著者の所属・活動拠点の国は、ウクライナです。
掲載誌:Ukrainian Food Journal
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的:酵母を鉄の「運び手」にする
鉄の不足は貧血の主な原因です。論文は世界保健機関の資料を引いて、貧血が世界人口のおよそ3分の1に及ぶと述べています。パンは日常的に食べられる食品のため、鉄などの微量栄養素を補う土台として注目されてきました。しかし、パンに鉄塩をそのまま加える従来の方法では、パンの膨らみや色、味が変わることがあります。さらに、鉄が穀物中のフィチン酸やたんぱく質などと結びつき、消化の過程で溶け出しにくくなるという課題も指摘されています。
そこで研究チームが着目したのが、パン酵母(サッカロミセス・セレビシエ)です。酵母は培養液から鉄を取り込み、細胞の中にため込む性質を持っています。このため、パンを膨らませる役割と鉄の運び手としての役割を同時に担える可能性があります。著者らによれば、これまでの研究は、酵母による鉄の蓄積か、完成したパンの品質のどちらか一方に偏りがちでした。本研究は、鉄に慣らした酵母株について、培養中の増え方、パンづくりでの働き、焼き上がったパンから鉄が溶け出す割合までを通して評価することを目的としています。
何を調べたか
研究チームは、大学の保存株M437を鉄を含む培地へ3回続けて植え継ぎ、鉄のある環境でも育つように慣らした株「M437Fe」を用意しました。比較対象には、市販の乾燥パン酵母を用いています。
両者を糖蜜をもとにした培地で培養し、鉄を加えない条件と、培養開始から24時間後に硫酸鉄(FeSO₄)を加える条件を比べました。増殖は、培養液の濁り具合(光学密度)と乾燥重量から調べています。あわせて、細胞の集まりやすさ、泡に乗って浮き上がる性質(浮上性)、発酵の速さ、生地を膨らませる力、塩分によるストレスへの感受性も測定しました。
さらに、それぞれの酵母を使ってパンを焼き、体積や内部の気泡の割合を比べました。最後に、口・胃・腸での消化を試験管内で順に再現する標準的な手法(INFOGEST法)でパンを消化させ、パンに含まれる鉄のうち、どれだけが液中に溶け出すかを求めました。この値は体内への吸収量そのものではありません。吸収されうる状態になった鉄の割合を、試験管内で見積もる指標です。
主な結果
鉄を加えない条件では、濁り具合でも乾燥重量でも、全体の水準に菌株による統計的な差は認められませんでした。個々の時点ごとの比較でも、有意な差は確認されていません。ただし濁り具合については、時間とともに変わるパターンが両株で完全には同じでなかったと報告されています。
硫酸鉄を加えた条件では、研究チームは添加直前の24時間から72時間までの区間に絞って解析しました。その結果、この区間ではM437Feの濁り具合と乾燥重量が、市販酵母より全体として高い水準にあることが統計的に示されました。72時間後の乾燥重量の平均は、市販酵母が1リットルあたり6.29グラム、M437Feが7.30グラムでした。濁り具合はM437Feが約14.7%高い値でした。ただし、個々の時点ごとの比較では有意な差は確認されていません。研究チームは、鉄に慣らしても酵母の増殖は妨げられなかったとまとめています。
鉄を加えると細胞が集まりやすくなり、浮上性も高まりました。72時間後の浮上性の最大値は、M437Feが46.4%、市販酵母が26.6%でした。発酵については、鉄の強化によって二酸化炭素10ミリリットルを出すまでの時間が、M437Feで47.6%、市販酵母で29.2%短くなりました。生地を膨らませる力は、それぞれ2.3倍と1.5倍に高まったと報告されています。M437Feでは、塩分によるストレスへの感受性も18.5%低下しました。
パンの品質では、M437Feを使ったパンの比容積(重さあたりの体積)が1グラムあたり2.8ミリリットルとなり、市販酵母で焼いたパンの2.3ミリリットルを上回りました。パン内部の気泡の割合も、市販酵母の76%に対して80%と高い値でした。試験管内での消化後、M437Feで焼いたパンに含まれる鉄のうち72.3%が、溶けた状態で回収されました。
研究が示すこと
著者らは、鉄に慣らした酵母M437Feが増殖力を保ち、パンづくりに役立つ性質も向上させたと結論づけています。そのうえで、試験管内の消化で鉄が溶け出しやすいパンを焼けたことから、この酵母には鉄を含むパン製品づくりに使える可能性があると述べています。本研究は、鉄塩をパンに直接混ぜる代わりに、パンを膨らませる酵母そのものに鉄を担わせるという発想を、培養から消化の再現まで一連の実験で検討したものです。
原著論文の著者・所属:Hanna Bondar(National University of Food Technologies , Kyiv , Ukraine)、Oleksandra Parkhomova(National University of Food Technologies , Kyiv , Ukraine)、Viktoriia Krasinko(National University of Food Technologies , Kyiv , Ukraine)、Olena Bilyk(National University of Food Technologies , Kyiv , Ukraine)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Hanna Bondar, Oleksandra Parkhomova, Viktoriia Krasinko, et al. Biotechnological potential of iron-adapted Saccharomyces cerevisiae for producing bakery products enriched with bioaccessible iron. Ukrainian Food Journal 2026-09-01. DOI: 10.24263/2304-974x-2026-15-3-15. 原著ライセンス:CC BY.