マダニは吸血によってウイルスや細菌を媒介する衛生害虫として知られ、なかでもヨーロッパに広く分布するIxodes ricinusは、ダニ媒介性脳炎ウイルスやライム病の原因菌であるBorrelia burgdorferi sensu latoの主要な媒介者とされています。こうしたマダニがどのようにして宿主の血液を認識し、効率よく吸血するのかという仕組みは、感染症対策を考えるうえでも関心を集めてきたテーマです。今回紹介する研究は、このマダニの体内で働く「C型レクチン」と呼ばれる糖結合タンパク質の一種に着目し、その構造と機能を調べたものです。
C型レクチンは無脊椎動物において自然免疫に関わることが多いタンパク質で、I. ricinusのトランスクリプトーム(発現している遺伝子の情報)からも複数の候補が予測されていました。しかし、マダニにおけるレクチンの機能についてはまだ十分にわかっていない部分が多いとされています。そこで研究チームは、新たに同定した3つの糖認識ドメイン(CRD1、CRD2、CRD3)を持つC型レクチン「IrCLec」を対象に解析を行いました。
構造と糖への結合性を調べる
まず、AlphaFold 3というプログラムを用いて、CRD1・CRD2・CRD3それぞれの立体構造が予測されました。その結果、3つのドメインはいずれもC型レクチンに典型的な構造を示すことが確認されています。ただし、糖と結合する部分に注目すると、CRD3には保存された結合モチーフが見られた一方で、CRD1とCRD2には一般的なパターンとは異なる非典型的なモチーフが存在していたと報告されています。
次に、Hisタグを付加した組換えCRDタンパク質を作製し、実際にどのような糖に結合するかを調べる実験が行われました。糖鎖アレイ解析では、3つのドメインすべてが特定の糖鎖に結合することが確認されました。さらに、赤血球を用いた凝集反応(ヘマグルチネーション試験)では、CRD1とCRD2がヒト赤血球のA型・B型・O型それぞれの血液型抗原に対して顕著な結合活性を示したとされています。
吸血時の体内での働き
IrCLecの発現量を調べたところ、マダニの中腸(消化管の一部)で最も高く、血球細胞(ヘモサイト)でも検出されました。また、吸血後にはこの遺伝子の発現量が上昇することが観察されています。さらに、RNA干渉(RNAi)によってIrCLecの働きを抑えたニンフ(マダニの幼若期の一段階)では、吸血の効率が低下したことが報告されました。これらの結果から、IrCLecは主にマダニの中腸に存在し、各ドメインがそれぞれ異なる糖結合の性質を持ちながら、吸血という行動に何らかの役割を果たしている可能性が示唆されています。
この研究の位置づけ
この研究は、マダニ1種(I. ricinus)を対象に、実験室で作製した組換えタンパク質や糖鎖アレイ、赤血球凝集試験、RNAiによる遺伝子抑制実験などを組み合わせて行われたものです。ヒトの血液型抗原への結合が確認された点は興味深い知見ですが、これはあくまで実験系での結合活性を示したものであり、実際の吸血行動やマダニの生態全体における役割の全貌を説明するものではありません。一つの研究であり、結論が確定したわけではない点に留意する必要があります。
なお、本研究はチェコの複数の研究機関(マサリク大学、南ボヘミア大学、チェコ科学アカデミー生物学センター寄生虫学研究所)に所属する研究者らによって行われており、日本の研究機関の関与や日本の食品・生産・食習慣への言及は、提供された情報の中には見当たりませんでした。
まとめ
本研究は、マダニIxodes ricinusが持つ新規のC型レクチン「IrCLec」について、3つの糖認識ドメインの立体構造や糖結合の性質、体内での発現部位、そして吸血効率への関与を調べたものです。中腸を中心に発現し、吸血後に発現が高まるという結果や、RNAiによる抑制で吸血効率が低下したという知見は、マダニの吸血メカニズムを理解するうえでの手がかりの一つとして位置づけられます。ただし、これらはあくまで実験室レベルでの知見であり、今後さらなる検証が必要とされる段階にあります。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Kateryna Kotsarenko, Ondrej Hajdusek, Martina Rievajová, et al. A newly identified three-domain C-type lectin associated with blood feeding in the tick Ixodes ricinus. ティックス・アンド・ティックボーン・ディジージズ (2026). DOI: 10.1016/j.ttbdis.2026.102700. 原著ライセンス: cc-by.