著者の所属・活動拠点の国は、インドネシアです。
掲載誌:Ekasakti Journal of Law and Justice
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
研究の目的:在来の種子を守る法の仕組みを問い直す
インドネシアは生物多様性が極めて豊かな国で、多様な遺伝資源と、地域で受け継がれてきた在来の種子を持っています。遺伝資源とは、作物の品種改良などに利用できる、生物がもつ遺伝的な素材のことです。著者らによると、これらの資源はバイオパイラシー、農地の転用、多国籍企業による種子支配の集中、法執行の弱さといった脅威にさらされており、国が自らの食料のあり方を決める「食料主権」にとって深刻な課題になっています。バイオパイラシーとは、ある地域の生物資源や伝統的な知識を、正当な許可や利益の還元なしに外部の者が持ち出し、独占的に利用することを指します。
論文は、インドネシアの刑法の仕組みが遺伝資源と在来種子を守る最前線になり得るのかを検討しています。著者らは問題を三つの側面から捉えています。種子の入手可能性を脅かす行為を犯罪として定める必要性、国内刑法と生物多様性条約や名古屋議定書などの国際的な枠組みとの整合、そして遺伝資源をめぐる犯罪を訴追する際の立証・管轄・制裁の十分さです。名古屋議定書は、遺伝資源を利用する際の利用許可と、そこから生じた利益を原産国や地域社会に公正に分配する仕組みを定めた国際的な取り決めです。
何を調べたか:法令の分析と三か国の比較
この研究は、法の原理や体系を検討する「法解釈学的研究」を中心に、社会的な背景を踏まえる視点と、他国の制度との比較を組み合わせています。分析の対象は、園芸法、植物栽培制度法、植物品種保護法、名古屋議定書批准法、刑法典などの関連法令です。比較の相手には、農業を基盤とする社会構造や生物多様性をめぐる課題がインドネシアと比較的近いマレーシアとインドが選ばれました。
論文はまず、先行研究や確認済みの情報源をもとに、インドネシアで実際に起きている脅威を整理しています。代表例として挙げられているのは、インドネシアの伝統的な大豆発酵食品テンペに関する特許です。米国の主体が少なくとも35件、日本の主体が6件の関連特許を持つ一方、インドネシア自身による出願は2件で、手続きも完了していないと紹介されています。ほかにも、外国企業によるインドネシア産薬用植物製品への知的財産の主張や、許可のない研究試料の採取などの事例が挙げられています。著者らは、こうした事例の多くが形式上は正当な研究活動として始まりながら、名古屋議定書が求める公正な利益配分を伴っていなかったと指摘しています。また、FAOの2023年のデータとして、世界の種子市場の60%以上を上位4社が占めていることも紹介されています。
主な結果:守るべき人を罰し、大きな搾取を見逃す構造
研究チームは、脅威が三つの相互に関連するパターンで現れていると結論づけています。外国の主体によるバイオパイラシー、多国籍企業による世界の種子市場の支配の集中、そして本来守られるべき小規模な種子の育成農家が国内法によって処罰の対象になってしまうことです。著者らによれば、個々の育種家の権利を重視する考え方と、種子を共同体で分かち合ってきたインドネシア社会の慣習とが食い違い、新品種の種子を使った農家が処罰されることがあるといいます。
現行の法の枠組みは、これに十分に対応できていないとされます。論文が挙げる根本的な弱点は四つです。法令同士の規定が整合していないこと、「在来種子」や「遺伝資源」の定義が実務で使えるほど明確でないこと、制裁が大規模に搾取する企業ではなく農家に向かいがちで釣り合いを欠いていること、そして被害を受けた地域社会や農家の損失を回復させる仕組みがないことです。論文によると、罰金の上限は約25億ルピアと重い一方、実際には軽微な手続き違反をした小規模農家に適用されることが多く、企業による大規模な違反が最後まで処理されることはまれだといいます。
この状況を踏まえ、著者らは「遺伝資源に対する犯罪」という考え方を提案しています。これは、自然資源を社会的・法的な正当性なく破壊・支配・搾取する行為を、生態系の公正さに対する犯罪とみなす「グリーン犯罪学」の視点を、インドネシアに合わせて具体化したものです。この考え方では、保護の対象を個々の育種家の独占的な権利ではなく、在来種子とその伝統知識に対する共同体全体の利益と捉えます。そこには、品種として登録されていなくても、地域で代々使われてきた種子も含まれます。禁止する行為についても、無許可の利用、一方的な所有権の主張、元の地域社会から種子を奪う独占といった行為を、農家による非営利の範囲での在来種子の利用と明確に区別します。そのうえで、行為に見合った制裁を組み合わせる設計です。
他国から得た教訓と、この研究が示す意味
比較分析では、マレーシアが自国の植物新品種保護法で、インドネシアより明確に「農家特権」を定めていることが紹介されています。農家特権とは、小規模農家が非営利の範囲で、自分が収穫した種子を保存し、植え直し、交換することを、処罰の心配なく認める例外規定です。インドは2001年に植物品種保護・農民権利法を制定し、育種家・研究者・農家の利益を一つの枠組みで調整しました。この法律は、育種家の商標を使わない限り、登録品種を含む自家収穫の種子を保存・交換・販売する権利を農家に認めています。さらに、地域社会が保全してきた遺伝素材が他者の新品種開発と商業化に使われた場合に、補償を請求できる仕組みも備えています。ただし論文は、インドでも農家の認知度の低さや大企業による独占のおそれといった課題が残ると指摘しています。
これらの比較から、著者らはインドネシアへの教訓を三つにまとめています。明確な農家特権を設けること、利益配分の仕組みを制度として確立すること、そして現在は複数の機関に分散している育種家の権利登録と農家の権利保護を、一つの機関で一体的に扱うことです。政策面では、分散した五つの法制度を統合する独立の遺伝資源保護法の制定を提言しています。その中で、農家特権を処罰の例外として定めること、故意の程度に応じて責任を段階的に問う仕組みを導入すること、国境を越えて活動する企業にも管轄が及ぶようにすることなどを求めています。違反が証明された多国籍企業に対しては、搾取の経済的価値に見合った罰金、原産地の地域社会への損害回復や利益配分の義務、事業許可の取り消しなどを組み合わせる案が示されています。
なお論文は、この提案が実際に機能するかどうかは、国際的な法的協力の体制や、名古屋議定書の遵守の仕組みを動かす能力にかかっており、その実施面はこの研究の範囲を超えると述べています。この研究が示しているのは、在来の種子を守るという課題が、単に法律の条文を整える技術的な問題にとどまらないということです。誰を罰し、誰を守るのかという刑法の向け先そのものを見直すことが、農家の種子の営みと地域社会による遺伝資源の管理を支え、食料主権の土台になるという視点です。
原著論文の著者・所属:Sigit Eko Prabowo(Universitas Muria Kudus)、Dinda Hamidah(Universitas Muria Kudus)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Sigit Eko Prabowo, Dinda Hamidah. Criminal Law Protection of Local Genetic Resources and Seeds in Support of National Food Sovereignty. Ekasakti Journal of Law and Justice 2026-10-20. DOI: 10.60034/m073dy33. 原著ライセンス:CC BY.