パンは小麦粉と水、酵母だけで作られていると思われがちですが、実際には目に見えない微生物が生地の性質や風味、保存性を左右しています。ルーマニアのステファン・チェル・マレ・スチャバ大学食品工学部に所属する研究者らは、パンづくりにおける乳酸菌(LAB:Lactic Acid Bacteria)の働きについて、これまでの研究知見を整理してまとめました。従来から使われてきた乳酸菌に加え、あまり一般的ではない菌株も含めて、生地の性質、保存期間、風味、栄養価、ストレス耐性、持続可能性、そして通常とは異なる酵母との組み合わせという幅広い切り口から現在の知見を俯瞰した総説です。
乳酸菌というと発酵食品やヨーグルトのイメージが強いですが、パン生地の中でも重要な役割を担っていることが、この分野の研究から見えてきています。
乳酸菌は生地の中で何をしているのか
この総説によれば、乳酸菌は生地の中で複数の仕組みを通じて働きかけています。まず、乳酸菌が生地を酸性化させることや、たんぱく質を分解する酵素活性(プロテアーゼ活性)、さらにエキソ多糖(exopolysaccharide)と呼ばれる粘性物質を作り出すことが、生地の性質に影響を与えると整理されています。これらの働きが組み合わさることで、生地の粘度や弾力性、伸展性、水を抱え込む力(水分吸収性)、そしてグルテンの網目構造の形成が改善されると報告されています。
保存性の面でも乳酸菌の代謝活動が関わっています。乳酸菌が作り出す有機酸やバクテリオシン(他の微生物の増殖を抑える抗菌性のたんぱく質)などの抗菌性物質が、カビや腐敗菌の繁殖を遅らせ、製品の賞味期限を延ばすことに役立つとされています。あわせて、発酵の過程で風味や香りの複雑さが増すことも述べられています。
栄養面への影響とストレス耐性という視点
この総説では、乳酸菌発酵がミネラルの体内での利用されやすさ(生物学的利用能)を高めることや、ビタミン含有量の増加、さらに健康に関連するとされる生理活性物質の生成を促す可能性についても触れられています。ただし、これらはあくまで発酵という工程が持つ性質として説明されているものであり、特定の健康効果が証明されたという趣旨ではありません。
また、実際に工業的な製パンの現場で乳酸菌を活用するには、選び抜かれた菌株が高温・高浸透圧・強い酸性・酸化といった様々なストレス条件に耐えられるかどうかが重要な要素になるとされています。こうした耐性を持つ菌株の存在が、大規模な生産への応用可能性を示すものとして取り上げられています。
非慣行酵母との組み合わせと今後の課題
興味深い点として、乳酸菌を通常とは異なる種類の酵母(unconventional yeast)と組み合わせることで、栄養的な質や食感、保存性が向上し、さらに製品による血糖値への影響(グリセミックインパクト)を抑える可能性が示されていることが挙げられています。こうした組み合わせは、乳酸菌単独では得られない相乗的な効果を狙う研究の方向性として紹介されています。
この論文は特定の実験を新たに行ったものではなく、既存の研究知見を整理・統合した総説です。そのため、個々の効果の大きさや再現性については、元となった個別研究ごとに条件が異なる可能性があり、この一本の総説だけで結論が確定したわけではありません。著者らも、菌株の選定や発酵条件の最適化、そして実際の大規模生産への適用については、さらなる研究が必要であると述べています。
まとめ
乳酸菌は、パン生地の物理的な性質を整えるだけでなく、保存性や風味、栄養面にも関わる多面的な存在として位置づけられています。従来の酵母中心の製パンに乳酸菌や非慣行酵母を組み合わせる研究は、より高品質で持続可能なパン開発の可能性を探る一つの方向性として注目されていますが、実用化に向けては菌株選びや発酵条件の最適化など、まだ検討すべき課題が残されていると整理されています。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Cristian Mititiuc, Adriana Dabija, Ionuţ Avrămia. Lactic Acid Bacteria in Breadmaking: Implications for Quality, Safety and Nutrition. アプライド・サイエンシズ (2026). DOI: 10.3390/app16157660. 原著ライセンス: cc-by.