この研究は、アメリカ、サウジアラビアの研究機関の研究論文です。
掲載誌:npj Ocean Sustainability
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的
世界では多くの人が、エネルギー量は足りていても微量栄養素が不足する「隠れた飢餓」を抱えています。魚介類などの水産食品は、ビタミンB12、カルシウム、鉄、亜鉛、そしてDHA・EPAといったオメガ3系脂肪酸の重要な供給源であり、こうした不足を和らげる可能性があると論文は述べています。
一方で、他国の排他的経済水域(EEZ、沿岸国が水産資源の利用について権利をもつ海域)で操業する「遠洋漁業」の船団が獲った魚は、多くの場合その国の外で水揚げされたり輸出されたりします。研究チームは、底びき網(海底付近を網で引く漁法)を用いる外国船団が、沿岸国の海域からどれだけの栄養素を持ち出しているのか、そしてもしその漁獲がその国の国内で消費されたとしたら栄養状態はどう変わりうるのかを定量的に見積もることを目的としました。
何をどう調べたか
著者らは、Sea Around Usプロジェクトが再構築した世界の漁獲データと、水産食品の栄養成分をまとめたAquatic Food Composition Databaseを組み合わせました。対象としたのはカルシウム、DHA+EPA、鉄、ビタミンB12、亜鉛の5つの栄養素です。栄養状態の指標には、各国で摂取が不足している人の割合を表す値(SEV)が用いられています。論文では、5栄養素の平均で人口の25%超が不足状態にある国を「栄養的に脆弱な国」と定義しています。
分析の土台となるのは、外国籍船が底びき網で獲った漁獲は基本的に国内の食料システムには回っていない、という前提です。著者らはこれを単純化した仮定だと明示したうえで、「外国船の底びき網漁獲がすべて沿岸国内に留め置かれ消費された場合」という仮想シナリオを立て、栄養不足の人の割合がどう変化しうるかを計算しました。なお、底びき網が海底環境に与える生態系への影響は、この研究の分析対象ではないとされています。
主な報告結果
2017年の産業的底びき網漁業による漁獲は約2800万トンで、世界の海洋漁獲の約26%にあたると報告されています。旗国別では中国(808万トン)、ベトナム、インドネシア、インドが上位を占めました。EEZ別に見ると、中国、ベトナム、インドネシア、インドに続いて、モロッコ、ギニアビサウ、ナミビアが上位に入っています。
栄養的に脆弱な国の35%では、自国EEZ内の産業的底びき網漁獲の90%以上が外国の遠洋漁船によるものでした。ギニアビサウ、シエラレオネ、コートジボワール、ソマリアなどは、漁獲量が比較的多く、栄養不足の水準も高く、かつ漁獲の95%超を外国船が占めていたと報告されています。
国内留保シナリオでは、5栄養素の平均で最大1060万人が不足から充足へ移りうると推計されました。栄養素別では、DHA+EPAで1650万人、カルシウムで1130万人、ビタミンB12で1050万人、亜鉛で740万人、鉄で730万人です。恩恵の大きい上位10か国のうち7か国は西アフリカにあり、最も影響が大きいギニアビサウでは、全栄養素平均で不足状態の人口の半数以上が充足へ移る可能性があると報告されています。
逆の効果も示されています。同じシナリオでは17か国で不足者が増え、全体で約420万人(うち中国が約280万人)が影響を受けると推計されました。これらは相対的に栄養が確保されている国が中心です。相対的な影響が特に大きいのはカーボベルデ(人口の37.4%)とセネガル(同2.13%)で、いずれも自国船が他国の海域で多く操業していることが理由だと説明されています。また著者らは、栄養素が不足の多い国のEEZから、不足の少ない国へと概して流れている構図を示しました。
この研究が示すこと
著者らは、この結果は「保証された成果」ではなく潜在的な可能性の上限を示すものだと強調しています。漁獲が国内に留まったとしても、流通インフラ、価格や購買力、食習慣、国内の地域差や所得差によって、供給量の増加が実際の食生活の改善につながるとは限らないためです。また、船籍が実際の所有者や利益の帰属先と一致しない場合があることも、推計の限界として挙げられています。
それでもこの研究は、遠洋底びき網漁業が世界規模で水産由来の栄養素を再配分しており、その流れが栄養的に脆弱な国から相対的に安定した国へ向かっているという構造的な偏りを、数字として描き出しました。漁業のルールや国際的な入漁協定を考えるとき、資源管理の持続可能性だけでなく、栄養と公平性という視点も同じ机の上に置く必要がある——論文が投げかけているのは、そうした問いです。
著者:David Costalago(Oceana, Washington, DC, USA)、Daniel Viana(Department of Nutrition, Harvard T.H. Chan School of Public Health, Boston, MA, USA)、Jessica Zamborain‐Mason(Biological and Environmental Science and Engineering (BESE) Division, King Abdullah University of Science and Technology, Twuwal, Saudi Arabia)、Daniel J. Skerritt(Oceana, Washington, DC, USA)、Tess M. Geers(Oceana, Washington, DC, USA)、Christopher D. Golden(Department of Environmental Health, Harvard T.H. Chan School of Public Health, Boston, MA, USA)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):David Costalago, Daniel Viana, Jessica Zamborain‐Mason, et al. Impact of distant water bottom trawl fisheries on nutrient supplies of nutritionally vulnerable countries. npj Ocean Sustainability 2026-08-24. DOI: 10.1038/s44183-026-00236-8. 原著ライセンス:CC BY.