冷蔵庫でサクランボをしばらく保存すると、買った直後より味がぼやけたと感じることがあります。甘みと酸味のバランスが崩れたり、香りが弱くなったりする現象は経験的に知られていますが、その裏でどのような生化学的変化が起きているのかは、品種ごとの違いも含めてまだ十分にわかっていませんでした。今回紹介する研究は、この『低温保存中の風味劣化』を、遺伝子発現・代謝物・香り成分という複数の切り口から同時に調べたものです。

何を、どのように調べたのか

研究チームは、市場で広く流通する二つの品種『レーニエ』と『ティエトン』のサクランボを4度で21日間保存し、その間の変化を追跡しました。果実の硬さや糖・酸のバランスといった生理的な指標に加え、トランスクリプトーム解析(遺伝子の発現状況を網羅的に調べる手法)、メタボロームー解析(代謝物を網羅的に調べる手法)、そして香りに関わる揮発性成分の分析を組み合わせています。

生理的な指標では、果実の軟化と糖・酸バランスの乱れが両品種に共通する劣化の特徴として確認されました。ただし劣化の進み方には差があり、保存期間の終わりには『ティエトン』の腐敗率が100%に達したのに対し、『レーニエ』は51.55%にとどまりました。代謝物の解析では1876種類の物質が同定され、両品種は同じタイミングで同じように変化するのではなく、『ティエトン』は保存の早い段階で、『レーニエ』は保存の中間段階で、それぞれ大きな代謝の切り替わりを見せるという非同期的なパターンが確認されています。また、香りに関連する揮発性成分のうち、45種類が保存に伴って変動する成分として検出されました。

見えてきた共通の仕組みと、品種を分ける鍵

品種によって劣化の速さやタイミングは異なるものの、その背後にある代謝経路には共通点があったといいます。『デンプンとショ糖の代謝』および『フェニルプロパノイド生合成』という二つの経路が、両品種に共通して風味の変化に関わる中心的な経路として確認されました。前者は糖・酸バランスに、後者は香りや味に関わる成分の生成に関係すると考えられている経路です。

さらに研究チームは、遺伝子発現データをもとに風味の変化に関わる制御ネットワークを構築し、PavMYB3およびPavMYB13という遺伝子が風味の維持に対して働きを促す方向(陽性の制御因子)の候補として、PavC2H2という遺伝子が逆に働きを抑える方向(陰性の制御因子)の候補として浮かび上がったとしています。

この研究の位置づけと読むうえでの注意

この研究は『レーニエ』と『ティエトン』という二つの品種を4度・21日間という条件で保存した結果に基づくものであり、他の品種や保存条件、あるいは家庭の冷蔵庫のような環境でも同じ結果になるとは限りません。また、候補として挙げられた遺伝子については、あくまで制御ネットワーク解析から見いだされたものであり、それぞれの遺伝子が実際にどのような仕組みで風味を左右するのかは今後の検証が必要な段階です。この研究の著者らは、いずれも北京の落葉果樹に関する研究拠点(Beijing Engineering Research Center for Deciduous Fruit Trees)に所属しており、今回の情報の中に日本の研究機関や日本の食習慣への言及は含まれていません。

研究チームは、こうした品種ごとに異なる風味劣化のパターンを明らかにすることが、将来的に品種に合わせた収穫後の保存技術を開発するための基礎になりうるとしています。一つの研究であり、ここで示された内容がすべての品種や保存条件に当てはまると結論づけられたわけではない点には留意が必要です。

まとめ

サクランボの低温保存中の風味劣化には、果実の軟化や糖・酸バランスの乱れといった共通の特徴がある一方で、その進み方や速さは品種によって大きく異なることが、遺伝子・代謝物・香り成分を組み合わせた解析によって示されました。共通する代謝経路や候補となる制御遺伝子が見つかったことは、今後、品種ごとに適した保存方法を考えるうえでの手がかりになると report されています。

※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Chen Feng, Jing Wang, Chuanbao Wu, et al. Dynamic flavor profiles in sweet cherry during cold storage: integrated multi‑omics and volatile profiling reveals regulatory networks underlying flavor deterioration. エヌピージェイ・サイエンス・オブ・フード (2026). DOI: 10.1038/s41538-026-01121-x. 原著ライセンス: cc-by-nc-nd.