この研究は、中国、イギリスの研究機関の研究論文です。

掲載誌:Frontiers in Plant Science

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

研究の目的:キヌアの適応力を遺伝子の集合から読み解く

キヌア(Chenopodium quinoa Willd.)は、南米アンデスの海抜0メートルの沿岸地帯から標高4,000メートルの高地まで、幅広い環境で栽培されてきた作物です。栄養価の高さと環境ストレスへの強さから「母なる穀物」とも呼ばれてきました。キヌアは異質四倍体と呼ばれる植物で、およそ330万〜630万年前に2種類の異なる二倍体の祖先が交雑して生まれたと考えられており、その結果としてAとBという2組のゲノム(サブゲノム)を併せ持っています。

著者らは、こうしたキヌアの遺伝的多様性と進化の過程、そして標高による分化のしくみを調べることを目的としました。これまでにキヌアの個別品種のゲノム解読は進んできましたが、1つの参照ゲノムだけでは種全体が持つ遺伝子の広がりは捉えきれません。そこで研究チームは、複数の系統の遺伝子を突き合わせて種全体の遺伝子の集合を描く「遺伝子ベースのパンゲノム」という手法を採用しました。

方法と、パンゲノムから見えた構造

研究チームは、高地型7系統と低地型4系統の計11のキヌアゲノムを用いました。各遺伝子座について最も長い転写産物を代表遺伝子とし、動く遺伝子(トランスポゾン)を含むものを除いた結果、合計504,240個の代表遺伝子が解析対象となりました。遺伝子アノテーションの完全性を示すBUSCOの値は94.5%〜98.6%で、いずれも高い品質でした。

これらを互いに対応する遺伝子のグループ(オーソログ群)にまとめたところ、全体で51,298のグループが得られました。このうち11系統すべてに存在する「コア」が19,653グループ(38.31%)、10〜11系統に存在する「ソフトコア」が5,050グループ(9.84%)、2〜9系統に存在する「ディスペンサブル(可変)」が21,416グループ(41.75%)、1系統だけに存在する「プライベート(固有)」が5,179グループ(10.1%)でした。遺伝子レパートリーの増え方をモデル化すると、今回の11系統の範囲内では飽和に近づく「ほぼ閉じた」構造を示したと報告されています。ただし著者らは、これはあくまでこのパネル内での飽和点であり、野生近縁種や未調査地域の在来種を加えれば新たな遺伝子が見つかる可能性があると注意を促しています。

進化の圧力を示す指標(Ka/Ks)を調べると、4つの区分すべてが1より有意に小さく、いずれも有害な変化を取り除く「純化選択」を受けていました。平均値はコア遺伝子で最も低く(0.1172)、固有遺伝子で最も高い(0.1574)という結果で、コア遺伝子ほど変化が強く制約されていることを示します。ただし著者らは、固有遺伝子と他の3区分との差は統計的に有意ではなかったと明記しています。可変遺伝子や固有遺伝子にはタンパク質リン酸化酵素、転写因子、病害抵抗性遺伝子(NBS-LRR型が最多)が多く含まれていました。

2組のゲノムの非対称性と、標高で異なる遺伝子の顔ぶれ

AとBの2つのサブゲノムを比べると、どの系統でもAのほうがBより単一コピーで保持された遺伝子が少なく、両サブゲノムに残った2コピー遺伝子はすべての単一コピー遺伝子の合計のおよそ2倍にのぼりました。2コピーで残った「遺伝子量に敏感な」遺伝子には、NB-ARCドメインなど病害虫といった生物的ストレスに関わる領域が多く、一方で染色体上に連続して重複した遺伝子(タンデム重複遺伝子)には、塩ストレス応答やペルオキシダーゼなど非生物的ストレスに関わる領域が多く見られました。タンデム重複遺伝子もサブゲノムAのほうが少なく、ここでも非対称性が確認されています。

