この研究は、バングラデシュの研究機関の研究論文です。
掲載誌:Discover Public Health
ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex
なぜ都市スラムの食卓を調べたのか
新型コロナウイルスの流行は、世界各地で人々の食生活を変えました。とりわけ影響を受けやすいのが、都市のスラムに暮らす人々です。日雇いなどの不安定な仕事に頼り、人口が密集し、生活基盤も整っていないため、移動制限や経済の停滞がそのまま食卓に跳ね返ります。
研究チームが問題視したのは、パンデミック期の食料調査の多くが電話やインターネットで行われた点です。著者らは、スラムの住民は通信環境や機器、デジタル利用の面で不利な立場にあり、こうした調査から系統的に抜け落ちてしまうと指摘しています。そこで本研究は、あえてデジタル手段を使わず、対面での聞き取りを選びました。
調査地はバングラデシュ北西部のラジシャヒ市(ラジシャヒ市コーポレーション、RCC)です。首都級の大都市ではなく中規模の「二次都市」で、計画性の乏しい都市化が進み、低所得層の居住密度が高く、非公式な経済活動に依存する人が多い地域です。著者らは、こうした都市で以前からあった食料不安とパンデミックによる混乱がどう重なったのかを明らかにすることを目的に掲げています。
どのように調べたか
研究チームは、中心業務地区(CBD、都市の商業・業務が集中する中心部)からの距離に着目し、スラムを内側(1.5km未満)、中間(1.5〜3.5km)、外側(3.5km超)の三つのゾーンに分けました。中心部に近いほど仕事や市場、支援の受け取り場所に近づきやすく、周縁部ほど雇用機会が乏しく移動費もかさむという経済地理学の考え方にもとづく区分です。
多段階の抽出法により、市内の39のスラムから12を選び、世帯台帳をもとに無作為抽出で361世帯の世帯主(不在の場合は配偶者)に聞き取りを行いました。調査は2022年5月から9月にかけて、半構造化質問紙を用いた対面形式で実施されています。回答は、コロナ前(2020年3月以前)、ロックダウン期(2020年3月〜2022年5月)、調査時点(2022年5〜9月)の三つの時期について尋ねられました。ただしコロナ前のデータは記憶に頼る遡及的なものであり、著者ら自身が想起バイアス(記憶の薄れや出来事の時期のずれ)という限界を認めています。
分析では、食に対する満足度や将来への不安といった主観的な感覚を5段階尺度から加重平均指数(WAI)として数値化する一方、7日間の食事内容から一人あたりの一日の摂取カロリーを算出しました。バングラデシュの文脈では1800〜2122キロカロリーが成人労働者の目安とされ、これを下回る世帯を「重度の食料不安」と分類しています。著者らは、主観的な指標と客観的な指標は互いを補うものだと説明します。カロリーは足りていても将来への不安が強い世帯もあれば、食事に満足していてもカロリーが不足している世帯もあるからです。さらに、人的・社会的・物的・金融的・自然的という五つの「生計資本」の指数を作り、ゾーンごとに回帰分析を行って、一人あたりカロリー摂取と関連する要因を探りました。
報告された主な結果
全体として、回答者の約57.9%が重度の食料不安の状態にあったと報告されています。
食事の回数には、はっきりした時期的な変化が見られました。一日三食をとっていた世帯は、コロナ前の95%からロックダウン期には58.4%へと落ち込み、ロックダウン後には91.9%まで回復しています(χ²=12.417、df=4、p=0.015)。主食である米の消費も減り、一人あたり一日の量は平時の0.329kgからコロナ期の0.219kgへ、32.78%の減少として回答者に想起されました。減少幅はゾーンによって差があり、中間ゾーンが37.38%と最も大きく、外側31.18%、内側29.33%と続きます。著者らは、中間ゾーンは内側のような経済的な緩衝も、外側のような強い社会関係資本も持たない中途半端な位置にあった可能性を指摘しています。
タンパク質については厳しい数字が並びます。ロックダウン期に家族に十分なタンパク質を供給できたとする回答者は、内側ゾーンで約1.1%、中間ゾーンで4.2%、外側ゾーンで3.3%にとどまりました。なお論文は、比較のために挙げた一食あたり35gといった数値が高齢者を対象とした研究に由来するものであり、この調査対象集団の栄養必要量や不足の基準として解釈すべきではないと明確に注意を促しています。
「十分な食料があった」と感じられた月数は、直前の24か月のうち平均18.27か月でした。ゾーン別では内側が20.77か月と最も長く、中間17.57か月、外側17.34か月と続き、この差は統計的に有意でした(χ²=29.781、p=0.000/F(2,358)=17.56、p=0.000、η²=0.089)。中心部に近いほどインフォーマルな仕事や市場に届きやすく、ロックダウン下でも比較的長く食料を確保できたという解釈が示されています。ただしこの平均値は、2020年3〜5月の最初の全国ロックダウンのような、収入が断たれ食に窮した時期の深刻さを覆い隠してしまうとも述べられています。
ゾーンごとの回帰分析では、教育水準の低さ、精神的ストレス、食事が足りていないという認識、非常時に備えて食料を取り置く習慣などが、食料不安と関連する要因として共通して浮かび上がりました。なお著者らは、この分析手法が多重検定の調整を行っていないため、結果は因果関係の確定ではなく関連のパターンを示すものとして読むべきだと断っています。
この研究が示すこと
この研究が描き出すのは、パンデミック下で都市の貧困層の食卓が縮み、主食の量が減り、タンパク質にいたってはほとんど手が届かなくなっていた状況です。同時に、同じ都市のスラムであっても、中心部からの距離によって打撃の受け方が違っていたことも示されました。食料不安は都市全体で一様に起こるのではなく、都市の内部で不均等に分布しているというわけです。
著者らは、貧しいスラム住民の食料安全保障を改善する適切な政策の必要性を強調し、多くの回答者が生活を維持するための基本的な必要を満たせずにいる以上、政府・非政府の組織が食の問題の緩和に向けて行動すべきだと述べています。また、対面調査という手法そのものが、オンライン調査では見えなくなってしまう人々の経験を記録するために選ばれた点も、この研究が残したもののひとつです。
著者:Shehan Tawsif(Department of Geography and Environmental Studies, University of Rajshahi, Rajshahi, 6205, Bangladesh)、Shitangsu Kumar Paul(Department of Geography and Environmental Studies, University of Rajshahi, Rajshahi, 6205, Bangladesh)、Md. Shohel Khan(Department of Environmental Science and Disaster Management, Noakhali Science and Technology University, Noakhali, 3814, Bangladesh)、Mousumi Akando Mou(Department of Geography and Environmental Studies, University of Rajshahi, Rajshahi, 6205, Bangladesh)、Umong Ching Marma(Department of Geography and Environmental Studies, University of Rajshahi, Rajshahi, 6205, Bangladesh)
※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Shehan Tawsif, Shitangsu Kumar Paul, Md. Shohel Khan, et al. Food insecurity, meal frequency and staple consumption of urban slum dwellers during the Covid-19 pandemic in Bangladesh and its implications for social policy. Discover Public Health 2026-09-09. DOI: 10.1186/s12982-026-02792-3. 原著ライセンス:CC BY.