この研究は、インドの研究機関の研究論文です。
掲載誌:Future Postharvest and Food
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
なぜ「加工に向く果実」が課題になるのか
果物はジュース、ピューレ、濃縮果汁、乾燥品、冷凍品などに加工され、収穫後の損失を減らしたり、季節による供給の波をならしたりする役割を担っています。著者らはまず、世界の果実生産が2022年に9億3000万トンを超えた一方で、収穫後の損失が世界全体で20〜30%と見積もられている点を指摘します。ただし著者らは、この数字は収穫から流通、消費までさまざまな段階で生じる損失をまとめたものであり、品種改良だけで直接防げる量として読むべきではない、と注意を促しています。
この論文が問いかけているのは、加工の効率を上げるための技術(冷蔵、包装、物流、加工工程の工学的な改善)に頼るだけでよいのか、という点です。著者らによれば、果樹の品種改良はこれまで収量、見た目の良さ、日もち、輸送性、病害虫への抵抗性といった「生鮮市場向け」の性質を優先してきました。しかし加工業界が求めるのは、果肉や果汁が多く取れること、加熱や機械的な力を受けても形が崩れないこと、切ったときの褐変が少ないこと、色素が安定していることなど、かなり異なる組み合わせです。著者らはこのずれを、品種開発と工業利用のあいだの構造的な不一致だと表現しています。
この総説(レビュー論文)は、個別の実験を報告するものではなく、加工に関わる果実の性質について、これまでに分かっている遺伝子やその働きの知識を整理し、従来の品種改良の限界を検討し、新しい分子・ゲノム技術の可能性を見渡すことを目的としています。
加工に関わる性質と、報告されている遺伝子の働き
著者らは、加工の品質を左右する主な性質として、果肉のかたさ(硬度)、可溶性固形分(糖などの量。おおむね糖度として測られます)、糖と酸のバランス、色の安定性、酵素による褐変の起こりにくさ、香りの保持、栄養面の質を挙げ、それぞれに関わる遺伝子や制御のしくみをまとめています。
かたさについては、細胞壁を分解・組み替える酵素の遺伝子群が中心に紹介されます。ポリガラクツロナーゼ(PG)、ペクチンメチルエステラーゼ(PME)、ペクチン酸リアーゼ(PL)、エクスパンシンなどで、これらが熟成や老化の過程で細胞壁の多糖類を作り変えます。果肉が柔らかい果実の研究モデルであるトマトでは、RIN、NOR、CNRといった転写因子(多数の遺伝子のはたらきをまとめて指揮するタンパク質)が、熟成・軟化・色素の蓄積・エチレン合成を調整していると説明されています。著者らは、PGの発現を抑えるとペクチンの分解が減り加工中のかたさが保たれた例、PL遺伝子をゲノム編集するとほかの品質を損なわずにかたさが高まった例を、既報の結果として紹介しています。
糖度については、糖の代謝と輸送に関わる遺伝子(スクロースリン酸シンターゼ、スクロースシンターゼ、インベルターゼ、SUTやSWEETという輸送体の遺伝子群)が関係します。トマトのLIN5というインベルターゼ遺伝子では、特定の対立遺伝子(同じ遺伝子の型の違い)が糖の蓄積や可溶性固形分の増加と関連づけられてきたと述べられています。ただし著者らは、糖度を高める育種には二律背反があり、糖の濃度が上がると果実の大きさや収量が下がることがあるため、バランスの取れた選抜が必要だとしています。
色については、カロテノイドやアントシアニンを作る経路の遺伝子と、MYB・bHLH・WD40といった転写因子の役割が挙げられます。ブドウやイチゴの遺伝子発現の研究で、MYB転写因子がアントシアニン合成と加工中の色の安定性を左右する重要な調節因子であると示されてきた、と紹介されています。褐変については、ポリフェノールオキシダーゼ(PPO)、ペルオキシダーゼ、フェニルアラニンアンモニアリアーゼの働きが主に関わり、PPOの発現量には品種間で遺伝的な差があるため褐変しやすさが違ってきます。PPO遺伝子の発現を抑えて褐変しにくいリンゴ品種が作られたことは、加工品質のための分子育種が実際に応用された例として挙げられています。
著者らはさらに、収穫後の性質を遺伝的に変えられることを示す具体例として、メロンのCmACO1遺伝子をゲノム編集した研究を引用しています。この編集系統では、収穫14日後のエチレン生成が野生型に比べておよそ88〜95%減り、かたさの最大値は野生型の約3〜10倍を保ち、野生型で見られた果皮の崩れやどろどろした質感、早い発酵が編集系統では現れなかったと報告されています。加工用トマトでは、完熟果を最大4週間ほど畑に置いても腐らない「長期圃場保持」という性質が1991年に商業的に導入され、収穫時期の調整と加工工場の稼働の調整に役立っていることも紹介されますが、その遺伝的なしくみは完全には公表されていないとされています。
進みにくさの理由と、使われはじめた新しい手法
