この研究は、インド、スウェーデンの研究機関の研究論文です。
掲載誌:Frontiers in Plant Science
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
なぜモリンガに注目するのか
世界の人口増加と気候変動が進むなか、少数の主要穀物に頼った食料生産は、収量の変動や微量栄養素の不足に弱いと指摘されています。著者らは、栄養価が高く気候変動にも強い作物へ生産を多様化することが、食料と栄養の安全保障を守る重要な戦略になると述べています。
その候補として取り上げられているのがモリンガ(Moringa oleifera)です。論文によれば、若い莢や葉は野菜として、乾燥葉の粉末は微量栄養素の補助食品として、種子の搾りかすは家畜の飼料として、種子油は化粧品やバイオディーゼルとして利用され、根や樹皮、花は伝統医療にも使われてきました。さらに、砕いた種子は水を澄ませる天然の凝集剤として働くため、環境面での役割もあるとされています。
ただし著者らは、モリンガの利用が広がりにくい理由として「抗栄養素(ANFs)」の存在を挙げます。これはアルカロイド、タンニン、サポニン、シュウ酸、グルコシノレート、フィチン酸などの成分の総称で、体内でのミネラルの吸収やタンパク質の消化を妨げ、量が多い場合には健康への悪影響につながりうるものです。また、モリンガ粉末を加えた食品が強い緑色や苦味を帯びて受け入れられにくい点も、こうした成分と関係が深いと説明されています。
この論文が整理したこと
この論文は新たな実験を行った報告ではなく、既存の研究を集めて整理した総説(レビュー)です。著者らは、モリンガの植物学的な特徴や品種の多様性をまとめたうえで、収量と栄養の質を高めながら抗栄養素を減らすための遺伝学的・生物工学的な手法を概観しています。具体的には、ゲノム情報などを扱う「オミクス」資源、従来型の品種改良、微生物による発酵、そして新たに登場したゲノム編集の各戦略が対象です。
著者らは、モリンガについては植物化学や薬理、栄養特性を扱った総説が数多くある一方で、遺伝資源と育種の歴史、新しいゲノム資源、そして抗栄養素を減らす方法どうしの体系的な比較には、これまで十分な関心が払われてこなかったと述べています。そこでこの論文は、作物改良の手法を整理し、主要な抗栄養素に関わる候補遺伝子の情報をまとめ、微生物発酵とゲノム編集にもとづく戦略を批判的に検討するという三つの目的を掲げています。
報告された主な内容
まず遺伝資源について。モリンガ属には栽培可能な13種があり、種の豊富さはアフリカ、とくにアフリカの角とその周辺の乾燥地帯に集中している一方、世界各地で栽培されているのはほぼM. oleifera一種だという対比が示されています。著者らは、この偏りが、育種に使える野生の遺伝資源をどこで探し、どこで保全すべきかに直結すると指摘します。なお複数の種は絶滅危惧に分類され、M. hildebrandtiiは絶滅と分類されたと報告されています。世界各地の遺伝資源機関が保有する系統数も整理され、インドのICAR-NBPGRが257系統を保持するなどの例が挙げられています。
育種の実績としては、南インドを中心に年生タイプの改良が進み、複数の多収品種が育成されてきたことが紹介されます。たとえば品種PKM 1は集団選抜を主体に育成され、PKM 2はMP 31とMP 38の交配から生まれ、PKM 1より高い収量を示したと報告されています。またPKM 1にガンマ線やEMSを用いた突然変異育種を行い、葉のバイオマスや莢の収量などで多様性を示す優良系統が得られた例も挙げられています。
一方で著者らは、従来型育種の限界も指摘します。集団選抜を繰り返すと、さらなる改良に使える遺伝的変異が減る可能性があること。逆に変異を生み出す交配や突然変異育種は、モリンガが他家受粉性(他の個体の花粉で実を結ぶ性質)であるため、安定した親系統を作り維持することが難しいこと。その結果、これまでに育成された品種は主に収量など農業上の性能で選ばれており、抗栄養素の低減はほとんど扱われてこなかったとまとめています。著者らは、生化学的に複雑に制御される抗栄養素の形質には従来型育種は向きにくく、オミクスによる遺伝子探索やゲノム編集との統合に価値があるとしています。
ゲノム資源については、進展が著しいと報告されています。アフリカ孤児作物コンソーシアムによる初期のドラフトゲノムは約18,451個のタンパク質をつくる遺伝子を予測し、その後の染色体規模のアセンブリでは22,714個の遺伝子が注釈づけられ、グルコシノレートやフラボノイド、アルカロイドといった二次代謝産物の生合成に遺伝子の重複が重要な役割を果たすことが示されたとされています。別の研究では品種Bhagyaのゲノムから32,062個の遺伝子が予測され、乾燥ストレス応答に関わる候補遺伝子が特定されました。著者らは、抗栄養素の生合成に関わる候補遺伝子の一覧も、他の植物との配列の類似性にもとづく推定として整理していますが、これらはモリンガでの実験的な検証が必要な暫定的な割り当てだと明記しています。
抗栄養素を減らす方法としては、微生物発酵の有効性が紹介されています。乳酸発酵や固体発酵は、フィチン酸やタンニン、グルコシノレートといった成分を大きく減らし、同時にミネラルの吸収されやすさを高めうると報告されています。
