インドネシア・西カリマンタン州のシンカワン市は、多民族が共存する地域として知られています。この街に暮らす華人系住民の食文化を、単なる料理習慣としてではなく『無形文化遺産』として捉え直し、街のアイデンティティ形成にどう関わっているのかを検討した研究が、ジャーナル・キャシム教育・社会人文学ジャーナルに2026年9月に掲載予定です。研究を行ったのは、Universitas PGRI PontianakのArif Januardi氏と、Universitas TanjungpuraのHaris Firmansyah氏、Muhammad Aqif Alghifari氏、Muhammad Rifai Irfan氏、Sandra Fitria Wardani氏です。

味の記憶や料理の作り方はどのように次の世代へ受け継がれ、異なる民族が混じり合う土地の食卓ではどんな配慮が生まれているのか。祭りや観光は食文化の見え方をどう変えるのか。こうした問いを手がかりに、研究チームは家族の記憶・知識の継承・異民族間の交流・観光や祭りでの食の表現という4つの観点から、シンカワンの華人料理を読み解こうとしています。

どのように調べたのか

この研究は、質的アプローチによる『料理エスノグラフィー』という調査デザインを採用しています。データ収集は2025年12月から2026年4月にかけて行われ、家庭の台所、市場、屋台、コーヒーショップ、食品の生産の場、祭りの会場などで、調査者自身が参加せずに観察する『非参加観察』が実施されました。加えて、4名の情報提供者への半構造化インタビュー、写真や映像による記録、関連文書の確認も行われています。集めたデータは、あらかじめ決めた分類に当てはめるのではなく、テーマを見出しながら解釈を重ねる『テーマ別・省察的』な手法で分析されました。

研究でわかったこと

分析の結果、5つの特徴的なパターンが見いだされたと報告されています。第一に、味は単なる嗜好ではなく、食べ物と家族の記憶、そして『帰郷の経験』を結びつける感覚の記録装置として機能していると説明されています。第二に、台所・市場・屋台・コーヒーショップ・家庭内の食品生産の場が、料理の知識を継承する社会的な基盤となっており、その多くは言葉で説明しにくい『暗黙知』として伝えられていることが示されています。

第三に、食卓での交流を通じて、タブーとされる食材の扱いやハラール・非ハラールの区別、異なる民族間での食習慣の違いに配慮する『実践的な倫理』が形づくられていると報告されています。第四に、祭りや華人ディアスポラ(離散した人々)の移動、食を巡る観光ルートの発展が、食べ物をシンカワンの『フードスケープ(食の風景)』やアイデンティティの一部として位置づける役割を広げていることが示されました。第五に、料理の商業化やデジタル化は、文化の保存にとって好機であると同時に、その文化的な意味を単純化してしまうリスクも併せ持つと指摘されています。

これらを踏まえ、研究チームはシンカワン華人料理の持続性を保つためには、地域コミュニティによる記録づくり、担い手世代の再生、そして食と人・場所・記憶のつながりを維持するような『ガストロノミー・ガバナンス(食を巡る統治や仕組みづくり)』が必要になると論じています。

この研究の位置づけと読むうえでの注意

この研究は、インドネシア西カリマンタン州シンカワン市という特定の地域を対象にした質的研究であり、家族の台所や市場、祭りの現場での観察と4名への聞き取りをもとにしています。得られた知見は、あくまでこの地域・この期間における事例に基づくものであり、他の地域の華人コミュニティや食文化に一般化できるかどうかは、この要旨からは判断できません。また、健康効果や栄養価について論じた研究ではなく、食を通じた記憶や文化継承、地域アイデンティティの形成過程を扱った社会人文学的な研究である点にも留意が必要です。一つの研究であり、結論が確定したものではありません。

まとめ

この研究は、シンカワン市の華人料理を『味の記憶』『知識の継承』『異民族間の食のやり取り』『観光や祭りでの表現』という切り口から読み解き、食べ物が家族や地域の記憶、そして人と場所とのつながりを支える存在であることを示唆しています。同時に、商業化やデジタル化が進む中で、その文化的な意味をどう守っていくかという課題も浮かび上がっています。

※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Arif Januardi, Haris Firmansyah, Muhammad Aqif Alghifari, et al. Taste, Memory, and Identity. ジャーナル・キャシム 教育・社会人文学ジャーナル (2026). DOI: 10.61104/jq.v4i5.12739. 原著ライセンス: cc-by-sa.