掲載誌:Plant Perspectives
ライセンス: CC BY 4.0 対象: 公開論文 確認元: Crossref
アブラヤシが広がる以前に目を向ける
世界的な商品であるパーム油の産業は、生産地の歴史によってどのように形づくられてきたのでしょうか。本論文は、マレー半島でアブラヤシの栽培面積が最も大きいパハン州を取り上げ、現在の農園景観につながる土地制度や人々の暮らし、統治の変化をたどりました。
著者が主に調べたのは、英国の国立公文書館に保管された年次報告書、政治情勢の報告、秘密覚書、書簡です。植民地当局の記録を、その記述だけでなく、行政官の不安や苛立ち、記録から抜け落ちた事柄にも注意して読み解きました。これらは住民の経験を直接伝える資料というより、統治する側の視線を通した記録として扱われています。
土地の区分と人々の管理
論文がまず示すのは、アブラヤシが大きく広がる前から、土地と住民を管理する仕組みが整えられていたことです。英国の植民地当局はパハンを、資源を開発し、秩序を与えるべき「辺境」として描きました。土地制度の変更によって、鉱山、ゴム農園、森林保護区などが設けられ、先住民オラン・アスリを含む住民の土地利用や立ち入りが制限されました。
著者は、こうした区分が民族別の住民管理とも結びついていたと論じています。マレー人農民向けの指定地、主にインド系労働者が働く農園、中国系労働者が働く鉱山などを通じ、土地へのアクセスと生業が組み替えられました。一方、この時期のアブラヤシ栽培はまだ限られており、後の産業拡大の土台は、ほかの資源開発や統治の過程でつくられていたというのが論文の見方です。
武装抵抗への対策から独立後の開発へ
1948~1960年の「非常事態」期には、共産主義勢力と英国側の戦闘を背景に、住民の移住、移動制限、食料統制が進められました。論文は、これらが鉱山や農園を守り、武装勢力への支援を断つ手段であると同時に、人々の生活を厳しく管理する仕組みだったと説明しています。農園の柵、森林の道路、道路沿いの植物を枯らす薬剤なども、この統治と軍事行動の一部として取り上げられています。
著者は、独立後の土地開発にも、この時期の住民移住や社会管理との連続性を見いだしました。連邦土地開発庁の入植事業では、農村住民が森林を開いて作物を植えることが、経済開発と国家づくりの双方に位置づけられました。1958年にはパハン州で最初の入植事業が始まり、1965年には世界銀行が、同州のジェンカ・トライアングルで後に代表的なアブラヤシ開発事業となる計画への融資に合意しました。論文は、無人の湿地として描かれたその地域にも、先住民の家族や小規模農家が暮らしていたと指摘しています。
農園景観に重なる歴史
論文の中心的な主張は、アブラヤシそのものが単独で暴力や土地の喪失を生んだのではなく、すでに存在した不平等や排除の仕組みを引き継ぎ、強めながら産業が拡大したというものです。同時に、労働者の抗議や移住先から立ち去った先住民の記録は、統治や開発が計画どおりに進んだわけではないことも示しています。
パハンのアブラヤシを理解するには、植えられた木だけでなく、それ以前から続く土地の区分、労働、人々の抵抗を見る必要がある――著者はこの地域史を通じ、世界的な産業の拡大を、避けられない一本道ではなく、具体的な政策や対立が重なった歴史として捉え直しています。
原著論文の著者・所属:Alice Rudge(SOAS, University of London)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Alice Rudge. Palms of Progress. Plant Perspectives 2026-09-16. DOI: 10.3197/whppp.63876246815933. 原著ライセンス:CC BY.