著者の所属・活動拠点の国は、ドイツ、中国です。

掲載誌:Foods

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

空になった杯に残る香りを探る

白酒(バイジウ)は中国の伝統的な蒸留酒で、香りのタイプによって十数種類に分類されます。その一つである醤香型白酒は、1年を一つの周期として仕込み、蒸しや発酵、蒸留を何度も繰り返す独特な製法で造られ、成分構成が特に複雑だとされています。この酒の重要な品質特性に「空杯香」があります。空杯香とは、酒を注ぎ出した後、空になった杯をしばらく置いても感じられる残り香のことです。

これまでの研究で、空杯に残る揮発性成分や、香りへの寄与が大きいとみられる成分は報告されてきました。しかし多くは一つの時点だけを調べたもので、空にした直後に強く香る成分が長く残る成分と同じなのか、香り全体が時間とともにどう変わるのかは分かっていませんでした。また、揮発しやすさが残り方に影響すると考えられているものの、その根拠の多くはエステル類を中心にした単純なモデル液によるものでした。

研究チームは、実際の醤香型白酒を使い、空にした直後から30日後までの香気成分の変化を追跡しました。長く残る空杯香に関わる主な成分を見つけ、それぞれの成分が感じ取れる期間と量の時間変化を明らかにすることが目的です。

どのように調べたか

研究には、中国貴州省仁懐市の企業が製造した市販の醤香型白酒(アルコール度数53%)1種類を用いました。空杯に見立てたガラス製の容器に酒20mLを入れて2分間置き、その後で酒を捨てました。この時点を0時間として、室温25℃前後の部屋で0時間から30日後までの13時点について、各時点3本ずつの容器を分析しました。

微量の香り成分を集めるため、表面に吸着材を塗ったかくはん子で成分を吸着する方法を使いました。集めた成分はガスクロマトグラフで分離し、成分を特定する質量分析計と、分析者が実際に鼻でにおいを嗅ぐ装置に同時に送りました。これにより、においとして感じられる成分(香気活性成分)を一つずつ確認できます。

香りの強さの比較には、試料を段階的に薄めていき、どこまで薄めてもにおいが感じられるかを調べる手法を用いました。においが感じられた最も高い希釈倍率を「FD値」と呼び、値が大きいほど、少量でも感じ取れる強い香気成分だといえます。今回の条件で試した希釈の上限は2048倍でした。

主な結果:直後の主役と長く残る成分は違った

元の酒と空にした直後の杯を比べたところ、両方を合わせて65の香気領域が検出されました。元の酒では63、空杯では36で、そのうち34が共通していました。元の酒でFD値が最も高かった(2048)のは、主に沸点が低めから中程度の果実のような香りのエステル類でした。一方、空杯ではこれらのエステル類は最上位から姿を消しました。代わりにソトロンという成分が、元の酒ではFD値16だったのに対し、空杯では試験上限の2048に達しました。いくつかの有機酸や、ナッツや焙煎を思わせる香りをもつピラジン類も、空杯で比較的高いFD値を示しました。

時間経過を追うと、感じ取れる香気領域の数は0時間の43から6時間後に49へいったん増え、その後はおおむね減少して、30日後にも14が残っていました。著者らは、初期の増加について次のように考察しています。空にした直後は残留物のエタノール濃度が比較的高く、エタノールが蒸発するにつれて一部の成分が取り出されやすくなった可能性があるということです。ただし、実験中にエタノール濃度は測っていないため、この説明は推測にとどまるとしています。30日後も感じ取れた成分には、ソトロン、オクタン酸、ヒドロケイ皮酸、1-オクテン-3-オン、パルミチン酸エチル(ヘキサデカン酸エチル)などが含まれていました。

沸点のデータがそろった32成分では、沸点が高いほど長く残るという強い関連が見られました(順位相関係数0.7465)。沸点の低いアルデヒドやエステルが感じ取れたのは0.25〜1日程度でした。ただし、沸点だけでは説明できない例もありました。たとえば沸点184℃のソトロンは30日後も感じ取れたのに対し、沸点185℃のペンタン酸は3日で感じ取れなくなりました。著者らは、残留物の中での成分どうしの相互作用も残り方に影響している可能性があると述べています。

成分量の目安となる分析信号を22成分について追うと、時間変化は大きく二つのパターンに分かれました。一つは、空にした直後が最大で、その後急速に減るパターンです。果実香のエステル類の多くがこれに当たります。もう一つは、少し遅れて最大になったり、増減を繰り返したりするパターンです。なお、この信号の変化と、においとして感じ取れる期間は必ずしも一致しませんでした。

この研究が示すこと

研究チームは、香りの強さ(FD値)、残る期間、量の時間変化を合わせて評価しました。その結果、ソトロン、いくつかの有機酸、1-オクテン-3-オン、一部のエステルを、長く続く空杯香の目印となりうる候補成分として挙げています。これらが実際にどの程度空杯香に寄与しているかは、別の定量的・官能的な手法による確認が必要だとしています。

また著者らは、市販品1種類のみを用いた点と、陶磁器などではなくガラス容器で空杯を模した点を限界として挙げています。そのため、別の製品や器では結果が異なる可能性があります。

それでも今回の研究は、空杯香が酒を注ぎ出した後も時間とともに変化することを示しました。注ぎ出した直後に目立つ香りと、長く残る香りは別の成分が担っている、というのが研究チームの報告の要点です。一つの時点だけでは見えなかった空杯香の移り変わりを、30日間の追跡によって描き出した点に、この研究の意味があります。

原著論文の著者・所属:Dan Qin(Department of Flavor Chemistry (150h), Institute of Food Science and Biotechnology, University of Hohenheim, Fruwirthstraße 12, 70599 Stuttgart, Germany; Food Laboratory of Zhongyuan, China Agricultural University, Beijing 100193, China; Key Laboratory of Geriatric Nutrition and Health, Ministry of Education, Beijing Technology and Business University, Beijing 100048, China)、Xiangrong Fan(Food Laboratory of Zhongyuan, China Agricultural University, Beijing 100193, China)、Jiawen Duan(Key Laboratory of Geriatric Nutrition and Health, Ministry of Education, Beijing Technology and Business University, Beijing 100048, China)、Lin Zhu(Department of Flavor Chemistry (150h), Institute of Food Science and Biotechnology, University of Hohenheim, Fruwirthstraße 12, 70599 Stuttgart, Germany)、Jiaqi Liang(Department of Flavor Chemistry (150h), Institute of Food Science and Biotechnology, University of Hohenheim, Fruwirthstraße 12, 70599 Stuttgart, Germany)、Jingcheng Liu(School of China Alcoholic Drinks, Luzhou Vocational and Technical College, Luzhou 646000, China; University-Enterprise Joint Innovation Base for Applied Brewing Engineering Technology of Sichuan Provincial Education Department, Luzhou 646000, China)、Yanyan Zhang(Department of Flavor Chemistry (150h), Institute of Food Science and Biotechnology, University of Hohenheim, Fruwirthstraße 12, 70599 Stuttgart, Germany)、Xiaoxue Chen(Food Laboratory of Zhongyuan, China Agricultural University, Beijing 100193, China)、Hehe Li(Key Laboratory of Geriatric Nutrition and Health, Ministry of Education, Beijing Technology and Business University, Beijing 100048, China)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Dan Qin, Xiangrong Fan, Jiawen Duan, et al. Time-Resolved Profiling of Aroma-Active Compounds During the Persistence of Empty Cup Aroma in Soy Sauce Aroma Type Baijiu. Foods 2026-08-19. DOI: 10.3390/foods15162906. 原著ライセンス:CC BY.