豚肉は世界で最も多く食べられている肉のひとつで、経済協力開発機構(OECD)の報告によれば中国では年間一人当たりの豚肉消費量が30kgを超えるとされています。豚肉の味わいには品種や年齢だけでなく「どの部位か」も大きく関わるとされていますが、部位ごとの香りの違いがどのような化学物質によって作られているのかは、まだよくわかっていない部分が多いテーマです。この研究は、中国の山下黒豚(Shanxia long black pigs)という品種を対象に、代表的な4つの部位に含まれる「遊離脂肪酸」と「揮発性化合物(香りのもとになる物質)」を分析し、両者の関係を調べたものです。
脂肪酸は肉のうま味や香りを生み出す重要な材料とされていますが、この研究が注目したのは脂肪酸の中でも特に「遊離脂肪酸(FFA)」と呼ばれるタイプです。遊離脂肪酸は、グリセロールやリン脂質などと結合していない状態の脂肪酸で、体内では酵素分解を経ずにそのままエネルギー産生や香り成分の前駆物質になれる、いわば「すぐに反応できる」脂肪酸だと説明されています。これまでの研究の多くは脂質全体の脂肪酸組成を調べたものが中心で、遊離脂肪酸に絞った部位別の分析はあまり行われてこなかったと著者らは述べています。
研究でわかったこと
研究チームは、同じ農場で標準化された餌で育てられた山下黒豚のうち、体重(平均93.40kg)と日齢(平均226日)がそろった半きょうだい関係にある6頭を選び、屠殺後にロース芯に近い「longissimus thoracis(LT)」、もも肉にあたる「semimembranosus(SMM)」、ヒレに近い「psoas major(PS)」、外もも部の「semitendinosus(SMT)」という4部位を採取しました。これらの試料をガスクロマトグラフィー質量分析計(GC-MS)で分析し、遊離脂肪酸と揮発性化合物(香気成分)の種類と量を測定しています。
脂肪酸の分析では、4部位から合計35種類の遊離脂肪酸が検出されました。組成の傾向自体はどの部位も似ていましたが、割合には違いがみられ、飽和脂肪酸のうち最も多かったパルミチン酸(C16:0)はSMMで他の部位より少なく、一価不飽和脂肪酸の主成分であるオレイン酸(C18:1n9c)はLT・PS・SMTでSMMより有意に多いという結果でした。多価不飽和脂肪酸の主成分であるリノール酸(C18:2n6c)はPSとSMTでLTより多く、アラキドン酸(C20:4n6c)はSMMで他部位より有意に高い値を示しました。全体としては、多価不飽和脂肪酸が全遊離脂肪酸の40%以上を占め最も多く、飽和脂肪酸と一価不飽和脂肪酸はそれぞれおよそ30%前後と報告されています。
揮発性化合物については、24試料から合計906種類が検出され、炭化水素(22.41%)、エステル類(13.25%)、ケトン類(11.26%)などに分類されました。さらに、においの感じやすさを示す「相対的な香気活性値(rOAV、濃度をにおいの検知しきい値で割った指標で、1以上であれば風味に直接寄与すると考えられる値)」を計算したところ、31種類の香気成分がこの基準を満たし、そのうち7種類(ドデカンニトリル、2,2,6-トリメチルシクロヘキサノン、β-イオノン、trans-β-イオノン、2-アセチルチアゾール、5-ヘキシルジヒドロ-2(3H)-フラノン、2-ペンチルピリジン)は部位間で有意な差があったとされています。特にSMMでこれらの成分の含有量が高く、香りの特徴が最も豊かな部位である可能性が示されています。
遊離脂肪酸と香気成分の相関を調べたところ、複数の脂肪酸が特定の香気成分と関連していましたが、中でもC20:1n9c(シス-11-エイコセン酸)は豚肉らしい香りを特徴づける複数の揮発性化合物と強い相関を示し、香りの全体像を形作るうえで重要な役割を果たしている可能性が示唆されています。また、KEGG経路解析では、脂肪酸代謝やフェニルアラニン代謝に関わる経路への偏りがLTとSMM・SMTの比較などで見られたものの、統計的に有意な濃縮は認められなかったと報告されています。
この研究の位置づけと読むうえでの注意
この研究はあくまで山下黒豚という特定の品種・飼育条件のもとで、6頭という限られた頭数から得られた4部位のデータに基づくものです。著者ら自身も、OPLS-DA解析モデルのQ2値(予測性能の指標)が低かった比較群があったことを認めた上で、それでも探索的な位置づけとして差のある香気成分を選び出したと述べています。またKEGG経路解析では有意な統計的裏付けは得られておらず、傾向として言及されるにとどまっています。脂肪酸と香気成分の間に相関がみられたことは、両者が実際に因果関係で結ばれていることを直接証明するものではなく、今後の風味形成メカニズムの解明や、部位ごとの加工方法の工夫につなげるための基礎データという位置づけです。一つの研究であり、結論が確定したわけではない点に留意が必要です。
まとめ
今回の研究では、山下黒豚の4部位(LT・SMM・PS・SMT)を比較した結果、遊離脂肪酸の組成や香気成分の量に部位ごとの違いがあり、特にC20:1n9c(シス-11-エイコセン酸)という脂肪酸が豚肉らしい香りに関わる複数の揮発性化合物と強く関連していることが報告されました。今後、こうした知見が部位に応じた調理・加工方法の検討や、消費者の好みに合わせた風味づくりの基礎資料として役立つ可能性がある、と著者らは述べています。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Li Zhang, Wen Luo, Zhen Zhang, et al. Correlations between free fatty acids and volatile compounds in four pork cuts from Shanxia long black pigs: implications for cut-specific flavor generation. フロンティアーズ・イン・ニュートリション (2026). DOI: 10.3389/fnut.2026.1840577. 原著ライセンス: cc-by.