掲載誌:Enterprise & Society

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なぜ洋菓子から帝国を考えるのか

キャラメルやチョコレート、チューインガムなどの洋菓子は、いまでは身近で懐かしいお菓子です。この研究は、こうした洋菓子が明治期(1868〜1912年)から戦後初期にかけて、日本の帝国拡大とどのように結びついていたのかを明らかにしようとした博士論文の内容をまとめたものです。

砂糖については、プランテーションでの労働や帝国、資本主義との関係がすでに多く研究されてきました。著者が注目したのは、その先です。収穫された砂糖が工場で加工され、おいしい菓子として売られるまでに何が起きていたのかを調べています。

論文によると、今日では体に悪いとされがちな砂糖も、およそ100年前には健康的で近代的な食品と考えられていました。19世紀後半以降、欧米では砂糖の消費量が国の「文明度」を示す目安とみなされ、この考え方は日本にも取り入れられました。洋菓子会社はこうした風潮を利用し、包装や広告で自社製品を衛生的で栄養があり、丈夫な体をつくるのに必要なカロリー源として売り出しました。

著者はさらに、甘さは近代の象徴であるだけでなく「帝国の力の味」でもあったと論じています。江戸時代以来の和菓子とは異なる洋菓子が広く普及した背景には、日本の最初の植民地である台湾で作られた精製糖と、日本国内の工場に導入された機械による大量生産の技術があったといいます。

三つの菓子会社と多様な資料

研究チームではなく一人の著者による本研究は、植民地や企業の記録文書、科学雑誌、業界誌、映画、美術作品、聞き取り記録、日記など幅広い資料を用いています。中心に据えたのは、戦前の市場で大きな存在だった森永製菓、明治製菓、新高製菓の三社です。

森永製菓は1899年、米国から洋菓子の製造技術を持ち帰った森永太一郎が創業しました。論文によると、同社は台湾総督府と協力して台湾東海岸でカカオを栽培し、その結果、先住民の共同体が土地を追われたといいます。宣伝面でも、朝鮮出身の大男を「キャラメル将軍」として樺太から台湾まで巡回させたり、1938年にナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアとの同盟を祝う図画コンクールを開いたりと、帝国や軍事を意識したキャンペーンを行いました。

明治製菓の創業者である相馬半治は、官費留学生として欧米で製糖を学び、植民地政府による台湾製糖業の改革にも関わりました。台湾で操業した大手製糖会社の一つ、明治製糖から出発し、1917年に菓子製造へ進出しています。のちに原料から完成品まで手がける大企業へと成長し、戦時中(1937〜1945年)には前線の兵士に多くの製品を提供しました。

新高製菓は、戦前の大手菓子会社の中で唯一台湾に拠点を置き、のちに日本本土から満州まで事業を広げた会社です。論文は、これが同社を扱った初めての英語の研究だとしています。九州から台北へ移り住んだ森平太郎が創業した同社の成功から、著者は、国家と直接のつながりを持たない移住者が植民地の仕組みからどのように利益を得たのかを考察しています。新高製菓は戦後まで存続せず、企業の記録文書が残っていない点が研究上の難しさだったと述べられています。

報告された主な内容

著者によると、製造の過程をたどることで、これらの会社が砂糖やカカオ、バナナ粉末などの原料を熱帯の植民地・台湾から調達していた、これまで十分に検討されてこなかった植民地のネットワークが見えてきます。また、製品が帝国の各地で売られる際には、日本の帝国としての野心や植民地支配の考え方を反映したメッセージが添えられていました。総力戦の時代にも、砂糖や菓子は戦場で兵士の体力を支え、敵国の子どもたちに日本への好意を抱かせる手段として重要な役割を果たしたとされています。

一方で、戦前に洋菓子がどれほど食べられていたかを正確に知るのは難しいと論文は述べています。菓子消費を直接調べた調査がなく、砂糖の消費統計から推計するしかないためです。1932年のある報道は、日本人が年間5億円分の菓子を消費し、そのうち洋菓子は2〜3割を占めると伝えていました。

価格面では、森永の製品は20世紀前半を通じて1箱10〜12銭前後で推移しました。1908年に10銭のミルクキャラメルは10粒入りでしたが、1914年には同じ値段で20粒入りになり、次第に手に取りやすくなっていきました。著者は、1937年の公務員の月給が75円だったことなども踏まえ、洋菓子1箱は高級品ほど高くはないものの、日常的に気軽に買えるものでもなかったと見ています。

洋菓子の消費は戦前には比較的控えめで、大きく広がったのは戦後でした。それでも著者は、商品の影響力は消費量だけでは測れないと論じます。大規模な宣伝や、まだ買えない人々が抱いたあこがれを通じて、近代についての特定のイメージや、帝国の主張に沿った考え方が人々に浸透していったからです。

「甘い力」が示すもの

著者は、洋菓子を「日本帝国の商品」として捉えるべきだと結論づけています。その生産は帝国とともに拡大し、その甘さが逆に、強制ではなく魅力によって相手を引きつける「ソフトパワー」として帝国の力を支えたという見方です。この研究は、帝国を制度や行政の仕組みだけでなく、日々の消費や味覚といった身近な経験を通して捉え直す試みでもあります。

今日、森永や明治の菓子は東アジアの子どもたちに親しまれていますが、植民地支配や戦争と関わった過去はほとんど振り返られてこなかったと論文は指摘します。力は軍事力や強制だけでなく、資本主義が生み出す魅力や欲望を通じても働き、その「甘い」力は時により抵抗しにくいものになりうる。著者はこの研究を通して、そのことを思い起こさせようとしています。

原著論文の著者・所属:Lillian Tsay

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Lillian Tsay. Sweetening the Empire: Sugar and Western-Style Confectionery in Modern Japan and Taiwan. Enterprise & Society 2026-10-26. DOI: 10.1017/eso.2026.10149. 原著ライセンス:CC BY.