この研究は、韓国の研究機関の研究論文です。
掲載誌:Journal of Analytical Science & Technology
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的:洗浄工程のいらない細菌検出をめざして
食品中の細菌を調べる方法として広く使われているのが、抗体が特定の相手にだけくっつく性質を利用した「免疫測定法(イムノアッセイ)」です。ただし一般的な方式では、固体の支持体に抗体を固定し、結合しなかった細菌や抗体を洗い流す工程が必要になります。研究チームは、細菌の大きさが数マイクロメートルであるのに対し、固定された抗体は10ナノメートル未満と大きな差があるため、この洗浄がうまくいかず、結合していない細菌が残ったり、目的外の結合が増えたりしやすいと説明しています。
そこで著者らが取り組んだのが、試料と抗体液を混ぜるだけで済み、洗浄や追加処理を必要としない「一段階(ワンステップ)」の測定法です。本研究では、この一段階法と質量分析装置(MALDI-TOF MS)を組み合わせ、代表的な食中毒細菌5種——腸管出血性大腸菌O157:H7、ネズミチフス菌、リステリア・モノサイトゲネス、黄色ブドウ球菌、セレウス菌——を定量的に検出できるかを検証しました。
仕組みと調べ方:抗体から外れるペプチドを「目印」にする
この手法の鍵となるのが「スイッチングペプチド」と呼ばれる短いアミノ酸の鎖です。これは抗体(IgG)の結合部位にあらかじめはまり込んでおり、抗体が本来の相手である抗原——ここでは細菌——に結合すると、定量的に外れて溶液中に放出されます。著者らは、放出されたペプチドの量を質量分析で測ることで、大きなタンパク質や細菌そのものを直接測る代わりに、間接的に細菌の量を知るという方針をとりました。放出されたペプチドが、いわば質量の「目印(マスタグ)」として働くわけです。
測定に使う抗体は、免疫処置をしていないブタの血清から集められました。細菌の外膜には強い炎症反応を引き起こす成分が含まれるため、動物に細菌を接種して抗体をつくらせる方法には限界があると論文は述べています。代わりに著者らは、生まれつき備わる免疫に関わる「自然抗体」が未免疫の血清中に存在することを利用し、まず目的の細菌と混ぜて結合した抗体を回収し(一次抽出)、次に目的外の細菌(フィルター細菌)と混ぜて交差反応する抗体を吸着除去する(二次抽出)という段階的なろ過法を用いました。血清1 mLあたりの平均回収量は、一次抽出で130.4 ± 20.0 µg、二次抽出で95.2 ± 26.6 µg(いずれもn = 5)と報告されています。
質量分析の条件も検討されました。蛍光色素を付けたペプチドでは信号が検出されなかった一方、標識のないペプチドでは明確な信号が得られたため、以降は無標識のものが選ばれています。内部標準としてP14Rという既製のペプチドを使うことで、0.01〜10.00 pmol/µLの範囲で相対標準偏差1.4〜11.3%、決定係数0.983超という良好な直線性が得られたとされています。
主な結果:蛍光法やHPLCより少ない細菌数で検出
段階的ろ過の効果は、細胞1個ずつの蛍光を測るフローサイトメトリーで確認されました。例えば大腸菌O157:H7を標的とした一次抽出抗体は、標的だけでなくリステリア・モノサイトゲネスにも強く結合しましたが、リステリアをフィルター細菌として二次抽出を行うと、標的への信号は保たれたままリステリアへの信号は陰性対照と同程度まで下がったと報告されています。他の4菌種でも同様の傾向が示されました。
細菌の検出では、5菌種すべてについて質量分析による定量が可能でした。検出限界は1回の測定あたりの細菌数に換算して示されており、大腸菌O157:H7で0.182個、ネズミチフス菌で0.261個、リステリア・モノサイトゲネスで0.280個、黄色ブドウ球菌で0.048個、セレウス菌で0.108個と報告されています。同じ条件で行った蛍光法では、対応する検出限界は173個、37.0個、145個、89.3個、22.9個でした。液体クロマトグラフィー(HPLC)を用いた場合は、5菌種のいずれでもペプチドに対応するピークが検出されなかったとされています。
一方で著者らは、直線性の指標である決定係数については蛍光法のほうがやや高い値を示したと述べ、質量分析は感度に、蛍光法は定量の直線性に優れるという相補的な性格があり、用途に応じて考慮すべきだとしています。また、蛍光法では色素標識ペプチド、質量分析では無標識ペプチドという異なる形のペプチドを使っているため、両者の性能比較はその構造の違いを踏まえて解釈する必要があるとも注記されています。
この研究が示すこと
食品衛生の基準では、大腸菌O157:H7やサルモネラ属菌、リステリア・モノサイトゲネスといった主要な食中毒細菌について「検出されないこと」が求められる場合があり、信頼できるスクリーニング手法の重要性は変わりません。今回報告された方法は、細菌を壊して内部のタンパク質を取り出す必要がなく、標識した二次抗体も使わずに、細菌をそのままの状態で検出できる点に特徴があります。
洗浄工程を省いた均一溶液中の反応と、抗原結合によって放出されるペプチドを質量の目印として読み取るという発想の組み合わせが、少ない細菌数での定量を可能にした——これが著者らの報告から読み取れる内容です。
著者:Hyun-Woo Song(Department of Materials Science and Engineering, Yonsei University, 50 Yonsei-Ro, Seodaemun-gu, Seoul, 03722, South Korea)、Tae Gyeong Yun(Department of Materials Science and Engineering, Yonsei University, 50 Yonsei-Ro, Seodaemun-gu, Seoul, 03722, South Korea)、Soonil Kwon(Department of Materials Science and Engineering, Yonsei University, 50 Yonsei-Ro, Seodaemun-gu, Seoul, 03722, South Korea)、Sang Jin Jung(Department of Materials Science and Engineering, Yonsei University, 50 Yonsei-Ro, Seodaemun-gu, Seoul, 03722, South Korea)、Min‐Jung Kang(Korea Institute of Science and Technology (KIST), Seoul, 02792, South Korea)、Do Young Lee(OPTOLANE Technologies Inc., 172 Jagok-ro, Gangnam-gu, Seoul, 06373, South Korea)、Jae‐Chul Pyun(Department of Materials Science and Engineering, Yonsei University, 50 Yonsei-Ro, Seodaemun-gu, Seoul, 03722, South Korea)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Hyun-Woo Song, Tae Gyeong Yun, Soonil Kwon, et al. MALDI-TOF MS–based immunoassay using switching peptide for sensitive detection of intact foodborne bacteria. Journal of Analytical Science & Technology 2026-09-14. DOI: 10.1186/s40543-026-00568-7. 原著ライセンス:CC BY.