この研究は、中国の研究機関の研究論文です。
掲載誌:Frontiers in Cellular and Infection Microbiology
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
なぜ「腸と前立腺」なのか
前立腺がんは男性に多いがんの一つで、早期であれば手術や放射線治療で高い治癒率が得られる一方、転移した段階では男性ホルモン(アンドロゲン)を抑える治療(アンドロゲン遮断療法、ADT)が標準となります。しかし多くの患者は最終的に、ホルモンを抑えても進行する「去勢抵抗性前立腺がん(CRPC)」へと移行します。
著者らは、前立腺がんの発症には年齢や遺伝に加えて食事・肥満・慢性炎症といった変えられる要因も関わり、これらがいずれも腸内細菌と密接に結びついている点に注目しました。腸内細菌が作る代謝産物やホルモン環境・免疫環境への影響を通じて、離れた臓器である前立腺に作用するのではないか——この考え方は「腸-前立腺軸」と呼ばれています。本論文は新たな実験を行った研究ではなく、この分野でこれまでに報告されてきた知見を整理し、評価した総説(レビュー)です。
患者の腸内細菌には何が見つかっているか
著者らによれば、臨床研究の多くは便や直腸ぬぐい液を用いた16S rRNA解析で行われ、一部はより詳細な情報が得られるショットガンメタゲノム解析を用いています。報告を総合すると、前立腺がん患者と健康な人、あるいは前立腺肥大症の患者や生検陰性の人との間には、腸内細菌の構成に一定の違いがあるとされています。
たとえばある研究では、中〜高リスクの前立腺がん患者でBacteroides massiliensisが多く、短鎖脂肪酸を作る細菌であるFaecalibacterium prausnitziiやEubacterium rectaleは対照群で多かったと報告されています。別の研究では、菌の多様性そのもの(α多様性)には大きな差がない一方、細菌群集の構成の違い(β多様性)には有意差が見られ、BacteroidesやStreptococcusが多いという結果が示されました。また、高リスクがんではRikenellaceaeやAlistipesなどが増え、18の菌属に基づく指標が高リスクがんの識別でPSA(前立腺特異抗原)を上回る可能性が示されたという報告や、転移例でProteobacteriaが多く、炎症物質IL-6の値やリンパ節転移・遠隔転移と関連していたという報告も紹介されています。
ただし著者らは、差が見られなかった研究も複数あることを強調しています。便の菌叢では前立腺がん群と非がん群を明確に分けられなかった、あるいは診断時のグレード別に一貫した違いが見られなかったという報告もあります。こうした不一致は、生物学的な違いだけでなく、検体の種類、対照群の定め方、病期、食事、投薬歴、抗菌薬の使用、地域差といった方法上の違いにも由来すると考えられ、その結果として「前立腺がんに特有の腸内細菌像」はまだ確立されていない、というのが著者らの評価です。繰り返し現れる菌は、確立された診断・予後のバイオマーカーではなく、あくまで候補と位置づけるべきだとしています。
想定されている仕組みと、治療との双方向のやりとり
著者らは、腸内細菌が前立腺がんに影響しうる経路を、代謝・内分泌・炎症・免疫が絡み合ったネットワークとして整理しています。食物繊維の発酵で生じる短鎖脂肪酸については、動物実験でIGF-1やMAPK/PI3Kという増殖に関わる信号経路を介して腫瘍の増殖と結びついた報告がある一方、濃度や種類、病期によって働きが異なりうるとされ、単純に「がんを抑える」「がんを促す」と決めつけられないと注意を促しています。また、高脂肪食が腸内細菌を乱し、血中のLPS(細菌由来の炎症を引き起こす物質)が増えてTLR4やIL-6/STAT3といった炎症経路を介して腫瘍の増殖に関わる、という動物モデルの知見も紹介されています。
特に注目されているのが、腸内細菌によるアンドロゲン合成です。ADTを行うとCRPCと関連する細菌が増え、その一部はホルモンの前駆体を活性型アンドロゲンへ変換する能力を持つと報告されています。CRPC患者由来の便微生物移植(FMT)を受けたマウスの腫瘍が去勢に抵抗性を示した一方、特定の細菌の投与は腫瘍増殖を抑えたという実験結果も示されています。また、Akkermansia muciniphilaという細菌の増減が治療反応と関連する報告や、アビラテロン治療がこの菌を増やすという報告もあります。
治療と腸内細菌の関係は一方通行ではありません。放射線治療中に腸内細菌の構成が大きく変化したという長期観察研究や、治療前の便の細菌構成から急性の消化管毒性のリスクを予測できる可能性を示した215人規模の前向き観察研究が紹介されています。一方、免疫療法については、転移性去勢抵抗性前立腺がんでペムブロリズマブを受けた患者で、治療前の腸内細菌構成に反応群と非反応群の明確な差が見られず、他のがん種と異なりA. muciniphilaが反応群で多いわけでもなかったと報告されており、がん種や治療の文脈に依存する可能性が指摘されています。
この総説が示していること
著者らの整理によれば、腸内細菌と前立腺がんの関連を示す報告は着実に積み上がっているものの、現時点の研究の多くは小規模または横断的で、因果関係ははっきりしていません。動物モデルでは細菌の移植や抗菌薬による介入から一定の裏づけが得られている一方、ヒトでの知見は主として「関連がある」という段階にとどまるとされています。
食事介入、プロバイオティクス、便微生物移植といった手段には一定の見込みがあるものの、著者らは、多施設の縦断コホートと多層的なオミクス解析を組み合わせ、標準化された検体採取と独立した検証コホートによって、研究ごとの偶発的な信号と確かな疾患関連の菌とを見分けていく必要があると述べています。腸と前立腺をつなぐ経路の全体像を描くうえで、この総説は現在どこまでが分かっていて、どこからが未解明なのかを線引きする見取り図を提供しています。
著者:Kenan Wang(Department of Urology, The First Affiliated Hospital of Dalian Medical University)、Qizhen Tang(Department of Urology, The First Affiliated Hospital of Dalian Medical University)、Weiwei Fan(Department of Urology, The First Affiliated Hospital of Dalian Medical University)、Quanxin Su(Department of Urology, The First Affiliated Hospital of Dalian Medical University)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Kenan Wang, Qizhen Tang, Weiwei Fan, et al. Gut–prostate axis in prostate cancer: microbiome signatures, mechanistic insights, and therapeutic opportunities. Frontiers in Cellular and Infection Microbiology 2026-09-08. DOI: 10.3389/fcimb.2026.1882172. 原著ライセンス:CC BY.