牛乳パックを見て、プラスチック容器やチューブから微量の化学物質が溶け出しているかもしれない、と考えたことはあるでしょうか。フタル酸エステル類は、プラスチックを柔らかくするために使われる添加剤の一種です。搾乳から殺菌、パッケージングまでの過程で、乳製品に微量が混入する可能性があるとされています。
フタル酸エステル類は、体内のホルモンの働きに影響しうる「内分泌かく乱化学物質」の一つとして注目されてきました。ただし、牛乳の脂肪含有量とフタル酸エステルの濃度、そして血糖値の調節に関わる膵臓の細胞への影響との関係は、これまであまりよくわかっていませんでした。今回紹介する研究は、この関係を実験的に調べたものです。
研究でわかったこと
研究チームは、低脂肪の殺菌乳と全脂の殺菌乳を対象に、HPLC-DADという分析手法を用いてフタル酸エステル類の濃度を調べました。測定対象は、DEHP、DMP、DEP、DBP、DOP、BBPという6種類です。
その結果、低脂肪乳ではDEHPが49.8µg/L、DMPが90.6µg/L、DEPが57µg/L、DBPが131.2µg/L、DOPが42.6µg/L、BBPが31µg/L(いずれも平均値)検出されました。一方、全脂乳ではDEHPが92.2µg/L、DMPが149.6µg/L、DEPが102.2µg/L、DBPが199.6µg/L、DOPが100.8µg/L、BBPが70.8µg/Lと、いずれの成分も低脂肪乳より高い濃度で検出されたということです。
次に研究チームは、これらの検出濃度を再現したフタル酸エステルの混合物を、マウス由来の膵臓β細胞株「beta-TC3」に曝露する実験を行いました。この細胞はインスリンを分泌する細胞のモデルとして使われるものです。72時間にわたって、酸化ストレスの指標(MDA、GSH、FRAP)、細胞の生存率(MTTアッセイ)、インスリン分泌の変化が調べられました。
その結果、フタル酸エステル混合物への曝露によって、時間の経過とともに酸化ストレスが強まり、細胞の生存率や機能が低下する傾向が示されました。72時間後の細胞生存率は、低脂肪乳を模した条件で83.1%まで低下し、全脂乳を模した条件では73.4%まで低下したということです。
この細胞へのダメージには、脂質の酸化損傷を示すMDAの上昇と、抗酸化の働きを示すGSHやFRAPの低下が伴っていました。特に酸化ストレスの程度は、全脂乳を模した条件でより強く現れたと報告されています。
機能面では、インスリンの分泌にも大きな抑制がみられました。低脂肪乳の条件では、72時間後のインスリン濃度が低グルコース下で289.1pg/mL、高グルコース下で618.2pg/mLまで低下しました。全脂乳の条件では、高グルコース下でのインスリン分泌が550pg/mLにとどまったということです。
さらに研究チームは、ビタミンD3を同時に加えた場合の変化も確認しました。低脂肪乳を模した条件では、ビタミンD3の添加によって酸化ストレスの指標がある程度改善し、細胞生存率も部分的に回復する様子が確認されました。ただし全脂乳のように、より高濃度のフタル酸エステルが存在する条件では、ビタミンD3を加えてもインスリン分泌機能を十分に回復させることはできなかったとされています。
この研究の位置づけと読むうえでの注意
この研究は、牛乳中に含まれるフタル酸エステル類の濃度を分析したうえで、その濃度を再現した混合物を培養細胞に曝露するという実験系に基づいています。実際に牛乳を飲んだ人の体内で同じ現象が起こるかどうかを直接示したものではありません。
また、対象となったのは膵臓のβ細胞を模した培養細胞であり、生きた動物やヒトでの検証ではない点にも注意が必要です。ビタミンD3の効果についても、酸化ストレスや生存率の一部改善にとどまり、インスリン分泌機能を完全に回復させるものではなかったと報告されています。この研究の結果は一つの実験から得られた知見であり、結論が確定したわけではありません。
まとめ
今回の研究では、全脂乳の方が低脂肪乳よりもフタル酸エステルの検出濃度が高く、その濃度を再現した混合物を膵臓のβ細胞モデルに与えると、酸化ストレスの上昇、細胞生存率の低下、インスリン分泌の抑制が時間とともに強まることが示されました。ビタミンD3の添加は、低脂肪乳を模した条件で酸化ストレスや生存率をある程度改善しましたが、全脂乳を模した高濃度条件でのインスリン分泌の低下までは補いきれなかったという結果です。培養細胞を用いた実験に基づく知見であり、乳製品の摂取と健康影響を直接結びつけるものではない点をふまえて読むことが大切です。
※本記事は下記の原著論文を紹介するものです。参考文献:牛乳中のフタル酸エステル類の定量とβ-TC3細胞への影響およびビタミンD3による調節可能性の評価(サイエンティフィック・リポーツ・2026年08月)