発酵食品の中には、カルバミン酸エチル(EC)と呼ばれる物質がごく微量に生じることがあります。ECは発がん性が指摘されている物質で、穀物由来の酒類などの発酵過程で自然に生成することが知られています。これを取り除く方法として、化学的な処理ではなく酵素の力で分解する手法が注目されています。しかし、中国の伝統的な蒸留酒である白酒(バイジウ)の場合、話はそう単純ではありません。白酒の香りを形づくっている揮発性エステル類が、EC分解酵素と結合を奪い合ってしまい、風味を損なう可能性があるためです。今回、大連工業大学などの研究グループが、このジレンマに取り組んだ研究を報告しました。

研究の出発点は、Acinetobacter calcoaceticusという細菌に由来するEC分解酵素「AcECH」です。この酵素はECを分解する働きを持つ一方で、白酒の香り成分である酢酸エチルや吉草酸エチル、ヘキサン酸エチルといったエステル類にも結合してしまい、これらを分解してしまうことが課題でした。研究チームは、分子ドッキングや分子動力学(MD)シミュレーションといった計算科学的手法を使い、酵素がどのようにECや香気エステルを認識し結合しているのかをまず解析しました。そのうえで、酵素反応速度の測定、生体分子間相互作用を調べるバイオレイヤー干渉法(BLI)、香気成分を分析するガスクロマトグラフィー・イオン移動度分析法(GC-IMS)を組み合わせ、実験的にも検証を行っています。

基質を選り分ける酵素への改良

計算による予測と実験による確認を重ねた結果、研究チームはAcECHのアミノ酸配列に変異を加えた「F157G」という変異体が、基質の認識を変えるうえで最も適していると結論づけました。この変異体を野生型(元の酵素)と比較したところ、酢酸エチル・吉草酸エチル・ヘキサン酸エチルの分解速度はそれぞれ野生型の64.23%、49.28%、34.08%まで低下したことが報告されています。つまり、白酒の香りを支えるこれらのエステル成分が、酵素によって分解されにくくなったということです。

一方で注目すべき点は、F157G変異体がECに対する見かけ上の結合力を高めつつ、EC自体を分解する働きはおおむね維持していたことです。これは、香気成分は分解しにくくしながら、本来の目的であるECの分解能力は大きく損なわずに済んだことを意味します。研究チームはこの結果を、AcECHの基質に対する好みが変化したことを示すものと位置づけています。

この研究の位置づけと読むうえでの注意

この研究は、あくまで酵素の基質認識メカニズムを解析し、特定の変異体が有望であることを実験室レベルで示したものです。実際の白酒製造の現場でこの酵素がどの程度実用化されるか、あるいは風味全体への影響がどうなるかについては、この要旨の範囲では言及されていません。一つの研究として得られた知見であり、結論が確定したものではない点に留意する必要があります。なお、本研究に日本の研究機関や日本の食品・食習慣への直接的な言及は見当たりませんでした。

まとめ

この研究は、発酵食品に含まれる発がん物質ECを酵素で分解する際に生じる、風味成分との「取り合い」という課題に着目したものです。AcECHという酵素にF157Gという変異を加えることで、香気エステルの分解を抑えつつECの分解機能を保つ可能性が示されたと報告されています。安全性と風味の両立を目指す酵素設計の一例として、今後の研究の発展が注目されます。

※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Binchen Wang, Naihui Dong, Siyu Xue, et al. Substrate Recognition Analysis in an Ethyl Carbamate-Hydrolyzing Esterase and Semi-Rational Baijiu Flavor Preservation. フーズ (2026). DOI: 10.3390/foods15173118. 原著ライセンス: cc-by.