ある系統には存在し別の系統には全く存在しない遺伝子の違い(PAV:存在/不在変異)を調べると、高地型に偏って存在するオーソログ群が7,477、低地型に偏るものが3,549検出されました。高地型に多い遺伝子はトランスポゾン関連の遺伝子ファミリーや、光シグナルの受容に関わるFAR1ドメインに富み、低地型に多い遺伝子は窒素代謝(ウレイド輸送体など)や、キチン認識タンパク質・プロテアーゼ阻害因子といった防御関連のファミリーに富んでいました。ただし著者ら自身が強く注意を促している点があります。高地7系統に対し低地4系統という標本数の偏りにより、とくに高地側の数値はかなり水増しされている可能性があり、これらは生態型の分化を決定づける証拠ではなく、あくまで現時点のパネル内での記述的な傾向として解釈すべきだ、というものです。厳密な評価には均等な標本設計が必要だとしています。

種皮の色についても検討されました。キヌアの種皮色はアントシアニンではなくベタレインという色素で決まり、その合成に関わる主要遺伝子としてCqCYP76AD、CqDODA、CqDOPA5-GTが知られています。パンゲノム全体でそれぞれ213個、184個、20個が同定されましたが、11ゲノム間でコピー数を比べたところ、一部の系統での例外を除きほぼ同等でした。このため著者らは、少なくともコピー数の観点では、これらの遺伝子の構造的な増加が高地型と低地型の種皮色の違いをもたらす主な要因ではないと述べています。同時に、この解析は発現量やアミノ酸配列の多型、プロモーターなどの調節領域の違いを調べていないため、それらが色の違いに寄与する可能性は残ると明記しています。

さらに、ブドウと11ゲノム由来の22サブゲノムに共通する335の単一コピーオーソログ群を対象とした解析で、正の選択を受けた遺伝子が4つ検出されました。NADH-キノン酸化還元酵素、MT-A70、UBA様ドメインを持つタンパク質、プロテインジスルフィドイソメラーゼSCO2で、それぞれ光合成のエネルギー代謝、RNAの修飾、ユビキチンを介したタンパク質の入れ替わり、葉緑体でのタンパク質の折りたたみに関わると注釈されています。これらが高地の低温・強い紫外線・乾燥への適応にどう働くかについて、著者らは仮説として提示したうえで、機能的な検証が必要な推測であると明示しています。

この研究が示すこと

この研究は、1つの参照ゲノムでは見えなかったキヌアの遺伝子の広がりを、11系統を束ねたパンゲノムとして描き出しました。生存に不可欠なコア遺伝子が強い制約のもとで保たれる一方、系統ごとに出入りする可変・固有の遺伝子群にストレス応答や病害抵抗性の遺伝子が集まっているという構図は、この作物が多様な環境に適応してきた遺伝的な背景を具体的に示すものです。異質四倍体化に由来する遺伝子量の増加とタンデム重複という2つの異なる経路が、それぞれ生物的・非生物的ストレスへの対応に結びついている点も、本研究が提示した見取り図の一部です。

同時に、著者らは標本数の偏りやアノテーション手法の違いによる限界、そして機構的な解釈の多くが検証を要する仮説であることを繰り返し明示しています。その慎重さを含めて、本研究は今後のキヌア研究と分子育種が参照できる遺伝子資源と枠組みを提供するものだといえます。

著者:Yanyan Pu(Shandong Academy of Agricultural Sciences)、Liwen Wang(School of Life Sciences, Qilu Normal University)、Yongchao Gong(Shandong Academy of Agricultural Sciences)、Jingyin Yu(Xianghu Laboratory)、Nana Li(Shandong Academy of Agricultural Sciences)、Xingli Dai(Shandong Seed Industry Intelligent Science Agriculture Service Group Co., Ltd)、Runfang Li(Shandong Academy of Agricultural Sciences)、Miaomiao Huang(Xianghu Laboratory)、Jikai Zhang(Shandong Seed Industry Intelligent Science Agriculture Service Group Co., Ltd)、Peng Zheng(Xianghu Laboratory)、Wei Jiang(Xianghu Laboratory)、Hongjun Zhao(Shandong Academy of Agricultural Sciences)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Yanyan Pu, Liwen Wang, Yongchao Gong, et al. A gene-based pangenome reveals genomic divergence and altitudinal differentiation in allotetraploid quinoa. Frontiers in Plant Science 2026-09-07. DOI: 10.3389/fpls.2026.1930221. 原著ライセンス:CC BY.