ただし著者らは、知識の不足も率直に挙げています。分子マーカーによる解析は30年ほどで進歩したものの、手法がばらばらで研究間の比較が難しく、育種に広く使える中核的な遺伝資源セットや形質に結びついたマーカーはまだ確立していないと述べます。また、ゲノム全体を使った関連解析やゲノミックセレクションは他の作物では成果を上げているものの、モリンガでは、抗栄養素や栄養の形質を測定した大規模で構造化された参照集団が欠けているため、まだ実用段階にないとしています。ゲノム・転写・代謝の各データが互いに切り離されたままである点も課題として挙げられています。
この整理が示すこと
この総説が描き出すのは、モリンガが栄養面でも環境面でも大きな可能性をもちながら、その可能性を引き出すための遺伝学的な土台がまだ整っていないという状況です。これまでの品種改良は収量や収穫のしやすさを前進させてきましたが、栄養の質と抗栄養素の含量はほとんど手つかずのまま残されてきました。
著者らは、農家が守り伝えてきた在来の系統に、莢や樹形の利用可能な変異の多くがすでに存在していると指摘します。それらが失われる前に体系的に特徴を記録すること、そして遺伝資源を共通の参照集団として遺伝情報と形質の両面から整えることが、次の一歩として示されています。未利用の作物をどう位置づけ直すかという問いに対して、この論文は、多様性の把握と新しい技術の統合が出発点になることを示しています。
著者:Shamini Karunagaran(Genetics and Plant Breeding, Tamil Nadu Agricultural University)、Saraladevi Muthusamy(Department of Plant Breeding, Swedish University of Agricultural Sciences)、Arumugam Manikandan(Department of Plant Breeding, Swedish University of Agricultural Sciences)、P.R. Geetha Lekshmi(Department of Postharvest Management, College of Agriculture, Kerala Agricultural University)、Subramaniam Leelavathi(Genetics and Plant Breeding, Tamil Nadu Agricultural University)、Praveen Gidagiri(Department of Postharvest Management, College of Agriculture, Kerala Agricultural University)、Senjaeriputhur Devaraj Sivakumar(Department of Agronomy, Tamil Nadu Agricultural University)、Suganya Kanna Selvaraj(Department of Entomology, Tamil Nadu Agricultural University)、V.R. Saminathan(Department of Entomology, Tamil Nadu Agricultural University)、Chakkarapani Babu(Genetics and Plant Breeding, Tamil Nadu Agricultural University)、K. N. Ganesan(Genetics and Plant Breeding, Tamil Nadu Agricultural University)、Balaji Kannan(Soil and Water Conservation Engineering, Tamil Nadu Agricultural University)、R. Pushpam(Genetics and Plant Breeding, Tamil Nadu Agricultural University)、Sudhagar Rajaprakasam(Genetics and Plant Breeding, Tamil Nadu Agricultural University)、Selvaraju Kanagarajan(Department of Plant Breeding, Swedish University of Agricultural Sciences)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Shamini Karunagaran, Saraladevi Muthusamy, Arumugam Manikandan, et al. Biodiversity and genetic improvement of Moringa oleifera: traditional breeding and genome editing strategies for reducing anti-nutritional factors. Frontiers in Plant Science 2026-09-07. DOI: 10.3389/fpls.2026.1869631. 原著ライセンス:CC BY.