日本関連:この研究は海外機関を中心とする国際共同研究で、日本の研究機関に所属する共著者が参加しています。
掲載誌:Metabolic Engineering
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
この総説がめざしたこと
著者らは、メタノールを炭素源として利用できる「メチロトローフ酵母」と呼ばれる微生物を、食品素材となるタンパク質の生産に使う技術について、近年の進展をまとめた総説を発表しました。中心に据えられているのは Komagataella phaffii(旧称 Pichia pastoris)という酵母です。
ここで扱われている「精密発酵(プレシジョン・ファーメンテーション)」とは、微生物に目的のタンパク質の遺伝子を組み込み、培養によってそのタンパク質をつくらせる技術を指します。著者らによれば、食品素材としてタンパク質を供給するには、経済的に見合う分泌効率と生産速度に加えて、食品としての機能を保つために適切な翻訳後修飾(タンパク質がつくられた後に糖などが付加される化学的な加工)が必要です。総説はこの「量」と「質」の二つの課題を軸に、現状でどこまで到達しているのか、どこに隔たりが残っているのかを整理することを目的としています。
どのような内容が整理されたか
著者らはまず、メチロトローフ酵母でつくられている食品素材タンパク質を三つの分野に分けて紹介しています。第一が乳タンパク質(カゼイン類、ラクトフェリンなど)、第二が植物由来肉や培養肉に関わるタンパク質(赤い色のもとになるヘムタンパク質、コラーゲン、細胞培養用のアルブミンや増殖因子など)、第三が砂糖の代わりになる甘味タンパク質です。そのうえで、生産性と品質を高めるための合成生物学・代謝工学の手法を、ゲノム編集と遺伝子発現の道具立て、タンパク質分泌経路の改変、糖鎖工学(グライコエンジニアリング)という観点から論じています。
酵母を選ぶ理由についても、著者らは比較を示しています。糸状菌の Trichoderma reesei や動物由来の CHO 細胞は、もともとの分泌能力では酵母を上回ります。一方で酵母には、コストが低い、増殖が速い、発酵のスケールアップがしやすい、遺伝子改変が容易である、分泌されるタンパク質の種類が単純で精製しやすい、といった利点があるとされます。さらに K. phaffii と Ogataea 属の酵母は一般に安全と認められる(GRAS)扱いを受けており、食品素材の大規模生産に適合すると述べられています。
また著者らは、K. phaffii や Ogataea 属の酵母は、パン酵母 Saccharomyces cerevisiae に比べてゲノムの改変が難しいとも指摘しています。相同組換えの効率がもともと低く、ゲノム設計・編集の道具や発現を制御する遺伝要素の種類が限られ、ゲノムの注釈情報も比較的乏しいためです。総説では、こうした制約を補うための遺伝子導入用プラスミド、部位特異的組換え、トランスポゾン、CRISPR システム、相同組換え効率を高める改変などが一覧として整理されています。
報告されている主な到達点と課題
著者らは、代謝工学と工程の改良によって、メチロトローフ酵母でも乾燥菌体1グラムあたり0.2グラムを超える生産性が達成された例があり、糸状菌や CHO 細胞の水準に近づきつつあると報告しています。個別の例では、分泌小胞の輸送を強化した菌株でグルコースオキシダーゼが1リットルあたり30グラム(乾燥菌体1グラムあたり0.356グラム)得られたこと、ウシ血清アルブミンが1リットルあたり14.8グラム得られ、筋細胞の分化と増殖を支える働きが確認されたことなどが挙げられています。植物性ハンバーガーに使われるダイズ由来レグヘモグロビンも K. phaffii でつくられており、分泌生産で乾燥菌体1グラムあたり約48ミリグラムに相当する報告があるとしています。甘味タンパク質では、ブラゼインが1リットルあたり1.4グラムに達した報告が紹介される一方、多くの報告値はミリグラム単位にとどまるとされています。
課題として著者らが強調するのが、細胞の外へ出す「分泌」の難しさと、糖鎖の付き方です。ヒトのラクトフェリンでは、用いる分泌シグナルを変えることで分泌量が大きく変わり、分泌経路やタンパク質合成に関わる遺伝子を強化した菌株では流加培養で1リットルあたり3.1〜5.4グラムに達したと報告されています。それでも一部は細胞内のゴルジ体や液胞に溜まったままで、改善の余地が残ると述べられています。カゼイン類については、四種類を同時に発現させた報告はまだなく、生産性の低さとタンパク質の不安定さが制約になっていると整理されています。
糖鎖については、酵母がつくる糖鎖はヒトや牛のものと構造が異なります。著者らは、ラクトフェリンの糖鎖に含まれるシアル酸やフコースが、鉄との結合や腸管の受容体による認識、病原菌の付着阻害といった性質に関わることが知られていると紹介し、酵母での糖鎖工学が必要だと論じています。同時に、CHO 細胞でつくられた胆汁酸塩刺激リパーゼの臨床試験で見られた結果について、糖鎖の違いが体内での働きに影響したかどうかはまだ確かめられていない、と未解明であることを明示しています。コラーゲンでも、ヒトと同じヒドロキシプロリン・ヒドロキシリシン・O型糖鎖の修飾パターンを完全に再現できる K. phaffii の系はまだ報告されていないとされています。
