠くことから、焼いたパンではなく、水と一緒に煮たり加熱したりした、粥のような食べ物だったと考えられるとしています。

著者らは、収穫、乾燥、脱穀、部分的な籾すり、粗い搗き、水との混合、煮炊きを経て、最後に偶然焦げたという流れが観察結果と矛盾しないと述べています。同時に、塊の結び付きの一部が加熱による粒の融着で生じた可能性は完全には否定できないとも記しています。

この研究は、ローマ以前のダキアで、雑穀が単に栽培・貯蔵されるだけでなく、粥のような料理として日々の食生活に取り入れられていたことを示す、数少ない具体的な事例を提示したものといえます。

原著論文の著者・所属:Beatrice Ciută(Department of History and Archaeology, “1 Decembrie 1918” University of Alba Iulia, Alba Iulia, Romania)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Beatrice Ciută. Charred millet-based food remains from the Dacian settlement of Șimleu Silvaniei-Cetate (Romania): evidence for wet-prepared cereal consumption in the Late Iron Age. Vegetation History and Archaeobotany 2026-08-12. DOI: 10.1007/s00334-026-01142-2. 原著ライセンス:CC BY.