掲載誌:Linguistik Online
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
なぜ「食」をことばの研究対象にするのか
21世紀に入ってから、生態系・経済・地政学をめぐる危機が重なり、食をめぐる課題が大きく前面に出てきました。著者らは、こうした変化が人々と環境との関係を変え、日々の食の実践そのものにも影響を及ぼしてきたと整理しています。
その流れのなかで、環境に配慮した食のあり方が優先課題として位置づけられるようになりました。論文は、2010年に国連食糧農業機関(FAO)が示した「持続可能な食事」の定義を取り上げ、そこでは健康的な食への権利だけでなく、生産者と消費者の距離が近い流通(短い流通経路)や、異なる文化のあいだの側面が重視されていると紹介します。著者らによれば、この考え方は、食の習慣が社会の変化とともに移り変わることを指す「栄養転換(ニュートリション・トランジション)」という概念、さらには生態学的移行という、より広い枠組みとも結びついています。
論文はまた、国連が2016年に「持続可能な食文化(ガストロノミー)の日」(6月18日)を定めたことに触れ、食材がどこから来て、どのように育てられ、どのように食卓へ届くのかを問う調理と食事が、倫理的な意識を伴う文化的な実践になりうると述べています。この序論が置かれた特集号は、2023年に始まった巡回型の研究サイクル「言語=文化の視点から見た持続可能な食文化と土地(テロワール)」から生まれたもので、言語科学のさまざまな分野の研究者が議論を重ねてきた成果だと説明されています。
「ネオローカリズム」という鍵概念
著者らは、世界規模で展開する多国籍の外食チェーンなどに見られる生産の極端な標準化が、どこでも同じような売り場を生み、文化の均質化をもたらすという議論(リッツァによる「社会のマクドナルド化」)を出発点に置きます。経済的には効率的でも、製品の質や固有性が損なわれ、環境にも負の影響が及ぶという指摘です。
この動きへの反応のひとつが「ネオローカリズム」だと論文は説明します。これは、その土地の伝統や場所への愛着、消費主義のなかで失われた価値を意識的に探し求める志向を指します。ここで「本物(オーセンティック)」と「ローカル」という形容詞はほとんど同義のように使われ、土地との密接な結びつきをもつ産品を指し示すようになっている、と著者らは述べます。
ただし論文は、この志向が両義的であることも強調しています。生産者側から見れば、ネオローカリズムは「場所の感覚」に訴える広告上・言語上・視覚上の戦略でもあります。特定の土地を想起させる名称・画像・象徴を用いたり、地域の言語を使ったりするのがその例です。その結果、地域社会や地域経済への実質的な関与を伴わないまま、商品を売るためだけの「人工的な本物らしさ」が構築される場合もあると指摘されます。著者らは、持続可能性への取り組み、表象としての「本物らしさ」、そして商業的な利用のあいだの緊張関係に注目し、食文化を、ローカルな現実がグローバルな文脈に適応していく交渉の場としてとらえ直すことを提案しています。
特集号が集めた研究の広がり
この序論は、言語・文化・持続可能性が交わるなかで、食文化が言語科学の研究において中心的な位置を占めるようになった経緯をたどります。マーケティングや商業名称の研究、言説分析の視点から見た観光研究、新語研究や専門用語研究など、分野を横断する取り組みが挙げられています。
主要な論点のひとつは、ローカルとグローバルの関係、すなわち「グローカリズム」です。著者らは、国際的な移動の活発化とデジタル通信技術の発展にも後押しされて、地域の食の実践や料理が繰り返し混ざり合っていく現象として、この概念を説明します。ローカルはグローバルと接触して変容しますが、それは固有性の保持を排除するものではない、という整理です。
また、公的機関のウェブサイトやSNS、デジタルプラットフォームが、食にまつわる物語を作り、広める重要な場になっていることも述べられます。参加型ウェブの登場によって、読み手自身が物語の作り手となり、専門家ではない人々のコメントやレビューが専門的な言説を補うようになりました。著者らは、これが研究者にとって豊かな分析資料(コーパス)になると指摘します。地域言語や少数言語の扱いについても両義性が示され、言語の再活性化につながる一方で、その喚起力ゆえに象徴的な資源として商品化される場合もある、とまとめられています。
特集号に収められた論文は、フランス語・イタリア語・スペイン語・英語・ドイツ語・ポーランド語という複数の言語で構築された資料を扱い、ワインの名称、チーズ産業の専門用語、クラフトビールの宣伝における地域言語、オリーブオイルをめぐるウェブ上の語り、旅行ブログやフォーラムでの観光客のやりとり、農産食品ブランドのスローガン、食にまつわることわざ、地域産品の多言語用語集づくりなど、多様な事例を取り上げていると紹介されています。
この序論が示すもの
著者らは、この特集号が問題を論じ尽くすものではなく、現在の論点の、必然的に部分的な見取り図を示すものだと述べています。そのうえで、少数言語から専門用語まで、観光の語りから土地の価値づけ、認証ラベルの政策からデジタル・コミュニケーションまでという扱う対象の幅広さが、いまの料理・食の実践を複雑かつ細やかに照らし出すと位置づけます。
そこから浮かび上がるのは、「ローカル」「本物」「持続可能」といった言葉が、そのまま透明に事実を写し取るのではなく、さまざまな担い手の言説のなかで作られていくということです。論文は、その過程が地域の価値づけにつながることもあれば、逆に地域が利用される方向に働くこともあると述べています。味と言語と場所が交差する現在において、食文化は、文化間・言語・言説をめぐる複雑な動きをとらえるための、優れた観察の切り口になる——序論はそう結んでいます。
著者:Lorenzo Devilla、Nicla Mercurio
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Lorenzo Devilla, Nicla Mercurio. Local, authentique, durable : la gastronomie entre ancrage territorial et dynamiques globales.. Linguistik Online 2026-09-24. DOI: 10.13092/csznaa09. 原著ライセンス:CC BY.