日本各地でアサリ(Ruditapes philippinarum)の漁獲量減少が続いており、その一因として、沿岸域の富栄養化対策が進んだ結果として起きている「貧栄養化」による植物プランクトンの減少が指摘されています。植物プランクトンはアサリの主要な餌であるため、その減少はアサリの栄養状態に直結すると考えられます。しかし、野外の個体が実際にどれくらい栄養不足の状態にあるのかを見極める簡便な方法はこれまで確立されていませんでした。三重大学大学院生物資源学研究科と水産研究・教育機構水産技術研究所の研究グループは、アサリ稚貝の体内で働く遺伝子の発現量を調べることで、栄養状態を評価できないかを検証しました。
遺伝子の発現パターンから栄養状態を推定する
研究チームはアサリの稚貝を、餌を与えない条件と餌を与える条件の2グループに分けて飼育し、1日目、3日目、5日目、10日目、15日目、20日目のそれぞれの時点で各条件から3個体ずつを無作為に取り出しました。個体ごとに全身からRNAを抽出し、栄養状態に関連すると考えられる候補遺伝子11種類の発現量を定量PCRという手法で測定しています。これらの候補遺伝子は、過去に行われたRNA-seq解析で栄養状態によって発現量に差が見られた5つの遺伝子、細胞外マトリックス(ECM)に関連することが酵素研究で明らかになっていた3つの遺伝子、そしてアサリで報告例のある酵素をつくる3つの遺伝子から選ばれました。
得られた発現データをもとに、個体が「絶食状態」にあるかどうかを予測する統計モデルが作られました。ここでは5日以上餌を与えられていない状態を「絶食」と定義し、ロジスティック回帰(二項分布を仮定した一般化線形モデル)という手法で発現量から絶食の有無を予測できるかを検討しています。赤池情報量規準(AIC)にもとづいて変数を絞り込んだ結果、アルファアミラーゼ、Cタイプレクチン、ディフェンシン、そしてECM受容体相互作用に関わる遺伝子という4つが、絶食個体を判別するうえで最も有効な指標として選ばれました。
およそ8割の精度で絶食個体を判別
この4つの遺伝子を組み込んだモデルは統計的に有意であり、説明力も高いものであったと報告されています。実際にモデルの当てはまりの良さを1個体ずつ除きながら検証する方法(leave-one-out交差検証)で確かめたところ、絶食状態にあった個体を81.6%の精度で正しく予測できたとされています。栄養不足によって免疫やエネルギー代謝、体の構造維持に関わる遺伝子の働き方が変化し、それが個体の栄養状態を映し出す指標になりうることを示す結果といえます。
この研究の位置づけ
今回の成果は、実験室で飼育された稚貝を対象に得られたものであり、野外で採取された個体に同じ手法をそのまま適用できるかどうかは、この要旨からは明らかではありません。また、遺伝子発現にもとづくこのモデルが、アサリ資源減少の原因解明や、その対策を進めるための一つの道具になりうると位置づけられている段階であり、栄養状態の評価法として確立されたと断定するものではない点には注意が必要です。一つの研究として得られた知見であり、今後さらなる検証が重ねられていくものと考えられます。
まとめ
この研究では、アサリ稚貝の体内で働く11種類の遺伝子の発現量を調べることで、栄養状態、特に絶食状態にあるかどうかを推定できる可能性が示されました。アルファアミラーゼ、Cタイプレクチン、ディフェンシン、ECM受容体相互作用という4つの遺伝子を用いたモデルは、絶食個体を8割強の精度で判別できたと報告されています。沿岸域の貧栄養化とアサリ資源の関係を科学的に検証していくうえで、参考になる知見の一つといえそうです。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Natsumi Sano, Shouji Houki, Nariaki Inoue. Assessment of the Nutritional Status of Juvenile Manila Clam (Ruditapes philippinarum) Using Gene Expression. ジャーナル・オブ・シェルフィッシュ・リサーチ (2026). DOI: 10.2983/035.045.0201. 原著ライセンス: cc-by-nc-nd.