この研究は、中国の研究機関の研究論文です。

掲載誌:Foods

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: OpenAlex

何を明らかにしようとした研究か

紅麹菌(Monascus属)は、紅麹米や腐乳(ふにゅう、発酵豆腐)といった東アジアの発酵食品で古くから使われてきたカビの仲間です。色素をつくり、風味を形成し、発酵の質に関わる成分を生み出します。一方で、この菌の食品利用を長く制限してきたのが、シトリニンというカビ毒(マイコトキシン)の汚染リスクです。シトリニンは紅麹の発酵製品からしばしば検出され、各国が製品ごとに上限値を定めています。論文によれば、中国は紅麹色素について0.04 mg/kg、欧州連合は紅麹米を用いた食品サプリメントについて100 μg/kgという最大基準値を設けています。

シトリニンをつくらない菌株を得る方法として遺伝子組換えもありますが、食品分野では規制上の制約や消費者の受け入れの問題があります。そこで著者らは、自然界から見つかったシトリニン陰性の菌株を活用する方が現実的だと考えました。ただしここには見極めるべき点があります。「検出されない」という性質には、少なくとも二つの説明がありうるからです。一つは、シトリニンをつくる遺伝子のまとまり(生合成遺伝子クラスター)そのものが構造的に欠けたり壊れたりしていて、経路が物理的に断ち切られている場合。もう一つは、遺伝子は揃っているのに、試した条件ではたまたま働いていなかっただけ(条件依存的な抑制)という場合です。前者の方が性質は安定していると一般に考えられ、後者であれば幅広い条件での検証が必要になります。研究チームは、食品に関わるさまざまな条件で一貫してシトリニンが検出されないのなら、それは遺伝子領域の構造的な破壊を伴っているのではないか、という仮説を立てました。

どのように調べたか

著者らは、中国・武漢で採取された家庭製の腐乳から紅麹菌を分離し、そのうちの1株BC20を詳しく調べました。ITS領域とβ-チューブリン(BenA)遺伝子の配列に基づく系統解析から、BC20はMonascus ruber(モナスカス・ルベル)の系統に位置づけられました。

まず、シトリニンをつくるかどうかを8種類の培養系で確かめています。カビの培養に使う標準的な培地に加え、市販の滅菌乳という乳製品系、そして米、トウモロコシ、小麦ふすま、それらの混合物といった穀物・ふすま系の固体基質が含まれます。いずれも30℃で14日間、3回ずつ独立に培養し、免疫親和性カラムで精製したうえで高速液体クロマトグラフィー蛍光検出法(HPLC–FLD)によりシトリニンを分析しました。この方法の検出下限は4 μg/kg、定量下限は12 μg/kgと報告されています。

次に、PacBioの長い読み取りとIlluminaの短い読み取りを組み合わせて、染色体規模の高精度なゲノム配列を組み立てました。ゲノムサイズは26,189,058塩基対、GC含量は48.85%、予測されたタンパク質コード遺伝子は6720個です。つながりの良い(断片化の少ない)ゲノムを得ることには理由があります。生合成遺伝子クラスターは構造が変わりやすい領域にあることが多く、つなぎ合わせが不十分だと、本当は存在する領域が「欠けている」ように見えてしまうためです。さらに、公開されている18株分の紅麹菌ゲノムと合わせて比較し、ゲノム全体の対応関係(シンテニー)や、シトリニン関連領域の構造を調べました。

報告された主な結果

8つの培養系すべてで、シトリニンは検出されませんでした。標準物質は保持時間8.97分にはっきりしたピークを示しましたが、BC20の発酵物の抽出液には、対応する時間帯に特徴的なピークが現れませんでした。これらの培養系は栄養組成、水分条件、酸素の行き渡り方が大きく異なるため、著者らはこの一貫性を、食品に関連する条件下での性質の安定性を支える材料だと位置づけています。

ゲノム比較では、BC20はM. ruberとM. pilosusからなるruber–pilosus系統群に含まれることが、平均ヌクレオチド一致度(ANI)に基づくクラスタリングでも、単一コピー遺伝子に基づく系統ゲノム解析でも一致して示されました。参照となるM. ruberゲノムとの間には広い範囲で直線的な対応関係が見られ、ゲノムの骨格自体はよく保たれていました。その安定した背景の上で、シトリニン関連領域だけが際立った違いを示します。M. purpureusの参照ゲノムでは、中心となる生合成遺伝子pksCTと周辺の修飾・調節遺伝子を含む、比較的そのままの形のクラスターが保たれていました。これに対しBC20の対応領域は、まとまったクラスターの構成を保っておらず、部分的に失われたり分断されたりした「残骸」のような構造を示していました。同じような構造は、ruber–pilosus系統群の複数の近縁ゲノムでも観察され、BC20だけの特殊な例ではないと報告されています。

