著者の所属・活動拠点の国は、マレーシアです。
掲載誌:Borneo Journal of Marine Science and Aquaculture (BJoMSA)
ライセンス: 論文に記載なし
養殖業は世界で最も急速に拡大している食料生産分野のひとつです。その成長を支えてきたのが魚油で、魚の成長や健康、神経発達に欠かせないEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)といった長鎖多価不飽和脂肪酸を豊富に含んでいます。しかし魚油はもともと限られた天然の魚資源から作られるため、乱獲や供給の不安定さが課題となってきました。そこで大豆油やパーム油、動物性脂肪、微細藻類油など、さまざまな代替油脂の利用が研究されてきましたが、これまでの評価は主に成長のスピードや体組成といった『パフォーマンス』の指標にとどまっていたといいます。マレーシア・サバ大学などの研究者らによるこのミニレビュー論文は、魚に何が起きているのかをより詳しく知るための手法として『メタボロミクス(代謝物解析)』に注目し、魚油の代替に関するこれまでの研究成果を整理したものです。
代謝物を見ることで何がわかるのか
メタボロミクスとは、体内にある低分子の代謝物(糖やアミノ酸、脂肪酸の分解産物など)をNMR(核磁気共鳴)やLC-MS(液体クロマトグラフィー質量分析)といった手法でまとめて分析する技術です。論文によれば、NMRは代謝の中間体を高い再現性で検出できる一方、LC-MSはアシルカルニチンや酸化した脂肪酸など、脂質由来の代謝物を高感度でとらえられるとされ、両者は互いを補う関係にあるといいます。
このレビューでは、魚油を別の油に置き換えると、エネルギーを生み出す仕組みである「β酸化」や「解糖」、そして酸化ストレスに関わる代謝経路が変化することが、複数の研究から報告されているとまとめられています。たとえば植物油を与えた魚では血中のグルコースや乳酸が増える傾向が示され、脂肪の分解(β酸化)に頼るエネルギー産生から、糖を使う解糖系へと切り替わっている可能性が指摘されています。また、飽和・一価不飽和の油脂に置き換えた場合には、脂肪酸をミトコンドリアへ運ぶ役割を持つ「アシルカルニチン」というの中間物質のプロファイルが変化することも報告されています。酸化ストレスに関しても、体内の抗酸化物質であるグルタチオン(還元型と酸化型の比率、GSH/GSSG)の変化や、酸化した脂質を示すマロンジアルデヒド(MDA)の増加など、油の質や種類によって異なる反応が観察されているとのことです。さらに、α‐リノレン酸を多く含む亜麻仁油を与えた場合には、EPAやDHAを体内で作る際の中間段階にあたる脂肪酸の伸長・不飽和化に関わる代謝物が増えたとする報告もあり、魚が自らの力で長鎖脂肪酸を合成しようとする代償的な反応の可能性が示唆されています。
油の種類によって異なる特徴
論文では、代替油脂として植物油(大豆油、菜種=キャノーラ油、ひまわり油、亜麻仁油)、動物性脂肪(牛脂、豚脂、鶏脂、魚の加工残渣油)、微生物・藻類油(Schizochytrium属など)、そして粗パーム油(CPO)が取り上げられています。大豆油はリノール酸が豊富で成長を promotes する一方、フィレ(切り身)中のEPA・DHAを減らす傾向があるため全量置換ではなく部分的な置換が向くと述べられています。菜種油はバランスの良い脂肪酸組成を持ち、ギルトヘッドシーブリームやサケ科魚類、チョウザメなどで活用例があるとされます。動物性脂肪は安価でエネルギー効率が良い反面、フィレの脂肪酸組成が飽和・一価不飽和脂肪酸寄りに変わりやすいことが指摘されています。微細藻類油はEPA・DHAを直接含む点で魚油に近い代替になりうるとされていますが、詳細な検証はまだ研究途上とされています。
なかでも著者らが有望視しているのがCPO(粗パーム油)です。パルミチン酸(全体の約40〜45%)とオレイン酸を主成分とし、価格が安く、世界で年間7000万トン以上生産される流通量の豊富さに加え、トコフェロールやトコトリエノール、カロテノイドといった抗酸化性を持つ成分を含む点が特徴として挙げられています。実際、アジアン・シーバス(バラマンディ)などの熱帯魚種でCPOを部分的・全面的に魚油の代わりに使っても成長や生存に悪影響が出なかったとする報告が紹介されている一方で、フィレ中のEPA・DHA濃度が低下する傾向があることも同時に記されています。ただしCPOはEPA・DHAそのものは直接補えないため、微細藻類油などLC-PUFA(長鎖多価不飽和脂肪酸)を直接供給できる油と組み合わせて使う『複数の油を混ぜる』アプローチが実務的だとも述べられています。