この総説が示すこと
著者らの整理から見えてくるのは、メチロトローフ酵母による食品タンパク質の生産が、一部の品目ではすでに実際の製品につながる水準に届きつつある一方で、多くの品目では生産量と品質の両面に明確な隔たりが残っている、という現在地です。とくに、どれだけつくれるかという量の問題と、食品としての機能を左右する糖鎖などの修飾をどう整えるかという質の問題が、切り離せない課題として並んでいます。
そのうえで著者らは、合成生物学のさらなる進展を工業的な工程開発と組み合わせることが、メチロトローフ酵母を基盤とする精密発酵を前に進めるうえで重要になると結んでいます。
著者:Bingyin Peng(School of Biology and Environmental Science, Faculty of Science, Queensland University of Technology, Brisbane, QLD, 4000, Australia; Australian Institute for Bioengineering and Nanotechnology (AIBN), The University of Queensland, Brisbane, QLD, 4072, Australia. Electronic address: [email protected])、Masahiro Tominaga(Engineering Biology Research Center, Kobe University, 1-1 Rokkodai, Nada, Kobe, 657-8501, Japan; Graduate School of Science, Technology and Innovation, Kobe University, 1-1 Rokkodai, Nada, Kobe, 657-8501, Japan)、Jun Ishii(Engineering Biology Research Center, Kobe University, 1-1 Rokkodai, Nada, Kobe, 657-8501, Japan; Graduate School of Science, Technology and Innovation, Kobe University, 1-1 Rokkodai, Nada, Kobe, 657-8501, Japan; Department of Chemical Science and Engineering, Faculty of Engineering, Kobe University, 1-1 Rokkodai, Nada, Kobe, 657-8501, Japan)、Esteban Marcellin(Australian Institute for Bioengineering and Nanotechnology (AIBN), The University of Queensland, Brisbane, QLD, 4072, Australia; Food and Beverage Accelerator (FaBA), The University of Queensland, Brisbane, Queensland, Australia; ARC Centre of Excellence in Synthetic Biology, Australia)、Robert Speight(ARC Centre of Excellence in Synthetic Biology, Australia; CSIRO Advanced Engineering Biology Future Science Platform, 41 Boggo Road, Dutton Park, QLD, 4102, Australia. Electronic address: [email protected])
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Bingyin Peng, Masahiro Tominaga, Jun Ishii, et al. Methylotrophic yeast engineering for secreted protein production via precision fermentation: food ingredient proteins and synthetic biology strategies. Metabolic Engineering 2026-08-29. DOI: 10.1016/j.ymben.2026.102532. 原著ライセンス:CC BY.