この領域の近くには、転移因子(ゲノム内を動きうる可動性のDNA配列)に関連する注釈、すなわちDDEトランスポザーゼやLINE様の配列が見つかりました。BC20と近縁ゲノムは、同じような位置にDDE関連の挿入をもつ共通の崩れた骨格を共有する一方、LINE様の配列の位置は株ごとに異なっていました。ただし著者らは、これは構造上の関連であって、因果的な仕組みの直接的な証拠ではないと明確に述べています。切断点をまたぐ読み取りの取得や標的PCRなど、さらなる分子レベルの検証が必要だとしています。

「領域が見えないのは組み立ての不備のせいではないか」という可能性を排除するため、著者らは別の生合成領域であるモナコリンK(mk)遺伝子クラスターを内部対照として調べました。BC20ではmkA、mkC、mkDなど主要な遺伝子群が明確に認識でき、複数のM. ruberゲノムと似た並び方を保っていて、大きな欠失や強い分断の兆候はありませんでした。つまり、二次代謝の領域が全体的に崩れているのではなく、シトリニン関連領域に限った構造の乱れだという解釈を支える結果です。このほか、機能注釈からは糖質の輸送と代謝に関わる遺伝子がよく揃っていること、抗真菌薬7剤に対する試験管内での感受性の値も、株の特徴づけの情報として報告されています。

この報告が示すこと

この研究の要点は、「検出されなかった」という観察に、ゲノム上の裏づけを与えたところにあります。表現型と遺伝子領域の構造が食い違わずに一致したことで、BC20のシトリニン非検出は、条件次第で変わりうる一時的な沈黙ではなく、領域そのものの構造的な破壊を伴う可能性が高いと解釈できる——これが著者らの立てた見立てです。菌株を選ぶ際に、まず複数の食品関連条件でシトリニン産生を調べ、一貫して検出されない株についてゲノムの該当領域を詳しく見る、という段取りの有用性も示されています。

同時に、論文は現時点での限界もはっきり書いています。転移因子との位置的な近さは関連の観察にとどまること、タンパク質に富む乳製品やデンプンに富む穀物といった基質の違いが抽出効率や回収率に影響しうるため、添加回収試験などの基質ごとの分析法検証が今後必要になることです。伝統的な発酵食品の現場から採られた菌を、性質とゲノムの両面から評価していくことの意義を、この報告は具体的な一例として示しています。

著者:Huanchang Zhang(Fudan Microbiome Center, School of Life Sciences, Fudan University, No. 2005 Songhu Road, Yangpu District, Shanghai 200438, China)、Danqi Wang(State Key Laboratory of Dairy Biotechnology, Key Laboratory of Functional Dairy Products Processing, Ministry of Agriculture and Rural Affairs, Shanghai Engineering Research Center of Dairy Biotechnology, Dairy Research Institute, Bright Dairy and Food Co., Ltd., Shanghai, 201103, China)、Jin HAN(State Key Laboratory of Dairy Biotechnology, Key Laboratory of Functional Dairy Products Processing, Ministry of Agriculture and Rural Affairs, Shanghai Engineering Research Center of Dairy Biotechnology, Dairy Research Institute, Bright Dairy and Food Co., Ltd., Shanghai, 201103, China)、Fenghua Zhang(State Key Laboratory of Dairy Biotechnology, Key Laboratory of Functional Dairy Products Processing, Ministry of Agriculture and Rural Affairs, Shanghai Engineering Research Center of Dairy Biotechnology, Dairy Research Institute, Bright Dairy and Food Co., Ltd., Shanghai, 201103, China)、Yiru Liu(China Center of Industrial Culture Collection, China National Research Institute of Food & Fermentation Industries Corporation Limited, Beijing, 100015, China)、Rui Liu(China Center of Industrial Culture Collection, China National Research Institute of Food & Fermentation Industries Corporation Limited, Beijing, 100015, China)、Miya Su(State Key Laboratory of Dairy Biotechnology, Key Laboratory of Functional Dairy Products Processing, Ministry of Agriculture and Rural Affairs, Shanghai Engineering Research Center of Dairy Biotechnology, Dairy Research Institute, Bright Dairy and Food Co., Ltd., Shanghai, 201103, China)、Su Yao(China Center of Industrial Culture Collection, China National Research Institute of Food & Fermentation Industries Corporation Limited, Beijing, 100015, China)、Zhenmin Liu(State Key Laboratory of Dairy Biotechnology, Key Laboratory of Functional Dairy Products Processing, Ministry of Agriculture and Rural Affairs, Shanghai Engineering Research Center of Dairy Biotechnology, Dairy Research Institute, Bright Dairy and Food Co., Ltd., Shanghai, 201103, China)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Huanchang Zhang, Danqi Wang, Jin HAN, et al. Chromosome-Scale Genome Analysis Reveals Locus-Specific Disruption of the Citrinin-Associated Region in a Furu-Derived Monascus ruber Strain BC20. Foods 2026-08-31. DOI: 10.3390/foods15173091. 原著ライセンス:CC BY.