この研究は、中国の研究機関の研究論文です。
掲載誌:Frontiers in nutrition
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: Europe PMC
なぜこの調査が行われたのか
手術は体に大きな負担をかけます。組織の損傷や麻酔などをきっかけに、体内では酸化ストレスと呼ばれる反応が進み、さらに手術後にはインスリンが効きにくくなる「インスリン抵抗性」や一時的な高血糖が起こることが知られています。著者らによれば、こうした変化は感染リスクの上昇や傷の治りの遅れ、入院期間の長期化と関連づけて報告されてきました。
こうした負担を和らげるために各国で広まったのが、術後回復力強化(ERAS)と呼ばれる周術期ケアの考え方です。その柱のひとつが「術前経口炭水化物投与」で、ブドウ糖やマルトデキストリンなどを含む透明な等張飲料を手術前に飲んでもらう方法を指します。従来は手術前に長時間絶食するのが一般的でしたが、論文では、この方法が空腹感やのどの渇きを和らげ、術後のインスリン抵抗性を減らすと報告する研究が積み重なっており、米国麻酔科学会や欧州臨床栄養代謝学会、中国のガイドラインでも推奨されていると整理されています。
ところが著者らは、「効果がある」という点では評価が定まりつつある一方で、どの手術に、いつ、どの濃度・量を飲ませるのかといった具体的な中身は研究ごとにばらつきが大きく、地域による実践の違いもあって、証拠が断片的なままだと指摘します。そこで本研究は、この分野の研究全体を地図のように描き出す「スコーピングレビュー」という手法で、研究の広がりと空白を明らかにすることを目的としました。
どのように調べたか
著者らは、Arksey と O'Malley が提唱した方法論の枠組みに沿い、PRISMA-ScR の報告手順を用いて調査を進めました。スコーピングレビューとは、個々の研究の効果量を統計的に合算するのではなく、どんな研究がどれだけ存在し、何が調べられていないのかを整理するための方法です。研究計画はオープン・サイエンス・フレームワーク(OSF)にあらかじめ登録されています。
対象は、中国語と英語の四つずつ、計八つのデータベースに収録された記録で、開始時点から2025年9月30日までを検索しました。対象者は18歳以上で待機手術(予定された手術)を受ける患者、介入は手術前日または当日の手術2〜3時間前に口から炭水化物を摂取するもので、炭水化物の濃度と量が明記されていることを条件としました。研究デザインはランダム化比較試験やコホート研究などの一次研究に限り、症例数20未満の研究や、重い臓器不全の患者だけを対象にした研究などは除外しています。選別と情報の抽出は2名が独立して行い、意見が分かれた場合は第三者が判断しました。
検索で得られた4,999件から重複を除いて3,679件となり、題名と要旨による選別、さらに全文の確認を経て、最終的に82件が分析対象となりました。著者らは、この絞り込みの条件によって扱える証拠の範囲が狭まることを自ら認めています。
報告された主な結果
82件は18の国・地域にまたがり、中国が40件(48.8%)と最も多く、インドとトルコが各7件(8.5%)、韓国が6件(7.3%)と続きました。発表年は2015年から2025年で、2020年以降が56件(68.3%)を占めています。研究デザインは76件(92.7%)がランダム化比較試験でしたが、単一施設での研究が74件(90.2%)と大半を占め、多施設研究は8件(9.8%)にとどまりました。また、ランダム化比較試験のうち参加者と評価者の双方に割り付けを伏せる二重盲検は11件(14.5%)で、40件(52.6%)は盲検化されていませんでした。
対象となった手術は14の診療領域に及び、消化器外科19件(23.2%)、肝胆道外科18件(22.0%)、整形外科16件(19.5%)、婦人科10件(12.2%)などが中心でした。一方、患者の偏りも報告されています。高齢者(60歳以上または65歳以上)を明確に対象とした研究は13件(15.9%)、糖尿病患者を含めた研究はわずか3件(3.7%)で、いずれも「血糖が安定していること」を条件としていました。多くの研究は糖尿病や耐糖能異常のある人を除外しています。
飲料の中身も一様ではありませんでした。マルトデキストリンを主体とする製剤が31件(37.8%)と最も多く、ブドウ糖液が10件(12.2%)、蜂蜜液や米粉を酵素分解したものなど地域に固有の飲料が7件(8.5%)でした。投与のタイミングは手術2〜3時間前の1回が中心でしたが、41件は前日の夜と当日2時間前の2回に分けて計800〜1200 mLを与える方法を採っており、この2回法と手術の種類との間に決まった対応関係は見られなかったと報告されています。
結果の指標は、代謝・快適さ・炎症・臨床的回復・安全性の五つに整理されました。代謝関連が56.1%と最も多く、そのうち35件が術後のインスリン抵抗性(HOMA-IRなど)を報告しています。著者らは、炭水化物を摂取した群で術後のインスリン抵抗性が低かったとする研究が多く、方向性としてはおおむね良好だったとしつつ、対象となる手術や製剤、投与量、測定時点がばらばらであるため、本レビューでは数値をまとめて統合することはできなかったと明記しています。安全性については、胃の残留量や胃前庭部の断面積などが調べられ、術前の炭水化物摂取によって誤嚥のリスクが高まったと報告した研究はありませんでした。
空白も具体的に示されています。術後1か月以内の短期的な経過を扱った研究は10件ありましたが、術後1年の死亡率を調べたものは1件のみで、術後3〜12か月の機能回復や生活の質の変化を扱った研究は一つもありませんでした。
この調査が示すもの
この研究が描き出したのは、「術前に炭水化物を飲む」という一つの言葉のもとで、実際にはかなり異なる実践が行われているという現状です。効果を支持する報告が多く積み重なる一方で、誰に、何を、どれだけ、いつ与えるのかという設計は研究ごとに違い、比較して優劣を判断できる状態にはなっていません。
同時に、証拠が誰について集められてきたのかという偏りも浮かび上がりました。高齢者や糖尿病のある人は、実際の手術現場では決して少なくないにもかかわらず、この分野の研究では限られた割合しか占めていません。また、退院後の長い時間軸での回復については、ほとんど調べられていないままです。研究の地図を描くという作業は、何が分かっているかと同じくらい、何がまだ調べられていないかを可視化する作業でもあることを、この報告は示しています。
著者:Xiao B(Department of Anesthesiology, Chongqing University Cancer Hospital, Chongqing, China.)、Liu Y(Department of Anesthesiology, Chongqing University Cancer Hospital, Chongqing, China.)、Lu R(Department of Anesthesiology, Chongqing University Cancer Hospital, Chongqing, China.)、Tan R(Department of Anesthesiology, Chongqing University Cancer Hospital, Chongqing, China.)、Zeng X(Department of Anesthesiology, Chongqing University Cancer Hospital, Chongqing, China.)、Lu X(Sichuan Provincial Cancer Hospital, Chengdu, China.)、Yang C(Department of Anesthesiology, Chongqing University Cancer Hospital, Chongqing, China.)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Xiao B, Liu Y, Lu R, et al. Preoperative oral carbohydrate administration in adult elective surgery: protocol heterogeneity, regional practice patterns and evidence gaps-a scoping review. Frontiers in nutrition 2026-09-11. DOI: 10.3389/fnut.2026.1943627. 原著ライセンス:CC BY.