著者の所属・活動拠点の国は、フランスです。
掲載誌:PLoS ONE
ライセンス: CC BY 4.0 対象: 公開論文 確認元: 論文PDF
記録の乏しい貝の歴史を、別の資料から探る
地中海の岩場には、英語で「thorny oyster(とげのあるカキ)」と呼ばれる二枚貝、スポンディルス・ガエデロプスがすんでいます。名前にカキと付きますが、研究ではいわゆる本物のカキ(オストレア属)とは区別して扱われています。論文によると、この貝は寿命が長く成長が遅いうえ、くっつく岩などの基盤を選ぶ性質が強いため、環境の変化や人間活動の影響を受けやすい可能性があります。先史時代には殻がビーズや装身具に加工され、海から遠い内陸の遺跡からも見つかっていることから、広い交易の中で価値の高い品だったと考えられています。
一方で、近代以降にこの貝がどうなってきたかについては、生態学的な記録が少なく断片的です。研究チームは、継続的な科学的調査がない部分を補うため、絵画、文書、口頭の証言、地域の知識といった「従来とは異なる資料」を生物学的な知見と組み合わせ、イタリアにおけるこの貝の過去と現在の姿を再構成しようとしました。
静物画を一枚ずつ見て、貝を見分ける
研究チームはまず、16〜18世紀に描かれ、海の生き物が登場するイタリアの静物画365点を調べました。このうち、新鮮な貝類やホヤが描かれた127点について、高解像度の画像で細部を観察しました。形、色、殻の筋やとげ、ちょうつがい部分の特徴を実物の標本と比べ、よく似たホタテガイ、カキ、カサガイ、食用のホヤ(シーフィグ)などと区別しました。この貝を見分ける決め手としたのは、黒いじん帯、独特のちょうつがい構造、殻の外側に付着する生物、そして内側のオレンジ色から黄色の身と大きな中央の筋肉といった特徴です。
あわせて、絵に描かれた貝の大きさを、同じ絵の中のウニの直径や人の指の骨の長さなどを物差しにして推定し、19点の絵画で計84個の貝を測りました。さらに、博物学者の記録や方言辞典などの文書、SNSや口コミサイトに投稿された現代の写真や体験談を調べたほか、ナポリの高齢の釣り人に聞き取りを行いました。
絵画・文書・証言から見えてきたこと
絵画のタイトルにこの貝の名前が出てくるものは一つもありませんでした。それでも研究チームは、形の特徴から43点の作品でこの貝を確認しました。新鮮な貝類やホヤが描かれた127点のうち約34%にあたり、カキ(68点)に次いで多い結果です。これらの作品は1635年から1750年にかけて13人の画家によって描かれ、多くはナポリで活動した画家のものでした。特にナポリのレッコ一族の画家3人の作品が43点中30点を占めていました。一方、美術史の目録では、この貝がホタテガイや「東洋のカキ」などと誤って記載されている例もありました。
文書の記録では、18世紀末から19世紀初めの博物学者がアドリア海北部の岩場にすむ「食用だが多くはない」貝として記述しており、19世紀にはトリエステの魚市場でときおり売られ、ターラント湾では豊富だったと報告されていました。各地にはさまざまな方言名が残っており、殻を覆う赤い海綿にちなむ「赤いカキ」といった呼び名もあります。
聞き取りに応じた80代の釣り人は、1959〜1962年ごろ、ナポリ沿岸のガイオラ島付近で、マスクとナイフと網だけを使い、水深2メートルほどの場所で採っていたと語りました。4月から9月ごろの暖かい季節に、1回の潜水で10〜20個ほど採れ、大きさは5〜6センチほど、レモンをかけて生で食べたといいます。現在は地中海全体で利用がごく限られていますが、南イタリアのサレント地方では「インペリアル・オイスター(皇帝のカキ)」の名でSNSや飲食店の宣伝に登場しています。ネット上の漁業者の証言では、かつては密集した貝の群れがあったものの、1970年代末にほぼ崩壊し、その後一部回復したとされています。
絵画と現代の写真の貝の大きさの比較について、著者らは、見られた違いは大きな個体を選んで採る漁獲の影響とも矛盾しないと述べています。ただし、絵画からの測定は間接的な縮尺や画家の表現に左右されるため、方法上の大きな制約があることも強調しています。
芸術や記憶は「生き物の記録庫」になりうる
著者らは、この貝が16〜18世紀の絵画にたびたび描かれ、その後の博物学の記録にも登場することから、かつては地中海中部の岩場に多くいたと考えられる一方、現在ははるかに少なくなっており、個体数の変化は十分に記録されていないとまとめています。科学的な継続調査がないため、現状や減少の程度を正確に評価することは難しいとしています。
この研究が示すのは、静物画や古い文書、人々の記憶が、科学的な記録の乏しい生き物の過去を知る手がかりになるということです。著者らは、芸術作品の制約に注意しつつ複数の独立した資料を突き合わせることで、忘れられかけた種の歴史や、人と生き物の長い関わりを掘り起こせると結論づけています。
原著論文の著者・所属:Louise Merquiol(Aix-Marseille Univ, CNRS, TELEMME, Maison Méditerranéenne des Sciences Humaines et sociales; Aix-Marseille Univ, Université de Toulon, CNRS, IRD, MIO, Campus Technologique et Scientifique de Luminy)、Anne-Sophie Tribot(Aix-Marseille Univ, CNRS, TELEMME, Maison Méditerranéenne des Sciences Humaines et sociales)、Daniel Faget(Aix-Marseille Univ, CNRS, TELEMME, Maison Méditerranéenne des Sciences Humaines et sociales)、Thomas Changeux(Aix-Marseille Univ, Université de Toulon, CNRS, IRD, MIO, Campus Technologique et Scientifique de Luminy)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Louise Merquiol, Anne-Sophie Tribot, Daniel Faget, et al. Hidden in historical sources: Rediscovering the thorny oyster (Spondylus gaederopus Linnaeus, 1758) in art, archives, and cultural knowledge. PLoS ONE 2026-10-14. DOI: 10.1371/journal.pone.0356273. 原著ライセンス:CC BY.