強い対人ストレスが続くと気分の落ち込みが慢性化していく過程には、脳内の炎症反応が関わっていると考えられています。今回、東北医科薬科大学大学院薬学研究科のグループなどによる研究チームが、マウスを使った実験で、体内の糖代謝の乱れがこのプロセスに関与している可能性を報告しました。注目されたのは「L-フコース」という単糖の一種で、これを補うことで、慢性的な社会的ストレスにさらされたマウスのうつ様行動や脳の炎症が和らいだといいます。この研究はフロンティアーズ・イン・イミュノロジー誌に2026年7月に掲載予定です。
マウスに「社会的敗北」を繰り返し経験させる実験
研究チームは、慢性社会的敗北ストレス(CSDS)と呼ばれる手法を用いました。これは、体格の大きい攻撃性の強いCD1系統のオスマウス(8~10週齢)のケージに、実験対象となるC57BL/6J系統のオスマウス(6~7週齢)を毎日5~10分間入れて直接対峙させ、これを10日間連続で繰り返すというものです。対峙後は仕切り越しに互いの気配を感じられる状態で24時間過ごさせます。ヒトの職場や対人関係での慢性的なストレスに近い状況を再現するモデルとして用いられています。実験には、通常のマウス(Fut8+/+)に加えて、コアフコシル化に関わる酵素Fut8の量が少ないマウス(Fut8+/−)も使われ、この酵素の働きの強弱がストレス反応にどう影響するかも調べられました。
ストレスを受けたマウスでは、見知らぬマウスへの関心が薄れる(社会的相互作用の低下)、砂糖水を好んで飲まなくなる(ショ糖嗜好性の低下、快感を得にくくなる状態の指標)、尾を吊るされたり水に入れられたりした際にじっと動かなくなる時間が長くなる(無気力状態の指標)といった、うつ様の行動変化が確認されました。ここにL-フコースを1日4~36mgの範囲で経口投与したところ、これらの行動変化が緩和されました。ストレスを与える前から予防的に投与した場合だけでなく、10日間のストレス負荷が終わった後から2週間投与する「治療的」なスケジュールでも改善がみられ、その効果はFut8+/+マウス・Fut8+/−マウスの両方で確認されましたが、Fut8の少ないマウスでは回復の程度がやや弱い傾向があったとされています。
脳内で何が起きていたのか
行動面の変化とあわせて、海馬(記憶や気分の調節に関わる脳領域)の炎症反応も調べられました。ストレスを受けたマウスの海馬では、炎症性サイトカインであるIL-6、IL-1β、TNF-αなどの遺伝子発現が増加し、脳の免疫細胞であるミクログリア(Iba1というマーカーで検出)の集積や、JAK2/STAT3という炎症関連のシグナル伝達経路の活性化も認められました。またAMPA受容体サブユニット(GluR1、GluR2/3)やPSD95といった、シナプス(神経細胞同士のつなぎ目)の働きに関わるたんぱく質の減少も見られ、神経のつながりが弱くなっている様子がうかがえました。L-フコースの投与は、これらの炎症マーカーの上昇やミクログリアの集積、シナプスたんぱく質の減少をいずれも抑える方向に働いたと報告されています。
さらに研究チームは、この効果の背景にある仕組みとして、「GDP-フコース」という物質の代謝に着目しました。GDP-フコースは、たんぱく質の糖鎖にフコースを付加する「コアフコシル化」という修飾反応の材料になる物質で、体内でL-フコースからFUK(フコキナーゼ)とFPGT(フコース-1-リン酸グアニリルトランスフェラーゼ)という酵素を介して作られます(このルートは「サルベージ経路」と呼ばれます)。ストレスを受けたマウスの海馬では、このFUKとFPGTの発現が低下し、GDP-フコースの量そのものが減っていました。その結果、コアフコシル化を修飾する酵素Fut8自体の量はむしろ増えていたにもかかわらず、実際のコアフコシル化(LCAというレクチンで検出)は低下するという、酵素量と修飾量が一致しない現象が観察されました。L-フコースの投与は、このFUK・FPGTの発現とGDP-フコース量を回復させ、コアフコシル化も元に戻す方向に働いたとされています。研究チームは、2-フルオロフコースというフコシル化を阻害する薬剤を使った実験も行い、これによりGDP-フコースやFUKの発現が抑えられ、うつ様行動や脳の炎症がかえって悪化したことも確認しています。なお、大腸の遠位部の組織でも、L-フコースや、海藻由来の加水分解物であるMF30(藻由来のフコース含有原料)の投与によって、ストレスによる炎症反応が緩和されたことも報告されています。
この研究の位置づけ
この研究はマウスを用いた基礎研究であり、ヒトでの効果を証明したものではありません。使用されたL-フコースの投与量や投与経路も実験用に設定されたものであり、そのままヒトの食生活における摂取量の目安になるものではない点に注意が必要です。また、著者らは、ストレスによりFut8の発現自体は増えるにもかかわらずコアフコシル化が低下するという一見矛盾した現象について、GDP-フコースというフコシル化の「材料」の供給不足が原因である可能性を示した一方、Lewis X抗原という別の種類のフコシル化糖鎖では変化が小さかったことも報告しており、フコシル化の種類によってストレスへの応答性が異なる可能性があるとしています。あくまで一つの研究であり、今後さらなる検証が必要な段階にあるといえます。
まとめ
この研究は、慢性的な対人ストレスを受けたマウスの脳内で、GDP-フコースというありふれた糖代謝物質の合成が滞り、コアフコシル化という糖鎖修飾が乱れることが、神経の炎症やうつ様行動と関連している可能性を示しました。そこにL-フコースを補うことで、この代謝経路の働きを取り戻し、症状の緩和につながる可能性が動物実験で示唆されています。なお、本研究には日本の東北医科薬科大学大学院薬学研究科などに所属する研究者が参加しています。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Meng Zheng, Tomohiko Fukuda, Siming Zhang, et al. L-fucose administration ameliorates chronic social defeat stress-induced depressive-like behaviors by restoring GDP-fucose biosynthetic activation and core fucosylation. フロンティアーズ・イン・イミュノロジー (2026). DOI: 10.3389/fimmu.2026.1909378. 原著ライセンス: cc-by.