著者の所属・活動拠点の国は、ナイジェリアです。
掲載誌:Journal of Human Social and Political Science Research
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的
著者らは、ナイジェリアのクワラ州アサ地方行政区にあるオッテを対象に、地域の社会経済的な発展を歴史的に検討しました。農業や手工業で何がどのように作られ、流通してきたのか、男女がそれぞれどのような役割を担ってきたのかを取り上げ、地域の暮らしと発展の関係を明らかにすることを目指しました。住民が生活や環境への影響をどう捉えているかも、調査の目的に含まれています。
背景には、オッテの地域史が十分に記録されてこなかったという問題意識があります。著者らは、農業だけでなく、加工業、商業、牧畜、地域組織にも目を向けています。
何を、どのように調べたか
著者らは住民への聞き取りを通じて、個人や政府が暮らしの向上に果たす役割について意見を集めました。また、住民や生産者が集団で話し合う調査を行い、さまざまな商品の生産方法と、健康や環境への影響に関する認識を探りました。
地域史やヨルバの歴史に関する既存文献も参照し、農業、生産物の加工と販売、家畜飼育、陶器作り、地域団体の活動を記述しました。植民地期以前から続く生業と、1960年以降に広がった職業や交通網の変化を扱っています。
主な報告結果
著者らは、農業が引き続きオッテの主要な生業である一方、経済活動が多様化してきたと報告しています。農業は主に自家消費を中心とする小規模なもので、ヤムイモ、キャッサバ、トウモロコシ、豆類などが栽培されていました。カシューナッツやコーヒー、ゴムなど、販売を目的とする作物の導入に伴い、適した土地を求めて他地域へ移る農民もいたと記しています。
女性は農作業の補助だけでなく、農産物の販売、陶器作り、食品加工、地域で「黒石けん」と呼ばれる石けんの製造などに携わっていました。黒石けんは地域の収入源となり、町外からも製法を学ぶ人や販売用に買い付ける人が訪れていたとされています。商業活動には、近隣都市へ商品を運ぶ取引と、日常の需要に応える地元市場での販売がありました。
論文は、1974年に建設された幹線道路や町内の道路網の拡大を、地域の変化に関わる要素として挙げています。幹線道路沿いに建物が立ち並ぶようになり、1960年以降には、自動車修理、溶接、仕立て、大工仕事、運転などの職業機会も生まれたと報告しています。
農民と移動牧畜民の間には、乳製品と穀物の交換や、家畜のふんを肥料として得る代わりに農民が牧畜民の滞在を認める関係があったと記述されています。また、地域の福祉団体や長老の集まりも、住民をまとめ、町の発展を話し合う役割を担っていたとしています。
この報告が示すこと
著者らは、オッテの発展を、農業だけでなく、生産・加工・販売のつながりや住民同士の協力を含む変化として捉えています。その上で、農産物の傷みや廃棄を減らす地域加工業の育成、生産者が資金や融資を利用しやすくする政策、協同組合の拡充を提言しています。これらは、研究で効果を確認した施策ではなく、著者らによる提案です。
歴史の復元には限界もあり、著者らは、とくに古い時代の牧畜については証拠が乏しく、詳しい経緯を示すことが難しいと述べています。本報告は、地域の発展を理解するうえで、生業の変化とそれを支える社会関係を併せて見る視点を示しています。
原著論文の著者・所属:OBA RAHAMAN TAIWO(Department of Arts Education, (History), Federal University of education, Kontagora)、ABU HASSAN(Department of Social Science Education, (Economics), Federal University of education, Kontagora)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):OBA RAHAMAN TAIWO, ABU HASSAN. AN HISTORICAL ANALYSIS OF THE SOCIO-ECONOMIC DEVELOPMENT OF OTTE, ASA LOCAL GOVERNMENT AREA, KWARA STATE. Journal of Human Social and Political Science Research 2026-11-02. DOI: 10.70382/sjhspsr.v14i6.0119. 原著ライセンス:CC BY.