著者の所属・活動拠点の国は、インドです。

掲載誌:International Journal For Multidisciplinary Research

ライセンス: CC BY-SA 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

女性の暮らしから飢饉を読み解く

1943年のベンガル飢饉で、女性たちはどのような困難に直面し、暮らしを支えようとしたのでしょうか。この研究は、当時のミドナプル地区、とくに被害の大きかった沿岸部のコンタイとタムルクに目を向け、女性の経験を地域の記録から明らかにしようとしたものです。

著者が主な資料としたのは、コンタイで発行されていたベンガル語週刊紙「Nihar」です。1943年の紙面に掲載された地域の出来事、住民の訴え、救援活動などを、行政報告や先行研究と併せて読み解きました。穀物価格や死者数だけでは捉えにくい、家庭や村での生活をたどっています。

食料不足に重なった生活基盤の崩壊

著者が示すのは、女性の苦境が食料不足だけでは説明できないという点です。1942年10月16日のサイクロンは、家屋、農作物、家畜、備蓄食料を失わせました。浸水や塩水による被害は農地や水源にも及び、女性が主に担っていた炊事、水の確保、洗濯などを難しくしたと論文は説明しています。

さらに、日本軍の侵攻に備えて植民地当局が船を撤去・破壊した政策は、漁業や水運を損ないました。著者は、こうした生業の喪失に米の不足と値上がりが重なり、家庭が食料を買う力を失っていったと論じています。男性の稼ぎ手が仕事を求めて移動するなか、女性には子どもや病人の世話が残される場合もありました。

Niharには、子どもを連れて食料を求め、地方行政官の住居を訪れた女性や、極度に衰弱した状態で見つかった女性の記事が残っています。土地、装身具、家財を売って食料を得ようとする家族も報じられました。著者はこれらを、家庭が蓄えや収入だけでなく、家族を養い世話する力まで失っていく過程として読み解いています。

救援を求め、暮らしを支えた女性たち

衣服や住まいの喪失も重要な問題でした。論文は、十分な衣服がないことが、女性の外出や仕事探し、救援を受けに行く行動を妨げ得たと指摘しています。また、マラリアなどの病気が広がり、医薬品も不足するなかで、病人の世話が女性の負担をさらに増やしたと説明しています。

一方、Niharに現れる女性は、援助を待つ被災者だけではありません。糸紡ぎや機織りを促す活動、材料や道具の配布、救援や孤児院でのケアに関わる女性も記録されています。著者は、厳しい制約のなかでも、女性たちが収入を得る道を探し、地域の支援を担っていたことを示しています。

著者は、地域新聞の記事が中立的な統計記録ではなく、新聞独自の立場も反映していると断っています。そのうえで、この研究が伝えるのは、飢饉を理解するには食料の量だけでなく、住まい、衣服、仕事、家族の世話、救援へのアクセスを見る必要があるということです。女性たちは深刻な被害を受けると同時に、家庭と地域の生存を支える役割も果たしていました。

原著論文の著者・所属:Mousumi Khatun(PhD Research Scholar , Department of History , Aliah University , Kolkata , India)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Mousumi Khatun Condition of Women in Midnapore District during the Bengal Famine of 1943: A local History Based on Nihar. International Journal For Multidisciplinary Research 2026-09-03. DOI: 10.36948/ijfmr.2026.v08i05.86981. 原著ライセンス:CC BY-SA 4.0.

本紹介記事の文章(題名・見出しを含む)は、CC BY-SA 4.0で提供します。原著論文をもとにNutriMap Japanが日本語で要約・説明を加えています。対象は本紹介記事の文章に限り、ヒーロー画像・サイトのロゴ・画面デザイン・他の記事・データベース全体は含みません。