郷土料理や伝統的な食文化は、その土地らしさを伝える大切な資源として、観光の分野でも注目されてきました。ただしこれまでの研究の多くは、ガストロノミー(美食・食文化)を「観光の目玉」として扱うものが中心で、実際にお店を営む料理起業家たちが、その食文化の保存にどう関わっているのかは、あまり深く掘り下げられてきませんでした。今回紹介する研究は、この空白を埋めようと、インドネシア・中部ジャワ州サラティガにある飲食店「Singkong Keju D-9」を事例に、経営者への取材を通じてこの問いに迫ったものです。
研究でわかったこと
この研究は、現象学的アプローチと呼ばれる手法を用いています。これは、当事者が体験や出来事をどのように捉え、意味づけているかを、詳しいインタビューや観察、資料の分析を通じて丁寧に読み解いていく質的な研究手法です。今回は、上記飲食店の経営者を主な調査対象として、深層インタビュー・現場観察・関連資料の収集を行い、そのデータを現象学的な方法で分析しています。
その結果、料理起業家によるガストロノミー遺産の保存は、互いに関連し合う4つの実践を通じて行われていることが示されたと報告されています。具体的には、(1)地域の食材や料理を見直し、価値を再発見する「再評価」、(2)料理本来の味や作り方といった「真正性(オーセンティシティ)」を保つこと、(3)調理の知識や技術を次世代や周囲に伝える「知識共有」、(4)地域コミュニティの力を引き出す「エンパワーメント」の4つです。これらの実践が組み合わさることで、身近な郷土料理が単なる日常食から、文化的・観光的な資産へと変わっていく様子が示されたとされています。同時に、商品としての真正性を保ちながら、料理の知識を伝承し、地域の人々の力を引き出し、その土地ならではの食の観光地としての個性を強めていくことにもつながっていると論じられています。
この研究ではさらに、料理起業家は単に商売を営む経済主体であるだけでなく、ガストロノミー遺産を守り、次の世代へと伝えていく「番人」のような役割も担っていると考察されています。
この研究の位置づけと読むうえでの注意
この研究は、インドネシアの一つの飲食店の経営者を対象に行われた事例研究であり、現象学的アプローチという、当事者の語りや体験の意味を深く読み解くタイプの調査です。得られた知見は、この事例から浮かび上がった実践のパターンを整理したものであり、あらゆる料理起業家や地域に同じように当てはまるかどうかは、この一件の研究だけでは確定できません。あくまで一つの研究であり、結論が広く一般化されたわけではない点には留意が必要です。
また、著者らはこの研究が、料理起業の実践とガストロノミー遺産の保存との関係を説明する枠組みを提案するものであり、地域の文化遺産に根ざした持続可能な食の観光地づくりを考えるうえで、実務的な示唆を与えるものだと位置づけています。
まとめ
今回紹介した研究は、郷土料理を営む一軒の飲食店を丁寧に見つめることで、料理起業家が経済活動を通じて食文化そのものを守り、伝えていく役割を担いうることを示唆するものでした。地域の食材や料理の価値を見直し、本来の味を守りながら、知識を分かち合い、地域の人々の力を引き出していく——そうした日々の実践の積み重ねが、食の遺産を未来へつなぐ一つの道筋になりうると報告されています。
※本記事は下記の原著論文を紹介するものです。参考文献:料理起業を通じたガストロノミー遺産の保存(モメンタム・マトリックス・2026年08月)