ヨーグルトやチーズのように、乳酸菌による発酵は牛乳の食感や風味、機能性を変える技術としてよく知られています。では同じことを卵で行うとどうなるのでしょうか。卵白・卵黄・全卵といった卵液は、優れたゲル化力や乳化力、起泡力を持つ食品原料でありながら、これまで乳酸菌発酵の対象としてはあまり研究されてきませんでした。中国・四川軽化工大学(Sichuan University of Science and Engineering)の研究グループは、卵液の乳酸菌発酵に関するこれまでの研究成果を整理し、発酵によって卵の成分・構造・機能性がどのように変化するのかを一つの枠組みにまとめたレビュー論文を発表しました。
卵は牛乳と違い、発酵しやすい糖分(乳糖に相当するもの)をほとんど含んでいません。卵白の糖分は遊離グルコースが0.4%程度にすぎず、また卵白タンパク質の主成分であるオボアルブミンなどは分子量が大きく複雑な構造をしているため、乳酸菌の酵素が働きにくいという課題があります。さらに卵白には抗菌成分のリゾチームが含まれ、乳酸菌の増殖を妨げる可能性も指摘されています。このため卵液の発酵では、グルコースなどの糖を外から添加したり、pHを調整したり、卵液を希釈したりといった工夫が必要になるとされています。
発酵によって卵の中で何が起きるか
論文でまとめられた実験例を見ると、条件によって結果にかなり幅があることがわかります。例えば卵白(タンパク質約11%、初発pH9.27)をLactobacillus delbrueckii subsp. bulgaricusとStreptococcus salivarius subsp. thermophilusで42℃で発酵させた実験では、発酵9時間でタンパク質量が減少し、分子量約5kDaのペプチドが増加、アラニン・メチオニン・プロリンなどの遊離アミノ酸も増えたと報告されています。またLactobacillus属による発酵では、オボアルブミン由来のペプチド断片(F.DVFKELKVHLAなど)が液体クロマトグラフィー質量分析で確認され、タンパク質のN末端側の柔軟な部分が優先的に分解されることが示されました。一方で、卵黄(タンパク質約16%)を単一のLactobacillus菌株で6時間発酵させた実験などでは、電気泳動(SDS-PAGE)上でタンパク質の目立った分解は見られなかったとも報告されており、著者らは卵液での分解の起こりやすさが、外から加える糖の有無、初発pH(5.5以下かどうか)、卵白か卵黄か、発酵時間の長さ、使用菌株の組み合わせといった条件に強く左右されると指摘しています。
脂質については、卵黄をLactobacillus acidophilus・Lactobacillus casei・Lactobacillus plantarumで発酵させた実験で脂肪とリン脂質の含有量が有意に減少したと報告されていますが、分解の程度は限定的とされています。卵黄の脂質の多くはリポタンパク質という複合体を作っているため、分解が進みにくいことが一因として挙げられています。
発酵が進むとpHは低下し、それに伴って酢酸・酪酸・イソ酪酸といった有機酸や、卵白では酢酸・酪酸・ヘキサン酸・オクタン酸・ノナン酸・デカン酸、卵黄では3-メチル酪酸といった香気に関わる酸が生成されることも示されています。風味成分としては、卵白発酵液からアセトンやアセトイン/ジアセチルによる香ばしさ、酢酸・酪酸による酸味が生まれ、官能評価では発酵によって卵白特有の生臭さのスコアが下がり、発酵香が高まったとされています。卵黄の発酵では3-メチル酪酸(酸っぱい香り)や2-ヘプタノン(果実様の香り)が生じ、マヨネーズに応用した官能評価ではLactobacillus acidophilus発酵卵黄が最も高い評価を得た一方、Lactobacillus reuteri発酵卵黄は評価が低く、使用する菌株によって消費者の受容性が変わることも示されています。
タンパク質の構造レベルでは、発酵によりα-ヘリックスやβ-シートの割合が減り、より柔軟なβ-ターン構造が増える傾向が複数の実験で見られました。また、タンパク質分子の表面に露出する疎水性の程度や、遊離のスルフヒドリル基(-SH基、タンパク質の立体構造を保つ結合に関わる部位)の量も発酵によって変化しますが、その増減の方向は実験によって異なり、酸化的な架橋反応とタンパク質のほどけ(露出)のどちらが優勢かによって決まると論文では説明されています。
こうした変化は、卵液の使い勝手にも影響します。発酵によって卵白・卵黄の溶解性は概ね向上し、たとえば卵黄タンパク質の溶解性が9.4〜31%向上した例や、噴霧乾燥した卵黄粉末の溶解性が13.92%から23.08%に上昇した例が報告されています。一方で保水性(水分を保持する力)は多くの実験でむしろ低下する傾向が見られました。食感については、タンパク質濃度が中程度(4〜8%程度に希釈した場合)だと発酵によってゲルの硬さが増す傾向がある一方、卵白を希釈せずタンパク質濃度が11%以上と高いままだと硬さがむしろ低下する傾向があり、著者らはこの濃度の違いが発酵結果を左右する重要な要因になっていると述べています。ただし、これらの数値は複数の実験を比較して見えてきた大まかな傾向であり、菌株や加熱前処理、糖添加、発酵時間などの条件差も大きいため、確定的な基準値ではないと著者ら自身が注意を促しています。
この研究の位置づけと限界
論文の著者らは、乳酸菌発酵が腸内環境の改善や免疫調整などの健康効果を持つことは乳製品の発酵で広く報告されているものの、卵液を乳酸菌で発酵させた製品について、そうした生体内での健康効果を直接調べた研究は現時点でほとんど存在しないと明記しています。発酵卵液から短鎖脂肪酸(酢酸・酪酸など)や低分子ペプチド、遊離アミノ酸が生成されることは確認されており、これらは一般に腸内環境や免疫と関わる成分として知られていますが、卵発酵製品そのものでの健康効果の実証はまだ行われていない段階だと著者らは強調しています。また、今回のレビューでまとめられた個々の実験は、使用菌株や卵液の希釈度、加熱前処理、発酵時間などの条件がそれぞれ異なるため、単純に数値だけを比較して一般化することには注意が必要だとも述べられています。今回の記事で紹介した内容は、あくまでこれまでの複数の実験結果を整理した知見であり、卵液の乳酸菌発酵がすぐに特定の健康効果や製品性能を保証するものではない点に留意してください。
まとめ
卵液は牛乳とは異なる制約を抱えながらも、乳酸菌の働きによってタンパク質や脂質が変化し、酸味や香り、テクスチャーに影響を与える多様な成分が生み出されることが、複数の実験結果から見えてきました。今後は、糖の添加量やpH、菌株選択、卵液の希釈度といった条件を最適化することで、発酵卵液を新しい食品素材として活用する道が開けるのではないかと論文では展望されています。ただし、健康への効果を含め、まだ検証すべき点が多く残る研究段階であることは念頭に置く必要があります。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Yang Zhou, Zhiwen Deng, Siyu Dai, et al. Interactions, transformation, and functionality: Lactic acid bacteria fermentation of egg liquid as a novel food matrix. フード・ケミストリー:エックス (2026). DOI: 10.1016/j.fochx.2026.104292. 原著ライセンス: cc-by.