日本主導:この研究は、筆頭著者・責任著者、または著者の主要所属が日本の研究機関である研究です。
掲載誌:Dharmakirti International Journal of Religion Mind and Science
ライセンス: CC BY 4.0 対象: 公開論文 確認元: 論文PDF
同じルーツ、同じ移住先、異なる祭り
ポンガルは、タミル系の人々の間で最も重要な祭りの一つで、マレーシアのヒンドゥー教徒の間でも広く祝われています。農作物の実りと、太陽神スーリヤへの感謝に結びついた祭りで、四日間にわたって行われます。
この研究は、マレーシアのマラッカに暮らす二つのコミュニティ、ナットゥコッタイ・チェッティヤールとプラナカン・インディアンのポンガルを比べたものです。どちらも南インド・タミル文化圏のヒンドゥー教徒の商人集団をルーツに持ち、同じマラッカに定住しました。それにもかかわらず、同じ祭りの祝い方は異なっています。著者は、その違いが各コミュニティの築いてきた社会関係とどのように対応しているのかを明らかにしようとしました。
論文によると、二つのコミュニティは歴史的な歩みが大きく異なります。ナットゥコッタイ・チェッティヤールは、主にイギリス植民地期に金融業などで富を築いた人々です。同じカースト(ここでは世襲的な社会集団を指します)の中での結婚、カーストの成員による寺院運営、タミル語の使用、南インドとの継続的なつながりを基盤に、コミュニティを形づくってきました。一方、プラナカン・インディアンは、15世紀のマラッカ王国成立後に渡来したインド系ヒンドゥー教徒の商人が、現地の女性との同居や婚姻を通じて土着化した人々の子孫とされます。異なる民族との結婚、幅広い人間関係、マレー語の使用、さまざまな背景の人を受け入れる組織運営を特徴としています。
長期のフィールドワークで祭りの現場を観察
著者は2019年から2025年にかけて、マラッカで繰り返し現地調査を行いました。家庭やヒンドゥー寺院での参与観察(調査者が人々の活動に加わりながら観察する方法)、聞き取り、組織の規約や記録などの文書調査を組み合わせています。
プラナカン・インディアンについては、団体の役員、寺院の司祭、多数の参拝者への聞き取りに加え、居住地区の世帯訪問や、計11世帯に滞在しての観察を行いました。ナットゥコッタイ・チェッティヤールは、2024年時点でおよそ10世帯という小さなコミュニティです。著者はマラッカにある二つのヒンドゥー寺院への訪問を重ねて関係を築いたうえで、儀礼を担う司祭や寺院関係者、参拝者に話を聞きました。
ポンガルの観察は寺院と家庭の双方で行われました。家庭での観察は、ナットゥコッタイ・チェッティヤールでは1世帯、プラナカン・インディアンでは世帯ごとの違いが見られたため複数世帯を対象にしています。
参加者、言語、供物、儀礼に表れた違い
祭りの初日ボーギの営み方は、両者で大きく異なっていました。ナットゥコッタイ・チェッティヤールは、多くのタミル系ヒンドゥー教徒と同じように家を掃除して古い物を処分し、家の前に米粉で模様を描きます。それを主に同じカーストの親族の間で、タミル語を使って行っていました。これに対しプラナカン・インディアンの間では、ボーギが「パルチュ」と呼ばれる祖先祭祀へと発展していました。パルチュでは、親族が集まって少なくとも15種類の肉や魚の料理を用意します。そこには、発酵エビペーストを使った料理や、ココナツミルクで炊くナシ・レマなど、現地の食文化に結びついた料理も含まれます。赤いろうそくを灯し、2枚の硬貨を投げて表と裏が出れば故人が供物を受け取ったしるしとする作法もあり、人々はこれを中国文化の影響と解釈していました。祖先に供えた料理は、親族だけでなく、近隣の人々や民族・宗教の異なる参加者とも分け合われます。
祭りの中心となるタイ・ポンガルでは、鍋から米や牛乳が吹きこぼれる瞬間に、皆で「ポンガル、ポンガル」と声を上げます。ナットゥコッタイ・チェッティヤールは、まず1868年に同コミュニティが建立した寺院でこれを祝いました。観察した家庭では、その後バナナの葉を祭壇の前に並べ、甘いポンガルと、黒コショウやギーなどを使った甘くないヴェン・ポンガルの2種類を供えていました。一方、プラナカン・インディアンは家庭で祝う人もいますが、多くは寺院の儀式に参加します。2023年に観察した寺院の行事では甘いポンガルだけが作られ、寺院での活動には主にマレー語が使われていました。家庭の祭壇にヒンドゥーの神々とともに仏像、サイ・ババ、聖母マリア像、十字架を祀る世帯があることも報告されています。
ただし、著者はコミュニティ内部の違いにも注意を促しています。プラナカン・インディアンの中には、ボーギではなくディーパバリ祭の前夜に祖先祭祀を行う人や、ナットゥコッタイ・チェッティヤールと同様に2種類のポンガルを作る世帯もありました。どちらのコミュニティの営みも一様ではないとしています。
社会関係のあり方と祭りの姿の対応
著者はこれらの結果をもとに、儀礼を誰が執り行うか、どの言語を使うか、供物をどう用意し誰と分け合うか、誰が祭りに参加するかといった違いが、結婚関係、寺院運営、南インドや現地社会とのつながり方の違いと対応していると結論づけています。カースト内の結婚と寺院運営を保ち、南インドとの家族的なつながりを続けてきたナットゥコッタイ・チェッティヤールでは、供物は主に同じカーストの親族やコミュニティ内で分かち合われていました。現地の人々を親族関係や寺院運営に迎え入れ、共通の言語で地域社会との関係を深めてきたプラナカン・インディアンでは、民族や宗教の境界を越えて分かち合われていました。
一方で論文は、これらは民族誌的な資料に基づく解釈上の関連であり、確定的な因果関係を示すものではないと明記しています。とくにナットゥコッタイ・チェッティヤールの家庭観察は1世帯に限られるため、家庭での実践をコミュニティ全体へ一般化するには限界があるとしています。
この研究は、同じ伝統を共有し同じ土地に暮らす人々でも、どのような人間関係を築いてきたかに応じて、同じ祭りが異なる姿で営まれていることを、具体的な観察を通して描き出しています。
原著論文の著者・所属:Miki Kashiwa(Center for Southeast Asian Studies, Kyoto University, Kyoto, Kyoto 606-8501)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Miki Kashiwa. Why do religious practices diverge despite shared origins and destinations? A comparative study of Pongal among two South Indian communities. Dharmakirti International Journal of Religion Mind and Science 2026-10-30. DOI: 10.61511/ijroms.v4i1.2026.4016. 原著ライセンス:CC BY.