エチオピアの家庭で古くから作られてきた発酵乳製品「アイブ」は、バターを作る過程でできる副産物のバターミルク(アレラ)を弱火で加熱し、ホエー(乳清)を取り除いて作られる柔らかい酸味のチーズだ。日常的な副菜として親しまれている一方で、常温では2〜4日程度しか日持ちしないという弱点を抱えている。今回紹介するのは、この身近な食品の安全性と栄養価を、同じく地域で栽培される「奇跡の木」ことモリンガ(Moringa oleifera)を使って高められないかを、既存の研究をもとに検討した総説論文である。著者はサマラ大学(エチオピア)獣医・動物科学カレッジの動物科学専攻に所属する研究者で、日本の研究機関や食品との関わりについては本論文中に記載がない。
アイブが抱える「傷みやすさ」と「栄養の物足りなさ」
論文によれば、アイブはバターミルクをおよそ30〜50℃で25〜30分ほど弱火にかけて凝固させ、冷ましてからホエーを除いて作られる。だいたい10〜12リットルのバターミルクから1キログラムほどのアイブができるという。できあがったアイブはたんぱく質を14.53〜16.78%含み、カルシウム(100gあたり39.68〜41.23mg)、マグネシウム、カリウムなど市場流通品の分析でミネラルも一定量含まれることが報告されている一方、水分含量は78%前後と高く、pHは4.5前後の酸性である。この水分の多さと常温での製造・保存という条件が、微生物にとって増殖しやすい環境を作り出している。実際、市場で採取されたアイブの分析では、好気性中温菌が1gあたり5〜8桁(log cfu/g)、大腸菌群が2.4〜7.1桁という高い菌数が報告されており、黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)、セレウス菌(Bacillus cereus)、大腸菌(E. coli)、リステリア属菌(Listeria属)といった食中毒の原因になりうる菌も検出されているという。また、鉄・ビタミンA・ビタミンCの含有量は低く、論文では「エチオピア食品成分表(EFCT 2025)」による最新の分析でも、プレーンなアイブの鉄分は100gあたり0.1〜0.2mg、ビタミンCは実質ゼロ(0.0mg)にとどまると紹介されている。スパイスを加えて数週間発酵させる「メタタ・アイブ」という発展形でも鉄分は0.4〜0.6mg程度までしか上がらず、加熱工程でビタミンCが壊れてしまうことも指摘されている。
モリンガが持つ「栄養強化」と「静菌」の二つの働き
この論文が着目するモリンガは、乾燥に強く熱帯地域で広く育つ樹木で、種子にはアルカロイド、還元糖、サポニン、たんぱく質、フラボノイド、フェノール化合物など多様な生理活性物質が含まれるとされる。種子の油分はおよそ40%を占め、オレイン酸を73%含むなどオリーブオイルに近い脂肪酸組成を持つことも紹介されている。葉についても、ビタミンC・ビタミンA・カルシウム・たんぱく質・カリウム・鉄などを豊富に含むとされ、論文では「オレンジより多くのビタミンC」「ニンジンより多くのビタミンA」「牛乳より多くのカルシウム」「ヨーグルトより多くのたんぱく質」「バナナより多くのカリウム」「ほうれん草より多くの鉄」を含むという既存文献の記載が紹介されている。さらに種子や葉に含まれるベンジルイソチオシアネート、ニアジミシン、各種フェノール化合物には、グラム陽性菌・グラム陰性菌の両方に対する広域的な抗菌活性が報告されているという。その仕組みとして、イソチオシアネート類が細菌の細胞膜を破壊し細胞を溶かす「膜破壊」作用、フェノール類やフラボノイドが酸化を防ぎ乳製品中の脂肪の酸敗を抑える抗酸化作用、さらに種子中のたんぱく質が細菌を凝集させて除去しやすくする働きが挙げられている。論文はこれらの性質から、モリンガをホエー除去後の冷ましたアイブに粉末として加えることを提案しており、この段階での添加であれば熱に弱いビタミンや生理活性物質を壊さずに済むとしている。実際に加えた場合の栄養価については、モリンガ葉粉末の栄養密度をもとにした「推定値」として、鉄分が100gあたり4〜6mg、ビタミンAが1000〜1500µg、ビタミンCが15〜20mg程度まで高まる可能性が試算として示されているが、これはあくまで既存データに基づく予測であり、実際にアイブへ添加して測定した数値ではないと明記されている点に注意が必要だ。
この研究の位置づけと今後の課題
この論文は実験を新たに行ったものではなく、既存の研究成果を整理・統合した総説(レビュー)であり、モリンガをアイブに加えた場合の効果を直接検証したデータそのものではない。著者自身も、モリンガ入りヨーグルトやチーズを対象にした他の研究では、ポリフェノール含量や抗酸化活性、たんぱく質・ミネラルプロファイルの向上、微生物数の減少が報告されている一方で、添加量が多くなると色・風味・食感に悪影響が出ることがあると注意を促している。またエチオピアの伝統的なチーズにニンニクやショウガの粉末を加えた事例では、微生物学的な品質改善と許容できる風味の両立が報告されているとしつつも、モリンガをアイブに使う場合の最適な添加濃度、加工方法、実際の保存期間延長効果、そして消費者の受容性については、いずれも今後の実証研究が必要な「研究のギャップ」として挙げられている。つまり、抗菌力を発揮させつつ風味や食感を損なわない「最小有効濃度」を見極めることが、実用化に向けた次の課題とされている。
まとめ
この総説は、エチオピアの伝統食であるアイブが抱える「傷みやすさ」と「微量栄養素の不足」という二つの課題に対し、モリンガの葉や種子の粉末を加えることで栄養強化と自然な防腐作用を同時に狙えるのではないか、という考え方を既存文献に基づいて整理したものである。示された数値の多くは実測ではなく既存データからの推定であり、実際にモリンガ入りアイブを作って保存期間や風味、安全性を確かめた研究ではない点は踏まえておきたい。著者も、濃度の最適化や官能評価、実保存条件での賞味期限延長効果を検証する今後の研究が必要だと述べており、一つの総説としての提案にとどまるものである。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Dawudie Gobezie. Safety and nutritional enhancement of Ayib using Moringa oleifera as a dual-function bio-intervention. ディスカバー・フード (2026). DOI: 10.1007/s44187-026-01079-5.