この研究は、中国の研究機関の研究論文です。

掲載誌:Foods (Basel, Switzerland)

ライセンス: CC BY 対象: 公開論文 確認元: Europe PMC

研究の背景と目的

乳がんは世界の女性で最も多く診断されるがんであり、著者らは、性質が多様で浸潤や転移を起こしやすいため臨床での対応が難しいと述べています。手術・放射線・化学療法・分子標的薬といった従来の治療は一定の効果をもたらす一方で、副作用や治療途中で薬が効きにくくなること、乳がんのタイプによって使える治療が限られることといった制約があるとされています。そのため著者らは、複数の標的に働きかけ、毒性の低い天然物を探すことが重要な研究方向になっていると位置づけています。

この研究が注目したのはInocutis levis(イノクティス・レビス)という、傘をつくる大型のキノコの一種です。広葉樹に生え、中国南部では腫瘍や糖尿病の補助的な手当てとして古くから使われてきたと論文は紹介しています。ただし、この種を対象とした世界的な研究はごく限られており、これまでの研究の多くは多糖(糖が多数つながった成分)に向けられてきました。低分子の二次代謝産物(キノコがつくり出す、分子の小さな成分群)の全体像や、その抗腫瘍活性はほとんど調べられていません。そこで著者らは、この菌の乳がんに対する「働くもとになる成分」と分子レベルのしくみを体系的に明らかにすることを目的としました。

何をどのように調べたか

著者らはまず、液体培養で得たI. levisの菌糸体を乾燥・粉砕し、エタノールと熱水を用いた抽出を重ねて多糖をほぼ取り除いた水抽出物を用意しました。残った多糖は0.3%未満と報告されています。これをカラムで分けて5つの画分にまとめ、予備的な細胞試験で乳がん細胞の増殖を最も強く抑えた3番目の画分を「WYS」と名づけました。WYSの収量は乾燥菌糸体の約1.85%とされています。

WYSに含まれる成分は、UPLC-Q-TOF-MSという、成分を分離しながら質量を精密に測る装置で調べられました。培地や溶媒に由来するピークは除外され、複数の繰り返し試料すべてで検出された成分だけが残されています。この手順で、正イオンモードで72、負イオンモードで89の主要成分が選ばれ、重複を整理して152成分が以後の解析対象となりました。

次に著者らはネットワーク薬理学という方法を使いました。これは、成分が結合しそうなタンパク質(標的)と病気に関わる遺伝子の情報を突き合わせ、多成分・多標的の関係を計算で見通す手法です。成分から予測された919の標的遺伝子、データベースから集めた3997の乳がん関連遺伝子、そして乳がん検体と対照で発現量に差があった遺伝子を重ね合わせ、111の共通標的が得られました。これらのタンパク質同士の相互作用ネットワークを描いて重要度の高い候補24遺伝子に絞り、さらにLASSO・ランダムフォレスト・SVM-RFEという3種類の機械学習の結果を重ねてCDK1、TOP2A、EGFR、ESR1、FGF2、KITの6遺伝子を選び出しました。別のデータセットでの検証では、判別性能の指標(AUC)が基準の0.7に届かなかったESR1が除かれ、EGFR、CDK1、TOP2A、FGF2、KITの5遺伝子が最終的な特徴遺伝子として残されました。

絞り込まれた標的と成分の組み合わせについては、コンピューター上でタンパク質のポケットに成分をはめ込む分子ドッキングと、100ナノ秒にわたる分子動力学シミュレーションで結合の安定性が検討されました。加えて、ヒト乳がん由来のMCF-7細胞を使った試験(増殖抑制、アポトーシスすなわち細胞の自死の測定、細胞周期の分布、ミトコンドリア膜電位、タンパク質の検出)と、ヌードマウスに腫瘍を移植して経口投与する動物実験が組み合わされています。動物実験では対照群、WYSの低・中・高用量群、シスプラチンの陽性対照群が設けられ、腫瘍の大きさと体重が記録されました。

報告された主な結果

機能の解析からは、共通標的が関わる生物学的な役割として、成長因子受容体からの信号伝達や、受容体型チロシンキナーゼ(細胞膜にあって外からの合図を内部へ伝える酵素)の働きが上位に挙がりました。経路の解析では、MAPK経路とPI3K-Akt経路に遺伝子が特に集まり、腫瘍の進行や内分泌療法への抵抗性、炎症・老化に関わる経路とも強く関連していたと報告されています。著者らは、これらの標的が膜受容体の活性化とその下流の発がん性シグナルの絡み合いを通じて、細胞の増殖・細胞周期・生存を中心的に調節していると整理しています。

成分と標的の結合予測では、5つの特徴遺伝子すべてが対応する成分と安定な複合体をつくり得ると示され、結合エネルギーはいずれも負の値でした。最も強い結合はCDK1とコルチゾールの組み合わせで−8.104 kcal/molと報告されています。続いてKITとコルチゾールが−7.503、TOP2Aとジヒドロアルテミシニンが−7.343、EGFRとジヒドロアルテミシニンが−7.214、EGFRとグアノシンが−7.209、EGFRとケイ皮酸が−5.474 kcal/molでした。いずれの成分も標的タンパク質のポケットに収まり、水素結合や疎水性の相互作用を介して結合していたとされています。ここで示されているのは構造レベルでの結合の可能性であり、著者らはこれを後続の検証を支える構造的な根拠として位置づけています。

なお、これらの計算による予測は、細胞を用いた試験と動物実験によって検証される設計になっており、論文の題名にも示されているとおり、著者らはWYSがMCF-7細胞に対して増殖抑制とアポトーシス誘導の作用を示し、EGFR/MEK/ERKの調節とG2/M期での細胞周期の停止が関与すると報告しています。

この研究が示すこと

この研究は、これまで多糖に関心が集まっていたI. levisについて、低分子成分の側から乳がん細胞への作用を調べた報告です。成分の網羅的な測定、計算による標的の絞り込み、そして細胞と動物での検証を一続きにつないだ点に特徴があります。

著者らは、この成果がI. levisという希少な食用・薬用キノコを機能性食品素材や乳がんに対する食事由来の補助的介入として開発するための科学的な裏づけになるとともに、食用・薬用の大型キノコから活性成分を探索する際に再現できる研究の型を示すものだと述べています。

著者:Tang S(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)、Shu Y(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)、Zhang J(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)、Yan L(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)、Zhu H(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)、Wu S(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)、Shao C(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)、Mo J(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)、Liu X(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)、Xu N(Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.; Institute of Hunan Edible Fungi, Changsha 410006, China.)、Xu J(Hunan Institute of Microbiology, Changsha 410009, China.; Yuelushan Laboratory, Changsha 410125, China.)

※本記事は原著論文をもとに、日本語で要約・説明を加えた研究紹介です。 出典(原著論文):Tang S, Shu Y, Zhang J, et al. <i>Inocutis levis</i> Mycelial Extract WYS Exerts Anti-Proliferative and Pro-Apoptotic Effects on MCF-7 Cells via EGFR/MEK/ERK Modulation and G2/M Arrest. Foods (Basel, Switzerland) 2026-09-10. DOI: 10.3390/foods15183199. 原著ライセンス:CC BY.