この研究の位置づけと今後の課題
この論文は新しい実験を行ったものではなく、既存の文献をScopusやGoogle Scholarで検索し整理した「ナラティブレビュー(総説)」です。著者ら自身が指摘する限界として、酸化ストレス反応や免疫応答、脂質代謝の変化の仕方は魚の種類によって異なる(種特異的である)ため、ある種で得られた知見をそのまま別の種に当てはめることはできない点が挙げられています。また、これまでのメタボロミクス研究の多くは特定の代謝物だけを狙い撃ちで調べる「ターゲット解析」が中心で、より網羅的に代謝物全体を調べる「非標的(アンターゲテッド)解析」を魚種や成長段階を横断して行った例はまだ少ないとされています。著者らは今後、メタボロミクスをトランスクリプトミクス(遺伝子発現解析)やプロテオミクス(タンパク質解析)などの他のオミクス手法と組み合わせることで、持続可能な養殖用飼料の開発や、魚の長期的な健康状態を示すバイオマーカーの特定につなげる必要があると述べています。本記事で紹介した内容は一つのレビュー論文にまとめられた知見であり、特定の油が魚の健康に良い・悪いと断定するものではない点にご留意ください。
まとめ
魚油の代わりに植物油や動物性脂肪、微細藻類油、パーム油などを使う試みは、単に魚が育つかどうかだけでなく、体内のエネルギー代謝や酸化ストレス、免疫にまで影響を及ぼしうることが、メタボロミクスという手法を通じて見えてきたとこの論文はまとめています。なかでも安価で抗酸化成分を含むCPOは有望な選択肢の一つとして位置づけられていますが、EPA・DHAの供給という点では他の油との組み合わせが必要とされ、種ごとの違いや解析手法の限界も残されています。今後、より幅広い魚種・成長段階を対象にした網羅的な代謝物解析が、持続可能な養殖飼料づくりの手がかりになると期待されています。
著者:Izhar Ullah Shah Syed(Higher Institution Center of Excellence (HICoE), Institut Marin Borneo, Universiti Malaysia Sabah, Jalan UMS, Kota Kinabalu, Sabah, Malaysia)、Fui Fui Ching(Higher Institution Center of Excellence (HICoE), Institut Marin Borneo, Universiti Malaysia Sabah, Jalan UMS, Kota Kinabalu, Sabah, Malaysia)、Yoong Soon Yong(China-ASEAN College of Marine Sciences, Xiamen University Malaysia, 43900 Sepang, Selangor, Malaysia R&D Quality Department, Osmosis Nutrition Sdn Bhd, Bandar Nilai Utama, 71800 Nilai, Negeri Sembilan, Malaysia)、Chee Hoe Chuan(Higher Institution Center of Excellence (HICoE), Institut Marin Borneo, Universiti Malaysia Sabah, Jalan UMS, Kota Kinabalu, Sabah, Malaysia)、Muhammad Dawood Shah(Higher Institution Center of Excellence (HICoE), Institut Marin Borneo, Universiti Malaysia Sabah, Jalan UMS, Kota Kinabalu, Sabah, Malaysia)
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。出典(原著論文):Izhar Ullah Shah Syed, Fui Fui Ching, Yoong Soon Yong, et al. Metabolomic Insights into Fish Oil Replacement with Other Alternatives: A Mini Review. ボルネオ海洋科学・養殖ジャーナル (2026). DOI: 10.51200/bjomsa.e7416.