著者の所属・活動拠点の国は、ニュージーランドです。
掲載誌:Journal of Immigrant & Refugee Studies
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
この論考が問いかけること
この論考は、オーストラリアが国外に設けた難民などの収容制度のなかで、食べ物がどのような役割を果たしていたのかを考えるものです。舞台はマヌス島の難民キャンプで、形式は研究論文によくある実験や調査ではなく、対話(対談)です。著者らは、食べ物を単なる栄養や生活必需品としてではなく、収容する側の権力と収容される人々の関係が表れる場として捉えています。
紹介の材料として利用できたのは抄録のみです。そのため以下では、抄録に書かれた論点の範囲で内容を紹介します。
支配と管理の道具としての食べ物
著者らはまず、キャンプのなかで食べ物がいくつもの面で働いていたことを描き出しています。一つ目は「生政治的」な道具としての面です。生政治とは、人の生命や身体そのものを管理の対象にする権力のあり方を指す言葉です。食べ物を与えられる側が管理者に頼らざるを得ない状態をつくり、依存と統制を生む手段になっていたと論じています。
二つ目に、食事は収容された人々の一日の時間の流れを形づくる力にもなっていました。三つ目として、管理する側の権力が「ケア(世話)」や「手続き」という言葉の陰に隠れ、見えにくくなるための媒体にもなっていたと指摘しています。
工夫と連帯、そして食べることの拒否
対談は、物資が足りなかったという話にとどまりません。著者らは、収容された人々がこうした管理の仕組みのなかでどう折り合いをつけ、ときにそれを覆していったのかを探っています。その例として挙げられているのが、こっそり持ち込まれた香辛料、隠れて醸造された酒、そして皆でつくり上げた「マヌス・コーヒー」と呼ばれる儀式のような習慣です。料理をめぐる想像力や即興の工夫、互いの連帯が、そこで発揮されていたと描かれています。
さらに論考は、よりはっきりした身体による拒否の形にも目を向けます。マヌス島での生活のなかでは、個人や集団によるハンガーストライキが繰り返し起きていました。2017年の21日間に及んだ包囲もその一つとして取り上げられています。著者らはこうした行動を、尊厳と政治的な主体性を身体で示すものとして検討しています。
収容が終わったあとに残るもの
対談の最後は、収容が終わった後の時間についての考察です。門が開いてからも、身体が何を抱え続けるのか。そして、身につけてしまったものを手放すのにどれほどの時間がかかるのか。著者らはこうした問いを投げかけて対談を締めくくっています。
この論考は、日々の食べ物という身近なものを手がかりにしています。そこから、収容の場で権力がどう働くのか、またその中で人々がどう抵抗し、尊厳を保とうとしたのかを浮かび上がらせています。
原著論文の著者・所属:Amir Sayadabdi(Anthropology, Victoria University of Wellington)、Behrouz Boochani(Independent Scholar)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Amir Sayadabdi, Behrouz Boochani. Cooking Back: A Conversation on Food, Power, and Detention. Journal of Immigrant & Refugee Studies 2026-10-01. DOI: 10.1080/15562948.2026.2740539. 原著ライセンス:CC BY.