加工向けの育種が進みにくい理由として、著者らは生物学的な制約を挙げます。加工に関わる性質の多くは多数の遺伝子が関わる量的な形質で、環境の影響も強く受けるため、見た目や測定値から直接選抜するのが難しいのです。加えて多年生の果樹には、実がつくまでの若木期間が長い、遺伝的に雑多(高いヘテロ接合性)、自家不和合性、育種の一巡が長いといった事情があります。バナナのように不稔性や倍数性、栄養繁殖が重なる作物では、種子で世代を進める作物よりも遺伝的な改良がかなり遅くなると説明されています。マンゴーについては、ゲノム情報は急速に増えたのに、加工形質で実際に使える選抜用マーカーの実用化は限られている「橋渡しのボトルネック」があり、繊維の含量のように工業的に重要でも遺伝的にほとんど解明されていない性質が残っている、と指摘されています。
こうした状況に対して有望とされるのが、ゲノミックセレクションとゲノム編集です。ゲノミックセレクションは、ゲノム全体に散らばる遺伝的マーカーの情報から個体の育種価(次世代に伝わる能力の推定値)を予測する方法で、成熟して性質が現れるのを待たずに早い段階で選抜できるため、育種の一巡を短くし、単位時間あたりの遺伝的な向上を大きくできると述べられています。CRISPR/Casによるゲノム編集は、熟成、かたさ、褐変、糖の蓄積、色素合成に関わる遺伝子を狙って改変できる点が、従来の突然変異処理に比べた利点として挙げられます。著者らは、遺伝子の発現や代謝物を網羅的に調べる手法(トランスクリプトミクス、メタボロミクス)を組み合わせることで、経路全体の制御の理解が深まるとしています。
一方で著者らは、こうした技術が加工適性そのものを狙って使われた例はまだ限られており、ゲノム研究の多くは病害抵抗性、開花の制御、収量、環境ストレスへの適応に向けられている、と述べます。また、育種家が選ぶ性質と加工業者が求める品質を直接つなぐ、標準化された評価の枠組みが存在しないことも大きな制約です。加工への向き不向きは最終製品によって変わり、ジュース、ピューレ、乾燥、冷凍、発酵、カット野菜的な用途では望ましい特徴がかなり異なるため、作物を通じて共通の育種目標を定めにくいのです。
この整理が示すこと
著者らの結論は、課題は先進的な育種技術が手に入るかどうかではなく、育種、分子遺伝学、収穫後生理学、そして加工業の要求を一つの遺伝的改良の枠組みとして結びつけられるかどうかにある、というものです。加工向けの育種を「これまでの育種目標の置き換え」ではなく「発展」として捉えるべきだとも述べられています。
同時に著者らは、加工向けの育種が収穫後損失を減らす単独の解決策とみなされるべきではないとし、その貢献は作物・性質・遺伝子型・環境ごとに異なる段階にあると位置づけています。公表された研究の多くはかたさやエチレン生成、日もちの長さ、果肉の回収率といった個別の性質を測っており、実際の商業流通全体で損失がどれだけ減るかを測ったものではないため、その定量的な寄与は、複数の場所と季節、商業規模での検証を必要とする、というのが著者らの見解です。
収穫後の技術は、遺伝的に加工に適さない原料を完全に補うことはできない──この総説が伝えているのは、加工の効率や品質を考えるうえで、果実そのものの性質をどう作るかという視点が欠けていたのではないか、という問いかけです。
著者:M. Ranjani(Division of Food Science and Postharvest Technology ICAR‐Indian Agricultural Research Institute New Delhi India)、Kaviya Dharshini U(Division of Food Science and Postharvest Technology ICAR‐Indian Agricultural Research Institute New Delhi India)、Shalini Gaur Rudra(Division of Food Science and Postharvest Technology ICAR‐Indian Agricultural Research Institute New Delhi India)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):M. Ranjani, Kaviya Dharshini U, Shalini Gaur Rudra. Genetic and Molecular Basis of Processing Traits and Genetic Improvement Progress in Major Fruit Crops. Future Postharvest and Food 2026-09-22. DOI: 10.1002/fpf2.70063. 原著ライセンス:CC BY.