日本主導:この研究は、筆頭著者・責任著者、または著者の主要所属が日本の研究機関である研究です。

掲載誌:American Journal of Biological Anthropology

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

市場経済の広がりは食卓をどう変えたか

ラオスは、狩猟・採集・漁労で食べ物を得る暮らしが、世界でも最後まで残ってきた地域の一つです。かつての農村では、こうした野生資源の利用と、いくつもの農業のやり方を組み合わせて自給的に暮らしていました。しかし過去20年ほどのあいだに、市場向けの経済活動が急速に広がり、伝統的な自給の暮らしに取って代わりつつあります。

研究チームが注目したのは、中国雲南省と接するラオス北部ウドムサイ県の農村です。この地域では昔から、平地の谷や盆地で水田稲作を行う人々と、山の斜面で焼畑による陸稲栽培と森林産物の利用を行う人々とで、暮らし方が分かれてきました。2000年代初め以降、国の政策や、とりわけ中国経済の拡大による地域経済の結びつきによって、社会と経済が大きく変わっています。

著者らは、この変化が平地と山地という異なる暮らしの中で、食事にどう表れているのかを調べました。目的は、平地と山地の住民で毛髪の炭素・窒素安定同位体の組成を比べることと、同じ村の中での個人差が、食事の変化を通じて暮らしの移行をどこまで反映しているかを探ることでした。

髪の毛と地元の食べ物を分析する

安定同位体とは、同じ元素でも重さがわずかに異なる原子のことです。食べ物に含まれる炭素や窒素の同位体の比率は、毛髪など体の組織に受け継がれるため、その人が何を食べてきたかを推定する手がかりになります。たとえば炭素の値は、イネや多くの野菜のようなC3植物と、トウモロコシやサトウキビのようなC4植物のどちらに由来する食べ物が多いかを反映します。窒素の値は、動物性の食べ物の多さや、作物が育った土壌の状態などに左右されます。

調査の対象は、ナモー郡にある二つの村です。ナーサワン村は平地の盆地にあり、主にタイ・カダイ系の言語を話すヤンの人々が住んでいます。水田でのもち米づくりが中心ですが、中国市場向けの換金作物や小規模な商売が広がり、近くには肉や包装食品を売る市場もできています。山地のナムニョン村は市場から遠い小さな村で、少数民族のコンサットとプーニョートが暮らしています。焼畑と採集に頼ってきましたが、水田をもつ世帯が増え、タバコやサトウキビなどの換金作物も急増しており、移動する焼畑から定まった土地での農業へ移りつつあります。

研究チームは、ナーサワン村では2018年の雨季と2019年の乾季に、ナムニョン村では2019年の乾季に、18歳以上の住民から暮らしや食事の頻度についての聞き取りを行い、頭髪を採取しました。分析したのは男性の毛髪175試料です。女性では妊娠・授乳による体の変化や、出産前後の食のタブーが同位体の値に影響しうるため、調べたい暮らしの変化とは関係のないばらつきを減らす目的で対象から外しました。頭皮に近い1センチメートルの部分を使い、採取前のおよそ1か月の食事を反映させています。

さらに2023年には、米や野草、栽培作物、鶏や魚、インスタント麺・飲料・菓子などの市販食品を地元で集めて分析しました。著者らによれば、ラオス北部の食べ物の同位体データとしては初めてのものです。

村の違い、暮らしの違いが髪に表れた

乾季の毛髪を比べると、二つの村ではっきりした違いがありました。窒素の値の平均は、ナーサワン村が10.7‰、ナムニョン村が7.9‰で、平地の村のほうが明らかに高くなりました。一方、炭素の値の平均はどちらも−22.6‰でほぼ同じでした。この窒素の差が米の値の違いだけによるのか、肉などの動物性食品を多く食べていることも関係しているのかは、今回のデータからは判断が難しいと著者らは述べています。

ナムニョン村では、耕地の広さや現金収入をもとに世帯を三つのタイプに分けたところ、水田を最も多くもち、焼畑が最も小さいグループは、焼畑中心のグループに比べて炭素の値が低く、窒素の値が高いことが分かりました。年齢や民族の違いを考慮しても、この差は残りました。二つの村のどちらでも、暮らしに関する要因のほうが、聞き取りによる食事の頻度よりも毛髪の値のばらつきをよく説明していました。ナーサワン村では、余った米を売る人や土地の広い人で炭素の値がやや高い傾向が見られましたが、関連は弱いものでした。また、調べた要因では捉えきれない大きな個人差があることも示されました。

