小麦を原料とするパンは、精白の過程でふすまや胚芽が取り除かれるため、もともとリジンというアミノ酸が少ないことが知られています。リジンは体の組織の成長や細胞の再生に必要とされる必須アミノ酸で、不足しがちな栄養素を補うために小麦粉へ添加する試みも行われています。しかし添加したリジンは、焼く工程でその一部が失われてしまうことがあります。今回紹介する研究は、パンの焼成条件(温度と時間)を変えたときに、添加したリジンがどれくらい失われるのかを実験室レベルで調べたものです。

この損失の背景にあるのが「メイラード反応」と呼ばれる化学反応です。これは、タンパク質中のアミノ基(リジンの場合は特に反応性の高いε-アミノ基)と、小麦粉に含まれる還元糖が高温・適度な水分のもとで結びつき、褐色の色素(メラノイジン)を生み出す反応で、パンの焼き色や香ばしさのもとにもなっています。ただし、この反応でアミノ基が糖と結合してしまうと、消化酵素がその結合を切断できなくなり、リジンは体内で利用できないまま便として排出されてしまいます。論文では、リジンは α-アミノ基とε-アミノ基の2つの反応性アミノ基を持つため、他のアミノ酸よりも糖と反応しやすいと説明されています。

研究でわかったこと

実験では、実験室用のパン生地(サムーン、イラクなどで作られる伝統的な小麦パン)に、小麦粉重量に対して0.0%、0.1%、0.2%、0.3%、0.4%のL-リジン塩酸塩(味の素社製)を添加し、次の3つの条件で焼成しました。(1)200℃で15分、(2)230℃で10分、(3)250℃で5分。それぞれの条件で、パン全体、外側の皮(クラスト)、内側のやわらかい部分(クラム)ごとに、焼く前後の有効リジン量を測定しています。

結果は次のような傾向を示しました。まず、焼成温度が低く焼成時間が長いほどリジンの損失は大きくなり、逆に高温・短時間ほど損失は小さくなりました。たとえば添加量0.4%の場合、パン全体でのリジン損失率は200℃・15分で38.16%、230℃・10分で32.84%だったのに対し、250℃・5分では20.86%にとどまりました。次に、添加するリジンの割合が多いほど、損失の割合(%)も大きくなる傾向が見られました。さらに、どの焼成条件でも、外側の皮(クラスト)での損失率が、パン全体や内側のクラムより一貫して高いことが確認されました。これは皮がオーブン内の熱に直接さらされてメイラード反応が進みやすく、褐変も強く出るためと説明されています。実際、皮の色の濃さとリジン損失の大きさには関係があるとされ、リジン添加量が多いほど焼き色も濃くなる傾向が確認されました。感覚評価(1〜10点、1が生焼けのような白さ、10が焦げた茶色)では、添加量0.2〜0.3%で好ましい黄金色(5〜6点)の焼き色が得られた一方、0.4%では濃い茶色(8点)となり、焼き色が濃くなりすぎる可能性も示されています。なお、電子レンジで加熱した場合はほとんど焼き色がつかず(1点)、パサついた状態になったことも報告されています。これは電子レンジの加熱が水分子の誘電加熱によるもので、表面が高温にさらされる時間も短いため、メイラード反応が進みにくいためだと説明されています。総合すると、この研究では250℃で5分という高温・短時間の条件が、他の2条件と比べてリジンの損失が最も小さかったとしています。

この研究の位置づけ・読むうえでの注意

この研究は、実験室で作られた特定のパン生地(サムーン)と、L-リジン塩酸塩という特定の添加形態を対象にした実験であり、条件や添加物が異なるパン・製法にそのまま当てはまるとは限りません。また、リジンの損失や焼き色の評価は、あくまでこの実験で設定された温度・時間・添加割合の範囲内での結果であり、他の温度帯や、家庭用オーブンなど異なる加熱環境での結果を保証するものではありません。あくまで一つの研究であり、パン作りにおけるリジン保持の最適解を確定づけるものではない点には留意が必要です。

まとめ

この研究では、パンに添加したリジンの損失が、焼成温度が低く時間が長いほど大きくなり、添加量が多いほど損失割合も増える傾向が確認されました。また、パンの皮の部分は内側の生地より損失が大きく、これはメイラード反応による焼き色形成と関係していると考えられています。実験した範囲では250℃・5分という高温短時間の焼成が、リジンの損失を抑えるうえで比較的有利だったとされていますが、これは特定の実験条件下での結果であることを踏まえて読む必要があります。

※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Kamil Mahdi Saleh. Effect of Baking Processing Conditions on the Loss of Available Lysine Added to Bread Flour. ヨーロピアン・ジャーナル・オブ・エコロジー・バイオロジー・アンド・アグリカルチャー (2026). DOI: 10.59324/ejeba.2026.3(4).09. 原著ライセンス: cc-by.