この研究は、オーストラリアの研究機関の研究論文です。
掲載誌:The Open Agriculture Journal
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
何を問い直そうとしたのか
土壌有機物(SOM)は、土の中にある生物由来の物質のことで、枯れた植物や動物の遺体、微生物などが分解されてできたものを指します。この総説では、土壌中の微生物や根といった生きている成分も含める広い定義が採用されています。SOMは長らく「土壌の健康」の指標とされ、持続的な作物生産の前提条件のように語られてきました。
著者は、この前提が証拠によって明確に裏づけられているとは限らないと指摘し、SOMが作物の生産性において実際にどのような役割を果たしているのかを、既存の文献を横断して批判的に整理することを目的としています。論文はナラティブレビュー(特定の手順で網羅検索するのではなく、論点ごとに文献を読み解いて論じる総説)という形をとっています。
どのような材料から論じたか
著者は、科学文献に加えて農業・産業界の出版物やメディア上の議論でSOMがどう扱われてきたかをもとに論点を選び、章立てを構成したと述べています。取り上げられているのは、SOMの分類、土壌ワックスや腐植物質・堆肥といった個別成分、SOMの分解の行方、土壌の健康という概念、有益な土壌微生物、土壌の物理性、農法との関係、保水力、養分供給、そして無土壌栽培との比較です。
議論の出発点として置かれているのが、長期の圃場試験です。1892年に米国オクラホマ州で始まり現在も続くマグルーダー試験区では、無施肥のまま冬小麦の連作が続けられてきました。著者が引用する2007年の報告によれば、114年間の連作の後も、一度も施肥されていない区画で1 Mg/ha(1 t/ha)を超える子実収量が得られている一方、土壌有機物は4%から1%へと低下しています。ただし著者は、この間に品種の遺伝的特性が変化しており、それが収量に関与している可能性にも触れています。
報告されている主な内容
SOMと生産性の関係について、著者はいくつかの報告を並べています。水稲ではSOM含量が2.0、2.8、3.7%と高まるにつれて収量と施用窒素の保持が改善したという報告がある一方、この関係は直線的ではなく、一定水準を超えると効果が頭打ちになるとされています。米国のトウモロコシではSOMおよそ4%で収量が頭打ちになったという報告が引かれています。
保水力についても、直感的に信じられているほど単純ではないと整理されています。SOMが1%増えると圃場容水量における体積含水率が1.5%増えるという報告がある一方、メタ解析では土壌有機炭素の増加が土壌水分に与える影響は小さく、有機炭素が質量で1%増えたときの有効水分容量の増加は体積比で1.16%にとどまったとされています。効果の大きさは土性に強く左右され、砂質土でSOM増加の恩恵が最も大きいこと、そして際限なく増え続けるわけではないことが強調されています。
土づくりの実践に関わる論点も扱われています。不耕起栽培については、有機炭素の増加が表層30 cmに限られ、それより深い層では慣行耕起の方が有機炭素が高いという報告があり、不耕起は有機炭素の分布を変えているにすぎない可能性が示されています。長期試験では、不耕起下のトウモロコシ・ダイズ・エンバクの収量が耕起区と同等かそれ以上だったと報告されており、著者は、最小耕起が生産性に利点をもたらしながらも必ずしもSOMを増やしていない点を、SOMと生産性の結びつきが弱いことの証拠として読み取っています。
あまり注目されてこなかった成分として、土壌ワックスが取り上げられています。植物の表面を覆うろう質は分解されにくく土壌に蓄積し、撥水性や乾燥といった不都合な性質をもたらしうると述べられています。ユーカリやアカシア、マツのようにワックスや樹脂を多く含む植物を堆肥やマルチとして用いても、期待されるほど土壌が「改善」しない可能性があるという指摘です。腐植酸などの市販腐植資材についても、圃場試験からの証拠が乏しいとする批判的レビューが引かれ、施用量が一定を超えると土壌を分散させる作用が生じることも紹介されています。堆肥についても、養分供給や炭素貯留の面では利点を支えるデータがある一方、病害虫抑制や雑草抑制、収量といった主張を定量的に裏づけるデータは不十分だとする総説が引かれています。
さらに著者は、土を使わない栽培との比較を重視しています。施設トマトでは土耕と無土壌で2〜4倍の増収が得られたという報告、ホウレンソウでアクアポニックスやハイドロポニックスが露地栽培の2〜3倍の収量を示したという報告などが挙げられています。一方でレタスの研究では、水耕は収量が11倍、必要な水は12分の1であったものの、エネルギーは82倍を要したとされ、経済性とエネルギー依存が論点として残ることも併記されています。
この総説が示す見方
著者の結論は、SOMが土壌系にとって重要な構成要素であり、土で育てる作物の生産性に寄与していることは認めつつ、無土壌栽培の方が高い生産性を示す事実は、SOMが作物生産の必須条件ではないことを示している、というものです。マグルーダー試験区の観察からは、SOMが1%でも収量が安定していたことが、その水準で「足りている」可能性を示唆すると述べられています。また、構造の崩壊が問題になるのはSOMが極めて低い場合(0.5%未満)であり、SOMの閾値はむしろ土地の安定性や侵食・土地劣化という文脈で意味を持つと整理されています。
もう一つの実務的な論点は、SOMの分解速度が読みにくいことです。作物が窒素やカリウムを必要とする時期と、有機物が分解して養分を放出する時期は必ずしも一致せず、このずれが生育や収量に影響しうるため、商業的な農業ではSOMからの供給に依存しない養分管理の方が堅実だと著者は論じています。
SOMを「土壌の健康」の代名詞のように扱う語り方に対して、この総説は、その役割は条件次第であり、成分の種類や土性、農法、そして養分の出るタイミングまで含めて具体的に見る必要がある、という視点を提示しています。
著者:Fazal Sultanbawa(Department of Agricultural Consultants , CEO , CropQuest Pty Ltd , Brisbane , Australia)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Fazal Sultanbawa. Does Soil Organic Matter Matter for Crop Productivity?. The Open Agriculture Journal 2026-09-14. DOI: 10.2174/0118743315502617260909110930. 原著ライセンス:CC BY.