日本主導:この研究は、筆頭著者・責任著者、または著者の主要所属が日本の研究機関である研究です。
掲載誌:PLoS ONE
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的
水銀は、鉱山開発などの人間活動に加え、火山活動や森林火災といった自然現象によっても環境中に放出される汚染物質です。研究チームによれば、とくにガーナのような国で行われる小規模金採掘は、世界の水銀排出の大きな要因のひとつとされています。汚染された環境で主にみられる無機水銀(Hg(II))は、細胞内の重要な成分と強く結びつくため毒性が高いと説明されています。
一方で細菌の中には、この水銀を無毒化する仕組みを持つものがいます。その中心となるのが merA という遺伝子で、水銀還元酵素をつくり、Hg(II) をより毒性の低い気体状の水銀へと変える働きを担っています。水銀に汚染された環境では、こうした水銀耐性菌が増えやすくなることが知られています。
そこで著者らは、merA を地域の環境水銀汚染を示す「目印(バイオマーカー)」として利用できるかを検討しました。日本・ベトナム・ガーナの三か国で、住民の便、食品、環境水を対象に merA がどれくらいの頻度・量で見つかるかを調べ、その指標としての有用性を評価することを目的としています。
何をどう調べたか
調査対象は三種類の試料です。住民から提供された便(ベトナム・タイビン省47名、日本・岐阜県29名、ガーナ・クマシ39名、いずれも一人一検体)、小売店で販売されていた地元産の鶏肉(ベトナム91検体、日本27検体、ガーナ10検体)、および公共の水域から採取した環境水21検体です。便の採取は各国の研究機関の倫理委員会の承認を得て行われました。
各試料からDNAを抽出し、merA に特異的なプライマーとプローブを用いたリアルタイムPCRで、この遺伝子の有無と量を測定しました。量は大腸菌のDNAを基準としたコピー数として算出しています。著者らはこの数値について、merA が多様な細菌に存在し、染色体上かプラスミド上かなど存在の仕方も一定でないことから、絶対的なコピー数ではなく試料間・国間を比べるための相対的な指標として扱うべきだと述べています。
あわせて、日本とベトナムの環境水11検体については、日本の環境省が定める公定法にもとづき、冷蒸気原子吸光法で総水銀濃度を測定しました。さらに、水銀を加えた培地を使って環境水から水銀耐性菌を分離し、菌種を同定したうえで、代表株の全ゲノム解析も行っています。
報告された主な結果
便から merA が検出された割合は、国によって大きく異なりました。日本では6.8%だったのに対し、ベトナムでは70.2%、ガーナでは97.4%と高く、統計的に有意な差がみられました。鶏肉でも同様の傾向で、日本18.5%、ベトナム66%、ガーナ90%と報告されています。検出された遺伝子の量についても、日本の陽性例がごく少数かつ検出限界に近い水準だったのに対し、ベトナムとガーナでは個人差は大きいものの、便1グラムあたり10の3乗から10の9乗コピーに及ぶ幅広い値が確認されました。
これに対して環境水では様相が異なりました。merA の検出率は三か国とも75〜100%と一様に高く、国による有意な差はありませんでした。ただし検出量には違いがあり、日本の試料がおよそ10の3乗コピー程度だったのに対し、ベトナムとガーナでは10の7乗コピーに達する試料もあったと報告されています。
注目すべき点として、日本とベトナムの環境水11検体の総水銀濃度は、すべて0.0005 mg/L未満でした。これはWHOの飲料水指針値(0.006 mg/L)はもちろん、ベトナムとガーナがより厳しく定める0.001 mg/Lという基準も下回る値です。つまり、化学分析では水銀が検出されない水からも merA は頻繁に見つかったことになります。著者らは、水銀耐性菌は過去の汚染や低濃度の慢性的な曝露を反映して環境中に残り続けうるという先行研究を挙げ、merA の検出が化学分析より高い感度を持つ可能性を示すものと述べています。
培養実験では、高濃度(60 μM)の塩化水銀を含む培地でも多様な菌種が増殖しました。その中から選んだ代表株シトロバクター・フロインディ(Citrobacter freundii)のゲノムを解析したところ、merA は IncFIB型のプラスミド上に位置し、水銀耐性に関わる遺伝子群(mer オペロン)の構造は、既に報告されている別種の菌(肺炎桿菌の一株)のものとほぼ同じでした。さらにこの遺伝子群の両側には挿入配列と呼ばれる可動性のDNA断片が並んでおり、著者らはこれを、水銀耐性遺伝子が菌種を越えて水平伝播しうることを裏づける所見としています。
この研究が示すこと
著者らは、merA が個人の水銀蓄積量を直接測る指標ではなく、環境中の水銀による選択圧と水銀耐性菌の広がりを映す「生態学的な指標」として解釈されるべきだと強調しています。実際、日本では環境水の検出率が75%と高い一方で、便や鶏肉での検出率は低いままでした。この食い違いから著者らは、水域が耐性菌の供給源になりうるとしても、それが食品や人の腸内細菌叢へ伝わるかどうかは、食生活や飼育・加工の方法など複数の要因に左右されるとみています。
この研究には著者ら自身が挙げる限界もあります。試料数と調査地域が限られていること、用いたプライマーとプローブがすべての merA の型を検出できるわけではないこと、便や食肉については水銀濃度を直接測っていないため merA の量との量的な関係を確かめられないことです。
それでもこの調査は、化学分析では捉えきれない低濃度・過去の水銀汚染を、細菌の遺伝子という別の角度から浮かび上がらせました。環境の汚染状況を、水そのものだけでなく、そこに生きる微生物や、食品と人の腸内をめぐる菌の流れを通して読み取るという視点を示した研究といえます。
著者:Yen H. Le(The United Graduate School of Drug Discovery and Medical Information Sciences, Gifu University)、Judith Dzifa Azumah(The United Graduate School of Drug Discovery and Medical Information Sciences, Gifu University)、Diep Thi Khong(Center for Medical and Pharmaceutical Research and Service, Thai Binh University of Medicine and Pharmacy)、Thang Nam Nguyen(Center for Medical and Pharmaceutical Research and Service, Thai Binh University of Medicine and Pharmacy)、Cornelia Appiah-Kwarteng(School of Veterinary Medicine, University of Ghana)、Kazuaki Matsui(Kindai University)、Mayumi Yamamoto(Health Administration Center, Gifu University)、К. Tanaka(Institute for Glyco-core Research, Gifu University)、Yoshimasa Yamamoto(The United Graduate School of Drug Discovery and Medical Information Sciences, Gifu University)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Yen H. Le, Judith Dzifa Azumah, Diep Thi Khong, et al. Comparative prevalence of the mercury resistance gene merA in human feces, food, and environmental water from Japan, Vietnam, and Ghana. PLoS ONE 2026-09-08. DOI: 10.1371/journal.pone.0357976. 原著ライセンス:CC BY.