ヨーグルトやチーズなどの発酵乳製品には、目には見えない無数の微生物が関わっています。乳酸菌のように発酵に欠かせないプロバイオティクス菌もいれば、条件次第で健康リスクとなりうる日和見菌、明確な病原菌、さらには品質を損なう腐敗菌まで、乳と発酵乳製品の微生物の顔ぶれは非常に多様であることが知られています。こうした微生物の全体像をどう把握し、食品の安全性や品質管理に役立てるかは、乳製品産業にとって重要な課題です。今回紹介するロシアの乳製品研究機関ВНИИ молочной промышленности(全ロシア乳製品産業科学研究所)の研究者らによるレビュー論文は、この課題に対して近年広がりつつある『次世代シーケンシング(NGS)』という遺伝子解析技術がどう活用されているかを整理したものです。
次世代シーケンシングとは何をする技術か
次世代シーケンシングは、サンプル中に含まれるDNAの塩基配列を大量かつ高速に読み取る技術です。この論文では、乳製品の微生物解析に使われる代表的な二つの手法が取り上げられています。一つは特定の遺伝子領域だけを増幅して解析する『アンプリコンシーケンシング』、もう一つはサンプル中の全DNAをまるごと解析する『ショットガンメタゲノムシーケンシング』です。前者は比較的簡便に微生物の種構成を把握できる一方、後者はより詳細な情報が得られる代わりに解析の手間やコストが増すなど、それぞれに利点と方法上の制約があることが整理されています。論文では、これらの技術が具体的にどのような目的で使われているかとして、食品由来病原菌の検出、微生物叢がどのような代謝機能を持ちうるかの評価、そして菌を種レベルだけでなく株(同じ種の中の個々の系統)レベルで識別することの三つが挙げられています。
品質管理・安全性・『本物らしさ』の証明への応用
従来、乳製品の微生物学的な安全管理は、法令で定められた特定の検査項目を測定し、基準に適合しているかを確認する方法が中心でした。この論文では、それに加えて乳製品産業が急速に発展する中で新たに求められるようになった分析の方向性として、伝統的な発酵食品やプロバイオティクス菌株の『本物らしさ(オーセンティシティ)』を裏付けること、そして新しいスターター菌の組み合わせ(コンソーシアム)を設計することが挙げられています。これらを実現するには、食品の微生物叢がどのような種で構成され、どのような機能を持ちうるかを網羅的に分析する必要があるとされています。論文では、NGSが乳製品の微生物学的安全性のモニタリング、伝統的発酵食品やプロバイオティクス培養物の種構成の確認、そして直接添加型スターター(製造時にそのまま加えられるスターター菌)の開発といった場面で実際に活用されている例が紹介されています。あわせて、こうした高スループットシーケンシング技術を食品微生物学に用いる際の指針となる、国際的および各国の規制文書の内容も整理されています。
この研究の位置づけ
この論文は新たな実験データを報告するものではなく、既存の研究や規制動向を整理した総説(レビュー)です。著者らは、次世代シーケンシング技術を乳製品産業における微生物管理の新たな『万能ツール』として位置づけるのではなく、既存の微生物学的管理体制を補完する追加的な手法として捉えるべきだと結論づけています。つまり、この技術が既存の検査法に取って代わるというより、両者を組み合わせて活用していく方向性が示されている点に留意が必要です。また、レビューという性質上、紹介されている個々の応用例の効果や限界の程度については、元となった個別研究ごとに差があると考えられ、本記事の元になった要旨だけからは一つひとつの詳細までは分かりません。
まとめ
発酵乳製品の微生物叢は、プロバイオティクス菌から病原菌・腐敗菌まで幅広い顔ぶれを含む複雑な集団です。この論文は、そうした微生物の全体像を遺伝子解析技術でとらえる試みが、安全性のモニタリングだけでなく、伝統食品の本物らしさの確認や新しいスターター菌開発にも広がりつつあることを整理して紹介しています。次世代シーケンシングは既存の管理体制に置き換わるものではなく、それを補う手段として位置づけられている点が、この総説の要点といえるでしょう。
※本記事は原著論文の翻訳ではなく、研究内容を独自に解説したものです。参考文献:Алексей Владимирович Хан, Дарья Дмитриевна Коваль, E.G. Lazareva, et al. Современное применение постгеномных технологий в молочной промышленности. 食品加工産業 (2026). DOI: 10.52653/ppi.2026.9.9.014.