地元の食べ物を分析すると、ほとんどがC3植物に由来する食べ物でした。栽培された植物は野生の植物より窒素の値が高く、研究チームは、集落周辺の人や家畜の排せつ物、焼畑の火入れといった人間の活動の影響が考えられるとしています。水田の米は陸稲より炭素の値が低く、窒素の値が高くなっていました。とくにナーサワン村の水田米は、ナムニョン村の水田米より窒素の値が2.4‰高く、著者らは水田の耕作の歴史の長さが関係している可能性を挙げています。市場で売られる家畜やアカの人々の村の家畜は炭素の値が高く、トウモロコシを飼料にしていることを反映していると考えられます。市販の包装食品の多くは窒素の値が低い一方で炭素の値が高く、サトウキビ由来の砂糖や異性化糖といったC4植物由来の甘味料が原因とみられます。研究チームは、工業的に作られたC4由来の炭素が地元の食物網に入り込んでいることを示す結果だとしています。

住民の主食である米と毛髪の値の差も調べられました。焼畑中心の伝統的な暮らしを続けるナムニョン村のグループでは、その差が、食べ物から毛髪へ移るときの一般的なずれの大きさとよく一致し、陸稲の値が食事全体の目安になることがうかがえました。これに対し、水田に頼るグループとナーサワン村の住民では、米だけでは説明できない「すき間」があり、米より炭素の値が高く窒素の値が低い食べ物を加えて食べていることが示唆されました。最も単純な説明として、著者らはインスタント麺や甘い菓子・飲料などの市販食品を挙げています。ただし、米の試料は各グループで1点ずつしかないため、この解釈は慎重に扱うべきだとしています。

髪の毛が記録する暮らしの移り変わり

この研究は、市場経済の広がりによる暮らしの変化が、平地と山地の村で、さらに同じ村の中でも一様ではなく、その違いが住民の髪の同位体の値に表れていることを示しました。焼畑から水田へ、自給から市場へという移行は、主食の米の育ち方から市販の加工食品まで、食べ物の中身そのものを変えつつあります。地元の食べ物の同位体を初めて測った今回のデータは、試料数が限られた暫定的なものながら、人の組織の値を読み解くための基準として、変わりゆくラオス北部の食を理解する手がかりとなるものです。

原著論文の著者・所属:Ziyang Li(Department of Human Ecology, School of International Health, Graduate School of Medicine The University of Tokyo Tokyo Japan)、Mihoko Kibe(Department of Human Ecology, School of International Health, Graduate School of Medicine The University of Tokyo Tokyo Japan)、Yuki Mizuno(Department of Human Ecology, School of International Health, Graduate School of Medicine The University of Tokyo Tokyo Japan)、Masafumi Saitoh(The University Museum The University of Tokyo Tokyo Japan)、Kohei Yamazaki(The University Museum The University of Tokyo Tokyo Japan)、Hiroaki Masuoka(Laboratory for Symbiotic Microbiome Sciences RIKEN Center for Integrative Medical Sciences Yokohama Kanagawa Japan)、Satoko Kosaka(Department of Human Ecology, School of International Health, Graduate School of Medicine The University of Tokyo Tokyo Japan)、Kazumi Natsuhara(Faculty of Nursing Toho University Tokyo Japan)、Kazuhiro Hirayama(Laboratory of Veterinary Public Health, Graduate School of Agricultural and Life Sciences The University of Tokyo Tokyo Japan)、Nouhak Inthavong(Lao Tropical and Public Health Institute, Ministry of Health Vientiane Capital Lao PDR)、Sengchanh Kounnavong(Lao Tropical and Public Health Institute, Ministry of Health Vientiane Capital Lao PDR)、Minoru Yoneda(The University Museum The University of Tokyo Tokyo Japan)、Shinsuke Tomita(Graduate School of Environmental Studies Nagoya University Nagoya Japan)、Masahiro Umezaki(Department of Human Ecology, School of International Health, Graduate School of Medicine The University of Tokyo Tokyo Japan)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Ziyang Li, Mihoko Kibe, Yuki Mizuno, et al. Livelihood and Dietary Transitions in Subsistence Populations of Northern Laos: Insights From Carbon and Nitrogen Stable Isotope Analysis. American Journal of Biological Anthropology 2026-07-31. DOI: 10.1002/ajpa.70326. 原著ライセンス:CC BY.